追放の辞令
辞令の日付が、敗戦の前日になっていた。
レインは卓上の羊皮紙を見下ろし、最初にそこを読んだ。
内容より先に日付を見る癖は、補給記録係として染みついたものだ。いつ出た紙か。いつ受け取った紙か。現物が動く前の紙か、動いた後に整えた紙か。
その違いだけで、責任の置き場所は変わる。
将軍幕舎には、将軍とセドリック、軍監役の書記官がいた。夜明け前だというのに、卓上の燭台は新しい蝋を使っている。外の負傷兵には油を薄く配っているのに、ここだけ火が太い。
「レイン・アストラ」
軍監役が読み上げた。
「王国軍第三兵站隊補給記録係。ルーデン平原会戦後の撤退行動において、補給物資の管理不備、軍備品の無断廃棄、命令系統を介さない兵への直接指示を行った件について、裁定を申し渡す」
声は平らだった。
書かれたものを読む声だ。
誰が何を見たかではなく、誰に何を置くかが先に決まっている声だった。
「戦時下の混乱、および辺境支援任務の必要性を鑑み、厳罰は見送る」
厳罰は見送る。
その言葉だけなら、寛大に聞こえる。
続く言葉が、処分の形をしていた。
「本日付で第三兵站隊より外し、ハルヴェイン辺境領への支援要員として転任を命じる。任地においては、同領の補給記録、倉庫管理、雑務補佐に従事すること」
雑務補佐。
何も任せていないようで、何でも押しつけられる言葉だ。
「出立は」
セドリックの眉がわずかに動いた。
抗議を待っていた顔だった。日程を聞かれるとは思っていなかったのだろう。
「後方輸送便に同乗。今日の夕刻だ」
「護衛は何人ですか」
「何?」
「北東方面の街道状況が分かりません。荷馬車三台なら最低八人。弓を使える者が二人必要です」
セドリックは薄く笑った。
「自分の処分より、馬車の心配か」
「任地に着く前に荷が奪われれば、支援任務が失敗します」
「君はどこまでも帳簿だな」
「帳簿に載る前に失われるものもあります」
将軍が咳払いをした。
「レイン」
「はい」
「これは追放ではない」
わざわざ否定した。
本当に追放でないなら、誰もそんな言い方をしない。
「ハルヴェインは北東の抑えだ。人手も物資も足りん。君の能力を、そこで生かせ」
将軍は最後だけ視線をそらした。
罪悪感か。
それとも、自分は人材を潰していないという言い訳か。
どちらでも、荷馬車の数は増えない。
「承知しました」
頭を下げる。
セドリックが満足げに息を吐いた。
「なお、補給帳簿の原本は軍に残す。君が持ち出せるのは私物のみだ」
そこは早い。
昨夜の三番倉庫で見た欄外の斜線。干し肉十五樽。馬具ごと消えた予備馬十二頭。正式印ではない「別」の跡。
帳簿を恐れている。
「写しの持ち出しは」
「不要だ」
「任地で補給不全の原因を分析するには、近隣軍の損耗記録と流通経路が必要です」
「ハルヴェインの倉庫番にでも聞け」
「それでは同じ間違いを繰り返します」
セドリックは卓の向こうから近づいた。
声を落とす。
「繰り返すかどうかを心配する立場に、君はもういない」
レインはその目を見返した。
勝った者の余裕がある。だが、余裕が本物なら、ここまで念を押さない。
「承知しました。原本は提出します」
持っていた帳簿を卓上に置いた。
泥と血で汚れた表紙。橋で増えた傷。倉庫でついた穀物粉。紙は物を運ばないが、物がどう消えたかだけは残す。
セドリックは表紙に指を置いた。
「最初から素直なら、君もここまで悪目立ちせずに済んだものを」
「副官殿」
「何だ」
「三番倉庫の出庫欄に、正式印ではない斜線がありました」
セドリックのまぶたが、ほんの少し落ちた。
幕舎の火が揺れる。
「面白い見間違いだ」
「見間違いなら、それで構いません」
レインは続けた。
「干し肉十五樽が本当に後方本部へ移送されたなら、倉庫奥の轍も、予備馬十二頭分の馬具も、調べればすぐ合います」
将軍の視線が動いた。
セドリックの顔には笑みが戻っている。だが、帳簿を押さえる指だけが強い。
「負け戦の直後に、また泥の話か」
「泥は、誰の顔も立てません」
軍監役が筆を止めた。
余計なことを言ったのかもしれない。
だが、もう原本は取られる。ならば、残すべきは疑いの形だ。完全な証拠でなくていい。将軍の中に、一度だけ「数が合わない」という棘を置けばいい。
セドリックは帳簿を閉じた。
「下がれ。夕刻まで幕舎外で待機。勝手に兵へ指示を出すな」
「承知しました」
幕舎を出ると、朝の冷たい空気が頬に触れた。
外では、まだ兵が動いている。誰かが水を運び、誰かが馬の脚をさすり、誰かが負傷兵の名を呼ぶ。幕舎の中より、こちらの方が軍らしかった。
ハンスが焚き火のそばに立っていた。
近づいてこない。
それでいい。
近づけば、何かを言わなければならなくなる。言葉は報告書に残らなくても、誰かの目に残る。
レインは遠くから短くうなずいた。
ハンスも、ほんの小さくうなずき返す。
それで十分だった。
夕刻には、北東へ向かう輸送便が出る。
その前に、軍監役の確認署名があると言われていた。
弁明ではない。
処分を受け取ったという記録を、処分された者の手で整えるための署名だ。
空になった手を握る。
原本は奪われた。
役職も失った。
軍服の肩にあった小さな縫い取りも、今日から意味をなくす。
だが、数え方までは置いてきていない。
ハルヴェイン辺境領。
帳簿の上では支援先。
人事の上では厄介払い。
そして、辞令の日付だけが、敗戦の前日を指している。
表向きの栄転は、負ける前から用意されていた。
誰が、レインをそこへ送る必要があったのか。
その答えを隠す紙が、まだこの軍のどこかに残っている。
出発までの数刻で、それを拾えるかもしれない。




