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追放された雑用係、敗戦処理の天才だった ~崩壊寸前の辺境領を立て直す~   作者: 山田鰻
第十二章 腐った役所の解体

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棚の鍵

「鍵は三本なのに、錠は四つあります」


役所棟の廊下で、メイナがそう言った。


朝の光は窓から入っているのに、棚の前だけが暗い。帳簿棚は壁に埋め込まれていた。扉は四枚。真鍮の札には、本税/徴発/加算罰/貸借と打たれている。若い吏員の鍵束には、鍵が三本しかなかった。


昨日まで門前で見ていた紙は、誰でも読める場所にあった。今日は違う。壁に埋まった棚と鍵束が、役所の内側に残った処理を隠している。門前でいくら正しい紙を作っても、棚の奥が別の順番で動けば同じ村名がまた別の形で使われる。


「貸借棚は、普段開けません。代替徴発は少なく、月末にまとめますので」


吏員は早口で言った。


「昨日、代替金見込がありました」


ミリアが返す。


「西畑組の馬を確認する前に」


吏員の指が鍵束を握り直し、金具が小さく鳴った。査察官は棚ではなく手元を見ている。


「開く棚から」


声は平らだった。


一枚目は本税。古い紙の匂いが廊下に出た。棚板は乾いている。奥に押し込まれた台帳と手前の台帳では、埃の厚さが違った。


メイナが手前の一冊を開く。


「今年分です」


「奥は」


「前年分です」


「では、今年分だけで」


封じた小紙を台へ置く。小紙には南三村/東井戸村/西畑組の三名と、済/済/済の印があった。本税台帳の同じ村名には済の印がない。南三村と東井戸村は本税未納、西畑組は本税一部。


済という印は、どこかで何かが終わったことを示す。だが本税では終わっていない。門前台帳でも終わっていない。終わっていないものに済が押されているなら、別の棚で先に終わったことにされた処理がある。


「本税ではありません」


メイナが言った。吏員の喉が動く。


二枚目は徴発。こちらの棚は、扉の内側に砂が残っていた。昨日の門前台帳より、紙の端がきれいすぎる。


「使われていない棚ですか」


エルクが聞いた。


「使っています」


「砂の上に、指の跡がない」


徴発控えには南三村/東井戸村/西畑組の名がある。行の横には別の文字を消した跡が薄く残り、刃で削ったのか紙の表面だけ毛羽立っていた。南三村は荷車二、東井戸村は人足六、西畑組は馬一。その隣の欄だけが削られている。


削った欄は空白ではない。紙の毛羽立ちが、そこに何かを書いたことを残している。数字だけなら古い徴発控えで済むのに、削る必要があったのは数字以外の何かがあったからだ。


「昨日の門前台帳では、南三村は明朝荷車一台。東井戸村は明後日から二人ずつ三日。西畑組は干し草二束先納、馬は明朝再確認です」


ミリアが確認札を置く。


「ここには、出した後の残る戸口も、残る火もありません」


「古い控えです。昨日の更新前です」


「では、いつ更新しますか」


メイナが筆を止めずに聞く。


「今日中に」


「昨日は、代替金見込だけ先に書けています」


廊下で、鍵束の鳴る音が消えた。


三枚目は加算罰。扉を開けた瞬間、紙の束が少し前へ滑った。棚の中で押し込まれた跡がある。使われていないのではない。急いで隠した棚だ。


ルシアが眉を上げた。


「こっちは、よく働いてるね」


「商人の棚ではありません」


吏員が言う。


「商人の棚なら、もっと汚く使うよ」


空樽の女が廊下の端で笑った。


「毎日開ける棚は、こんなふうに紙だけきれいにはならない」


加算罰控えの上には、昨日の差分控えと同じ村名があった。南三村は補修加算済、東井戸村は遅延罰予定、西畑組は代替金見込。その下の番号は二十七、二十八、三十。


番号は台帳の足跡だ。抜けた一つが破損なら、破損したという足跡も残る。足跡ごと消えているなら、その番号だけが別の道へ出たことになる。


「二十九がありません」


メイナの声が低くなる。棚の前にいた者たちが、いっせいに紙を見た。


「破損した控えです」


「破損なら、破損控えが要ります。王都へ出す控えにも、抜け番号は残します」


査察官が返す。


ミリアは封じた小紙を加算罰控えの横へ置いた。小紙には番号がない。だが、済の朱が似ている。同じ印かどうかは、まだ言わない。言えば、相手に言い訳の棚を与える。


「貸借棚を開けてください」


吏員は鍵束を見た。三本しかない。


「鍵は、主簿が持っています」


「主簿はどこに」


「朝の集計に」


「呼んでください」


エルクが出口へ目を向ける。兵を増やしてはいない。けれど廊下の端に立つ門番が一人、少しだけ足の向きを変えた。


吏員は動かない。


「呼べませんか」


「いえ」


短い返事の後、ようやく廊下の奥へ目を向けた。その視線の先には、貸借棚ではない小さな引き出しがある。札はない。本税でも徴発でも加算罰でも貸借でもない。


「その引き出しは」


レインが聞く。


「雑紙です」


「開けてください」


「鍵が」


「手元の三本で」


吏員の指が止まった。三本目の鍵は貸借棚ではなく、その引き出しに入った。かちり、と音がする。


ルシアが息を吐く。


「貸借棚の鍵じゃないんだ」


貸借棚の錠は閉じたままだ。錠の縁には、今朝触れた跡もない。札のない引き出しだけが先に開いていた。


貸借棚を開けるための鍵ではない。貸借棚を開けないまま、貸借に似たものを別の場所で扱うための鍵だった。吏員の手元に三本しかない理由が、そこでようやく形を持った。


引き出しの中には細い紙束が入っている。表題はない。だが、中の一枚に見慣れない欄があった。臨時雇人払。南三村は荷車見張り二名、東井戸村は井戸見張り四名、西畑組は馬替え見張り一名。末尾には支払済とある。


村の名は同じなのに、門前で読んだ作業とは違う。荷車を出す話は荷車見張りに変わり、井戸さらいは井戸見張りに変わり、馬の再確認は馬替え見張りに変わっていた。名前を少しだけ変えれば、同じ村から別の仕事が生えたように見える。


昨日、村役たちはそんな人手を出していない。南三村は荷車一台を明朝。東井戸村は明後日から二人ずつ三日。西畑組は干し草二束を先に出しただけだ。


「この七名は、どこで働きましたか」


メイナが聞いた。吏員は答えない。


査察官が臨時雇人払の紙を持ち上げる。


「支払済」


声が廊下に落ちた。


「誰に支払いましたか」


奥の部屋で、椅子が倒れる音がした。


エルクが動く。走らない。ただ、廊下の出口へ立った。


「棚は、まだ閉めるな」


短い声だった。


ミリアは臨時雇人払の紙を見たまま言った。


「本税でも徴発でもない棚から、村の名が出ました」


封じた小紙、加算罰控えの抜け番号、雑紙の中の臨時雇人払。三つが同じ台の上に並ぶ。


一つだけなら書き間違いで逃げられる。二つなら慣例と言える。三つが同じ村名で並ぶと、棚の奥で同じ手が何度も同じ場所へ触れていることになる。


役所の棚は、開いただけでは終わらなかった。開けた順に、別の穴が見えてくる。

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