道倉の詰まり
車輪跡が、道倉の前で二本消えていた。
北へ向かう道は凍り切るほどではない。だが夜の冷えを吸った土は固くて轍の縁だけが白く乾いている。南から来た車輪跡は三本。北へ出た跡は一本。残りの二本は倉の前で横へ逃げて、そこで終わっていた。轍だけでは足りない。止まった場所そのものが、もう一つの数字だった。まだ朝だった。
荷車は、動いていない。
道倉の軒下に馬が二頭並んでいた。一頭は鼻先から白い息を吐き、もう一頭は右前脚を浮かせている。浮いた脚の蹄鉄は地面へ触れる直前でまた離れた。荷台には油布をかけた縄束・蹄鉄釘の小箱・矢束を結ぶための麻縄・灯油の小壺が載っていた。全部、砦へ入れたい物だ。
全部を一度に入れれば、馬が潰れる。
「遅い」
エルクが倉の脇から出てきた。鎧の肩に霜がついている。先に着いてから、かなり待っていた顔だった。
「道が止まっているのか」
「道は通る。止まっているのは、ここだ」
エルクの指が、倉前の荷車を示した。
道倉番が手袋を外しながら近づいてくる。年配の兵だった。名乗ろうとして、北道確認の紙を見て口を閉じた。止めたい顔ではない。止める言葉を探して疲れた顔だった。
「砦からは軽い物を先に、と来ています。門からの荷はまとめて北印で来ました。まとめたままでは重い。崩すとどれを先に出すかで揉めます」
「揉めた相手は」
「御者です。砦の兵ではありません」
倉前の御者が、こっちを見た。油布の端を握り、寒さより苛立ちで肩を上げている。
「こっちは北印を受けて来たんだ。砦行きだろう。ここで止められたら、戻り賃は誰が見る」
エルクの目が細くなった。だが、剣には手をやらない。
「怒鳴る話ではない」
それだけ言って荷台の後ろへ回る。麻縄を一束持ち上げ、次に蹄鉄釘の小箱へ手を伸ばした。小箱は見た目より重い。腕の筋が少し動いた。
「これを全部、同じ車で出すのは無理だな」
「無理です」
紙を倉の台に置いた。北道確認。戻り鈴、未定。荷ではない。名は、領内照合。
その下に、道倉の欄を作る。
道倉にある物。
砦へ今日入れる物。
砦へ入れず、ここに残す物。
戻す車。
道倉番が少しだけ身を乗り出した。
「砦へ行く物を減らすのですか」
「砦へ届く物を残します」
言い方を間違えると減らしたように聞こえる。実際に減らす。けれど砦に届かない重さを積んでも砦の物にはならない。道倉で残した物は次の鈴でまだ使える。坂の途中で潰した物は誰の物にも戻らない。
荷台の端に、濡れた泥がついていた。道倉の前ではない。もっと北の、日陰の泥だ。戻ってきた車の後輪だけにある。
「この車は、もう一度北へ行けますか」
御者は答えなかった。
代わりに、馬の右前脚が小さく震えた。
「行けると言えば行かされる。行けないと言えば、怠け者にされる」
道倉番の声が低くなる。
「砦からも門からも早くと来ます。ここで止める理由は紙にしにくい」
だから、順番を切れる者を呼んだ。
小箱の数を数えた。蹄鉄釘は小箱三つ。麻縄は乾いた束が四。灯油は小壺二。道中食料は兵二人分と御者一人分。縄束の下に、余分な薪束が三つ混じっている。
「薪は残します」
御者が顔を上げた。
「砦で燃やす物だ」
「今日燃やす物ではありません。今日切れるのは、馬の脚です」
エルクが短く息を吐いた。笑ったのではない。納得した時の息だった。
「釘と麻縄を先に入れる。灯油は小壺一つ。食料は御者と馬の戻り分を残す」
「矢束は」
「結べなければ束になりません」
道倉番が頷き倉の奥へ声をかけた。兵ではなく荷車の横にいた若い者が走る。縄束の油布が解かれ、乾いている束と湿りを持った束に分けられた。
御者はまだ不満そうだったが、馬の脚から目を逸らさなかった。
「戻り賃は」
「戻り車にします。空で戻るなら、門で戻り鈴が鳴ります」
「空で戻れと」
「馬を戻します。車はその次です」
エルクが荷台から薪束を下ろす。重い物を下ろす手は、速い。けれど乱暴ではなかった。倉の脇に置き、道倉番へ目だけで確認を投げる。
「薪、残し。濡れない場所へ」
「奥の東壁に置きます」
「灯油一つは」
「砦へ。もう一つは道倉封じ」
紙の上で、線が増えていく。砦へ送る物を増やすための線ではない。送らない物を決めるための線だ。
蹄鉄釘の小箱一つと麻縄二束が前の荷台へ移る。灯油の小壺一つは藁で挟まれ、道中食料は半分だけ積まれた。余った食料は倉へ戻さず、戻り車の袋へ入れる。
「戻る者を飢えさせるな」
エルクの声に、若い者が手を止めた。
「砦へ送る荷です」
「戻る馬が倒れたら、次の荷が来ない」
若い者は袋を見た。御者も見る。袋は小さい。だが、そこに戻り分があると分かるだけで、馬の扱いは変わる。
昼前、北から兵が一人下りてきた。
肩の皮紐に、砦の小さな封がついている。息は荒いが、走り切った顔ではない。途中で馬を替えた者の息だった。
「順番を切れる者は、来ていますか」
エルクがレインを見る。道倉番も同じように見た。
兵は封を差し出した。
「砦では車を選べません。上に上げる物と道倉で止める物を分けてほしいと」
封を開く前に中の紙の硬さが指に伝わった。急ぎの紙ではない。何度も折られ、何度も開かれた紙だ。
一行目に、荷の名がある。
二行目に、人の数。
三行目に、馬の数。
最後に、道の距離がある。
砦から道倉まで、軽い車なら二刻半。重い車なら三刻を越える。今の冷えで日が落ちれば戻りの馬は足元を選べない。夜道で一頭を潰せば、明日の荷は二台ではなく一台になる。
敵が来る前に、数が減る。
北道確認の紙へ新しい欄を書いた。
砦へ上げる前に、道倉で捨てる重さ。
御者の顔が、わずかに変わる。
「捨てるのか」
「残す重さです」
「同じだろう」
「違います。残せば、次に使えます。潰せば、何も戻りません」
外で、荷車の車輪が一つ回った。
北へ行く車ではない。南へ戻る車だ。空に近い荷台が、乾いた音を立てて道へ出る。
戻り鈴は、まだ門で鳴っていない。
けれど、戻る車は一つできた。門へ届くまで、まだ鈴にはならない。道倉番が軒下の鈴紐を一度見た。まだ鳴らせないと分かっている目だった。北の風が荷台の油布を鳴らした。
北の兆しは、砦の壁より先に、道倉の前で止まっていた。




