兵站隊の夜
「お前が切られる順番だぞ」
焚き火の向こうで、ダグが言った。
夜の兵站隊は静かではない。呻き声、馬の鼻息、濡れた薪が爆ぜる音、遠くの見張りが交わす短い合図。だが昼間の怒号が消える分、言わなくていいことまで聞こえてしまう。
水袋の口を縛り直していた。
「順番なら、他にもあります」
「逃げる順番じゃない。責任の順番だ」
ダグは火に枝を入れた。
「将軍は負けを認めたくない。副官は自分の印を守りたい。士官は隊を割られたくない。兵は水が欲しい。そうなると、帳簿を持って走り回っていた若造がちょうどいい」
ちょうどいい。
軽い荷ほど、荷台から落としやすい。
レインは革紐を引いた。
「まだ処分は出ていません」
「出る前に分かることもある」
ダグの声は責めていない。疲れているだけだった。長く軍にいれば、負けた日の夜にどの顔が選ばれるか分かるのだろう。
焚き火の横には、乾いた包帯が積まれている。日暮れ前に倉庫で分けたものだ。濡れた箱を切り離したおかげで、使える包帯が半箱分だけ増えた。
半箱。
それでも、なかったよりましだ。
「ロイドは」
レインが聞くと、ハンスが顔を上げた。目の下が黒い。九人目の担架を運んでから、ずっと負傷兵の天幕にいた。
「まだ息があります」
「熱は」
「下がっていません。でも、水を少し飲みました」
救ったとは言えない。助かるとも言えない。ただ、まだ死んでいない。
ハンスは焚き火の前へ膝をついた。
「俺、証言します」
レインは手を止めた。
「何を」
「橋のことです。二番車の車軸も、重装備のことも、レインさんが前の日から言っていたって」
「言うな」
「でも」
「お前が言えば、次の責任の置き場所が増える」
ハンスは黙った。
若い顔に、悔しさがはっきり出る。悔しさを隠すには、まだ負け戦が足りない。
足りない方がいい。
「じゃあ、黙って見ていろってことですか」
「水を運べ」
「水だけですか」
「今夜は、その水で何人かが朝まで残る」
ハンスは拳を握った。
焚き火の光が、その指を赤く見せる。
「レインさんは、悔しくないんですか」
悔しい。
その一言を出せば、少しは楽になるのかもしれない。けれど楽になった分だけ、次の数を見落とす。
レインは包帯の箱を閉じた。
「悔しさで水袋は増えない」
ハンスの顔が歪んだ。
言い方が悪い。
分かっていても、ほかの言い方がすぐに出てこなかった。人の感情に割く手が、いつも足りない。
ダグが低く笑った。
「だから切られるんだ」
「かもしれません」
「認めるのか」
「認めても、認めなくても、明日の水は八袋です」
焚き火の周りにいた兵が、何人かこちらを見た。笑う者はいない。怒る者もいない。ただ、数字を聞いて顔が少し引き締まった。
八袋。
誰もが自分の喉で数えられる量だ。
「配り方を変えます」
レインは小さな板に区分を書いた。
熱のある負傷兵。
歩ける負傷兵。
後衛。
馬。
「後衛の水は班長管理。個人持ちは半分まで。馬は動ける順に飲ませる。弱った馬を見捨てるわけではありません。荷を引ける馬を残さないと、弱った馬も一緒に置いていくことになる」
ハンスは板を見つめた。
「これも、俺がやります」
「名前は出すな。班長からの提案にしろ」
「またですか」
「まただ」
ダグが枝で火をつついた。
「若いの。こいつは自分が残る気で物を言ってない。切られたあとに、誰が水を配るかを見てる」
ハンスは顔を上げた。
レインは何も言わなかった。
そう見えるなら、そうなのだろう。
自分が残れるかどうかは、もう大きな問題ではない。問題は、自分がいなくなったあとに水袋が一か所へ積まれないこと、割れ盾が前列に戻されないこと、濡れた包帯が乾いた箱を腐らせないこと。
仕事は、人より少しだけ長く残ればいい。
「帳簿はどうします」
ダグが聞いた。
「原本は取り上げられます」
「分かっている顔だな」
「分かりやすいです」
「写しは」
レインは外套の内側から小さな紙束を出した。
正式な写しではない。数字も最低限だ。麦、干し肉、馬、水、包帯、橋の通過数。三番倉庫の欄外にあった「別」の跡だけは、文字ではなく点で残してある。
「ハンス」
「はい」
「これは明日の朝、俺が戻らなければダグさんへ渡せ」
ハンスの喉が動いた。
「戻らないって」
「幕舎に呼ばれる」
「いつ」
「夜明け前」
さっき伝令が来ていた。正式な呼び出しではない。「明朝、説明を求める」というだけの言葉。だが、敗戦の夜に説明を求められる者は、だいたい説明を聞いてもらえない。
ハンスは紙束を受け取らなかった。
「自分で持っていてください」
「持っていれば一緒に取られる」
「でも」
「水袋と同じだ。一か所に置くな」
その言い方で、ようやくハンスは手を出した。
紙束を受け取る指が震えている。
「見てもいいですか」
「今は見るな。見れば顔に出る」
ダグがまた笑った。
「本当に嫌な若造だ」
「よく言われます」
「誰に」
レインは少し考えた。
誰に言われたのか、すぐには思い出せない。似たような顔で、似たような声で、何度も言われてきたのだろう。
「だいたい、上の人に」
今度はハンスが小さく笑った。
笑いはすぐに消えたが、消える前に焚き火の周りへ少しだけ広がった。
負け戦の夜に、兵が一度だけ息を抜いた。焚き火の周りで、止まりかけていた手がまた動き出す。
遠くで伝令の足音がした。
硬い靴音。
泥を踏み慣れていない歩き方。
焚き火のそばにいた者たちが、ほぼ同時に黙った。
「レイン・アストラ」
伝令が暗がりから現れた。
「夜明けを待たず、将軍幕舎へ来いとのことだ」
ハンスの手が紙束を握りしめた。
レインは立ち上がった。
まだ水は八袋ある。
包帯は乾いた箱で二つ。
ロイドはまだ息がある。
数えることは残っている。
ただ、次に数えられるのは物資ではない。
この軍が、誰を捨てて形を保とうとしているのか。




