縄くずの印
「捨てないなら、何に使いますか」
子どもは短い縄くずを両手で持っていた。井戸には使えない。荷を縛るにも短い。屋根の上へ持っていけば風に飛ばされる。けれど捨てるにはまだ早い。
縄の端を受け取り、指先でひねった。
「印にします」
「印?」
「配ったかどうかを、紙だけで見ないための印です」
倉の前には配給を待つ者が少しずつ集まり始めていた。孤児/流民/屋根の下に寝場所のない者/井戸が戻らない東井戸村の家/馬が出せず荷を運べない西畑組。誰も大声では求めない。大声で求める力が残っている者は、まだ列の後ろへ回れる。
問題は、声が出ない者だった。
ミリアが配給表を見た。
「冬前の配給は、倉の残量だけで決めると足りなくなります」
「残量だけではなく、戻る日で分けます」
台の上へ札を置いた。
「井戸が戻るまでの分。屋根が塞がるまでの分。馬が歩けるまでの分。寝床が決まるまでの分」
メイナが筆を取る。
「家ごとではなく、戻る日ごとですか」
「家ごとにすると、声の大きい家が前へ出ます。戻る日で分ければ、先に凍るところが見えます」
ルシアが腕を組んだ。
「商人の列なら金を払う順だね」
「ここは、冬を越す順です」
「嫌な順番だ」
「楽な順番ではありません」
縄くずは三つに分けた。ひと結びは今日渡す分、ふた結びは二日後に見直す分、結びなしは列に来たが配給ではなく別の手当てへ回す者。紙に書けば済む話に見えるが、紙を持てない者もなくす者もいる。縄なら手首に巻ける。
「これを、子どもに配らせるのですか」
ミリアが確認する。
「配らせません。配るのは大人です。子どもは列の端を見る」
屋根下で釘と縄を数えた子どもが顔を上げた。
「端?」
「列に入らない子を知っていますか」
その子はすぐには答えなかった。後ろにいた小さな子が別の子の袖を引く。名を呼ぼうとして、口を閉じた。
「知っています」
「連れてくる必要はありません。どこにいるかを、メイナに言うだけです」
「怒られませんか」
「怒られる仕事にはしません」
ミリアがそこへ言葉を足した。
「連れてこられない子は、こちらから行きます。あなたたちに責任は負わせません」
子どもの肩が少し下がった。
冬前の配給の欄に、ようやく文字が入る。配給札=メイナ/列端確認=孤児二人/縄印=商人控えの女/渡し=兵一人/再確認=ミリア。
「兵を渡し役にするのか」
エルクが聞く。
「守るためです。選ぶためではありません」
「兵が選ぶと揉めるな」
「はい。選ぶのは配給表です。渡す腕だけ兵を使います」
商人控えの女が縄くずを受け取った。通行金を分けた時と同じ手つきで結び目を揃えていく。
「銅貨より軽いですね」
「でも、混ざると困ります」
女は少し笑った。
「混ざるものばかり、私に来ますね」
「混ざったものを見分ける人が少ないからです」
女は縄を結ぶ手を止めなかった。
配給の前に倉の中をもう一度見ることになった。昨日、古兵が見つけた湿った塩袋は入口近くへ移してある。使えるうちに先に出す。乾いた袋を奥へ回す。薪束は炭焼きの印で乾いたものと湿ったものを分けた。
倉の中でガレスが動いていた。誰にも声をかけない。
まず入口の左に置かれた札を三枚に分けた。入る札、出る札、残る札。次に古い袋を手前へ引き、袋の口を外ではなく内側へ向ける。湿った跡のある袋には短い縄を横向きに巻き、乾いた袋には縦に巻いた。
薪束の列へ移ると、束の上に札を置かず、床板の隙間へ札の端を差す。踏めばずれる。ずれれば誰かが触ったことが分かる。
最後に倉の柱へ細い線を一本引いた。線の上に今日出す分、線の下に明日以降へ残す分。ガレスはそれを二度見直した。札を声に出して読まない。手だけが入る/出る/残るの順に動く。
レインの目はその動きから離れなかった。
以前、古い帳簿の端で見た折り目と似ている。文字ではなく、置く順で意味を残す形だった。
ミリアも何かを聞きかけたが、口を閉じた。今は説明を引き出す場面ではない。倉が動く形を、壊さずに使う方が先だった。
メイナはガレスの置いた札の順をそのまま別紙に写した。入る/出る/残る/濡れ/先出し/封。
「この書き方でよいですか」
問いに、ガレスは答えなかった。ただ濡れの札を一つ手前へずらす。
メイナはそこだけ書き直した。
配給は昼過ぎに始まった。門前ではなく倉の横で行う。門前に並ばせると通行と混ざる。通行と混ざれば、金を払う者と受け取る者が同じ列に立つ。
最初に来たのは東井戸村の女だった。
「水が戻るまで、一日分だけでいいです」
声が小さい。遠慮ではなく、後ろを気にしている声だ。
メイナが配給表を見る。
「井戸番の控えでは、明日再確認です。今日一日分と、明日の朝まで」
「そんなに」
「戻れば返す必要はありません。戻らなかったら、理由を足します」
商人控えの女がひと結びの縄を渡した。渡し役の兵が麦と塩を持つ。兵は何も決めない。ただ重いものを持って渡す。
次に屋根漏りの家の老人が来た。その後ろに誰もいない。
列端確認の子どもが、メイナの袖を引いた。
「おばあさんの家、もう一人います」
老人は振り返らない。
「寝ています。起きません」
「どこですか」
子どもは指差さずに場所を言った。北の細い路地、割れた桶のある家。声にすれば誰でも分かるが、指を差さないだけで老人の顔が少しだけ守られる。
ミリアが兵に目を向けた。
「持って行きます。列に出られない人を、列にないものとして扱いません」
老人の肩が震えた。泣く前に、兵が荷を持った。
配給は思ったより早く乱れた。
流民の男が二度並んだ。悪意ではない。ひと結びの縄を手首に巻いたまま、別の列へ入ってしまったのだ。
商人控えの女が気づいた。
「結びが同じです」
男は顔を赤くする。
「盗るつもりじゃない」
「分かっています」
ミリアが先に言った。
「だから、ここで止めます。次は、ふた結びの列へ」
男の手首を見る。縄が細すぎる。寒くなれば袖に隠れる。
「結び目を大きくしてください。見えない印は、責めるための罠になります」
商人控えの女は頷き、縄を結び直した。
子どもたちは列を動かさない。ただ端を見る。誰がいないか、誰が二度入ったか、誰が手首を隠したか。決めるのは大人だが、見えている場所が違う。
夕方までに冬前の配給の欄は空欄ではなくなった。だが済ではない。
メイナは最後に、欄の右端へ小さく書いた。
七日後、再確認。
「また七日ですか」
若い吏員が言った。声に嫌気はない。確認だった。
「七日で、嘘が出ます」
配給表を閉じた。
「倉番も薪束も井戸番も屋根補修も馬飼葉も配給も。七日で楽になる仕事と、七日で崩れる仕事があります」
ミリアが仮配置表を受け取る。
「四人の仮配置も、七日目です」
村控え照合/門別控え聞き書き/欠番整理/通行金分類。腐った棚を封じた後に置いた四つの役割だ。冬の配置を増やすなら、先にそこが立っているかを見なければならない。
倉の外でガレスが戸を閉めた。
縄印のついた札が、内側で揺れる音がした。
翌朝、四人分の控えが広間に並ぶことになった。




