三刻の荷
「三刻では、戻りが夜になります」
道倉番が砦の紙を指で押さえた。北へ上げる道は一本。曲がりは少ないが、途中に日陰の窪みが二つある。昼なら車輪を外へ逃がせる。夕方を過ぎると、土の硬さが見えなくなる。
軽い車なら砦まで二刻半。重い車なら三刻を越える。戻りは馬の脚次第。数字は道の上で冷えていた。紙では一行でも、外へ出れば馬の息と御者の足に変わる。
エルクが外へ目をやった。薪束を下ろした荷車はまだ倉前にいる。北へ上げる荷を軽くしたあとも、御者は馬の前脚を何度も見ていた。
「俺が上がれば早い」
「上がる人が増えると、戻る人も増えます」
返事をする前に紙の横へ線を引く。上がる人/戻る人/道倉に残る人/砦で受ける人。エルクは黙った。怒ったのではない。剣で片づく話ではないと、もう分かっている顔だった。
「砦は受ける手を出せるのか」
北から下りてきた兵が首を振った。
「門内から二人。外へ出せるのは一人です。残りは壁と見張りから離せません」
「荷を下ろす手は」
「同じ二人です」
「受ける手と下ろす手が同じなら、二度数えてはいけません」
兵の眉が動いた。言われるまで、そこは紙の上で二人になっていたのだろう。砦の中で同じ兵が二つの欄に入れば、紙だけが増える。現場の手は増えない。
道倉番が小さく息を吐いた。
「だから車が詰まる」
「はい」
倉の奥から木箱を引く音がした。戻り車ではない。南から上がってきた小さな荷車が道倉の前で止まっている。荷台には空袋・乾いた藁・馬の胸革一本・古い車軸止め二つ。御者台の横からガレスが降りた。
「門は」
エルクの問いに、ガレスは肩を鳴らした。
「門は動いている。戻り鈴が空欄なら、空欄のまま見ろと言ってある」
それだけ言って荷台ではなく馬の脚を見た。右前脚を浮かせていた馬の膝下に泥が固まっている。蹄鉄そのものは外れていない。ただ革紐が湿って緩み、足を上げるたび金具がずれていた。荷台に載せてきた胸革は古いが乾いている。役に立つかどうかは、数ではなく今ここで決まる。
「釘は足りている」
蹄鉄釘の小箱が一つ持ち上がる。
「足りないのは締める革だ」
砦の兵が箱の数を見た。
「釘は三箱あります」
「釘だけで馬は歩かん」
声は荒くない。木箱を置く音だけが重かった。
次に麻縄へ手が伸びた。乾いた束を二つ、湿った束を二つに分ける。湿った束は油布の内側で汗をかいていた。
「これは今夜は結ぶな」
「砦では縄が要ります」
「要るから、切れる縄を上げるな」
短い返事に若い者が手を止めた。
道倉の台に新しい欄を作る。数にある物/今使える物/上げると壊れる物/残せば使える物。蹄鉄釘は三箱あるが今上げるのは一箱。革紐を一本添える。麻縄は四束あるが乾いた二束だけ。灯油は二壺あるが芯が足りないので一壺だけ。薪束は三つあるが今日の砦へは上げない。
荷の名は足りているように見える。使える物に直すと半分になる。半分になった分だけ、砦へ届く可能性は上がる。残した半分も捨てたわけではない。次の鈴を待つ物になる。
「半分か」
エルクの声が低い。
「半分です」
「砦は半分で持つのか」
北の兵は答えられなかった。
砦の紙へ目を戻した。荷の下に人の数がある。門内二人、外へ一人。道倉から上げる御者一人。戻り車一台。替え馬なし。
「このまま上げると、砦で荷を下ろしたあと御者が戻れません」
「泊めればいい」
エルクの声に、砦兵がすぐ反応した。
「寝かせる場所はあります。飯も兵の分を少し削れば」
「削らない」
ガレスが先に言った。兵が口を閉じる。
「兵の飯を削って御者を泊めたら、明日荷を受ける手が減る。馬も食う。御者も食う。人を一人泊めるなら袋は一つ余分に要る」
数字はまた増えた。人を増やすと荷が増える。荷を増やすと馬が減る。馬が減ると次の荷が遅れる。
道倉の軒から冷たい滴が落ちた。屋根の端に残っていた霜が、昼の薄い日で溶け始めている。
「では御者は戻します」
砦兵が言った。
「荷を下ろす前に戻すのか」
「いえ。下ろしたあと、すぐ」
「すぐ戻すなら下ろす手が足りません」
エルクの拳が軽く握られた。だが声は荒れない。
「砦からもう一人出せ」
「壁を一枚、薄くします」
北の兵はそう答えた。次の声が出るまで、濡れた袖だけが揺れた。
壁を一枚薄くする。砦の言葉では人を一人外へ出すという意味だ。だが外へ出た一人は、荷を下ろす手にも門を閉める手にも矢を持つ手にもなる。
一人の使い方を間違えると、三つの場所が薄くなる。
「道倉で下ろします」
紙の欄を指で押さえた。
「砦へ上げる車は荷を軽くして下ろす時間を減らす。道倉で濡れ縄と薪を残し乾いた縄と釘だけを上げる。砦から外へ出るのは一人。下ろし終えたら、その一人は車と一緒に門内へ戻る」
「御者は」
「戻します。食料は戻り分を持たせます」
「砦内の飯は削らない」
そこでガレスが頷いた。
砦兵の目が紙と荷台を往復した。納得ではない。けれど反論の置き場所がなくなった顔だった。
「不足控えをもう一枚持っています」
胸元から折り目の細かい紙が出てきた。道倉番が思わず手を伸ばしかける。兵は渡す相手を迷い、最後にこちらの前へ置いた。
「これは砦内です。外へ出す紙ではないと言われました」
「今は外が詰まっています」
封はしていない。だが端が擦り切れている。中で何度も見られた紙だ。
開くと物の名が並んでいた。矢束/灯油/乾き縄/蹄鉄革/薬布/粉麦。その下に人の数がある。見張り四人不足。荷受け二人不足。夜番二人不足。同じ人間に、別の不足が三つ重なっている。物の名は六つでも、足りない手は同じ場所から抜かれていた。荷を足せば解ける表ではない。
エルクが紙を覗き込んだ。
「これは足りない物の表か」
「違います」
最後の空欄に目を落とした。小砦名が三つ、薄い筆で並んでいる。どれも守る場所として書かれていた。どれも同じ人の少なさで結ばれていた。
「足りない順番の表です」
北の兵が唇を引き結んだ。
道倉の外で軽くなった車が動き出す。今度は北へ向かう車輪の音だった。
三刻の荷は半分になった。それでもまだ、砦の中の不足は紙の下で増えていた。戻りの音が消えるまで、誰も次の紙を閉じなかった。砦の中身が見え始めていた。




