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追放された雑用係、敗戦処理の天才だった ~崩壊寸前の辺境領を立て直す~   作者: 山田鰻
第十章 商人は死臭を嗅ぎ分ける

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空欄の値段

「空欄のある紙に、荷は乗せられない」


最初にそう言ったのは布荷の男だった。


門前に止まった三台の荷車はどれも小さい。荷台には濡れにくい布包み、空樽、割れ物を避けた木箱が積まれている。高価な荷ではないが、捨ててもいい荷でもない。


三人ともルシアが昨夜回した紙を持っていた。門通行確認/銅貨二枚/古橋回りは確認対象外/損が出た場合は門控えと商人控えを照合。その下に支払い日・損をした時の相手・護衛が守る距離・税が決まる日という四つの空欄がある。


空欄は弱点ではない。先に埋めれば命令になり、何も残さなければただの口約束になる。その間に置いた余白へ、今日は商人の言葉を入れる。


査察官は門の脇に立ち、口を挟まずに見ていた。筆だけは止まらない。何を見ているかを、こちらに見せすぎない動きだった。


「空欄を埋めるために呼びました」


ミリアが答える。布荷の男は鼻で笑わなかった。笑うほど余裕のある荷ではないらしい。


空欄を先に埋めて掲示すれば、商人は従うか逃げるかしか選べない。門前で埋めるなら、少なくとも文句を条件へ変えられる。


「領主様が決めることだろう」


「領が一方的に決めた紙は、商人にとって命令です。約束にするなら、荷を出す人の言葉も入れます」


男の目が少しだけ変わった。


横からルシアが口を挟む。「聞かれるのは嫌いでも、書かれるのは好きでしょう」


「書かれた後で破られるのが嫌いなんだ」


「そこは同感です」


二人目は空樽を積んだ女だった。年はルシアより少し上に見える。樽の縁を指で叩きながら、掲示板と査察官を交互に見た。


「まず支払い日だね。荷を通した日か、戻った日か」


「通した日です」


空樽の女が首を横へ振る。「通した日だと、荷が戻らない時に揉める。戻った日だと、領は支払いを引き延ばす」


「では」


「半分は通した日。残りは戻りを確認した日」


メイナの筆が走る。支払い日は通行時半額、戻り確認時半額。


前払いだけでは領が損を抱え、後払いだけでは商人が領を疑う。半分ずつなら、疑いも損も一方に寄りすぎない。


「荷を戻さない商人は」


査察官が初めて口を挟んだ。


「戻り控えがなければ残りは出ない。それでいい」


女はすぐに答え、査察官の筆がその言葉を拾った。


三人目は木箱を積んだ若い商人だった。荷主というより、誰かに任されて来た顔をしている。手元の紙が少し震えていた。


「損をした時の相手は、領主様ですか」


「全部は持てません」


ミリアが言う。


「全部持つと言えば、嘘になります」


若い商人の喉が動いた。


「では、誰が」


「領が守ると書いた距離で止まった損は領が見る。対象外の道へ入った損と、荷そのものの質や梱包不備は商人持ちです」


この線を曖昧にすれば、次の揉め事は必ず損の押しつけ合いになる。誰が失うかを先に書くから、荷を出す前に逃げ道も見える。


「古橋は」


「対象外です」


布荷の男が頷いた。「嫌な紙だが、読める」


「読める紙にします」


ミリアがすぐ返す。その横で査察官の目が一瞬だけ動いた。領主代理の答えを見ているのか、こちらの紙の作り方を見ているのかは分からない。


「護衛が守る距離は」


エルクが門の外へ目を向ける。


「門から石標手前、水桶置き場、一里石まで。戻りは一里石から門まで。古橋側の林へ入ったら対象外」


「一里石の先は」


空樽の女が聞く。


「今日は守れません」


「明日は」


「兵を増やさない限り、同じです」


商人三人が顔を見合わせた。聞きたい答えではないが、隠された答えでもない。


距離を伸ばさない答えは景気よく聞こえない。けれど守れると言った場所だけを守る方が、昨日までのハルヴェインよりは信用できる。


「一里石までで、商売になる荷だけを出す」


ルシアがまとめる。


「空樽、粗布、割れにくい木箱。塩・薬・油・高値の布はまだ出さない」


「フェネル商会は何を出す」


布荷の男が聞いた。


「まだ出しません」


ルシアは笑わなかった。


「出さないのか」


「私が出すと、あなた方は安全だと思う。安全ではない。だからまず、あなた方が損をしても潰れない荷で確かめる」


ここで大商会の荷を先に走らせれば、道の実力より商会名の重さが先に見えてしまう。欲しいのは飾りではなく、誰でも読める小さな実績だった。


「ずるいな」


「商人ですので」


査察官の筆が止まる。


「フェネル商会は、正式契約前に他商人を動かすのですか」


「動かしません。来た人に、何が読めるかを言うだけです」


「実質的には同じでは」


「違います」


ルシアが紙を指で押さえた。


「同じに見えるなら、査察官様の紙には商売が書かれていないのでしょう」


商人たちの視線が査察官へ集まる。査察官は怒らず、筆を伏せてルシアを見た。


「商売とは」


「約束を値段にすることです」


「領の信用を、値段にすると?」


「もう値段は付いています。高すぎて、誰も買わなかっただけです」


三人の商人は手元の紙へ目を落とした。今のハルヴェインは、まだ高すぎる不良品として見られている。それでも値段を下げる方法が、ようやく紙の上に置かれ始めた。


「税が決まる日は」


メイナが小さく聞いた。最後の空欄だ。ここを埋めなければ銅貨二枚はいつまでも預かり金のままになり、預かりが長引けば別の税と変わらなくなる。


「三日後」


ミリアが言った。


エルクが振り向く。「早くないか」


「遅ければ、古い通り賃が戻ります」


査察官の筆が動く。


「三日後、正式通行税第一案」


「第一案です。決定ではありません」


「王都への報告には、第一案提出日と書きます」


ミリアは頷いた。「お願いします」


四つの空欄がひとつずつ埋まった。支払い日は通行時半額と戻り確認時半額。損をした時の相手は、守る距離内の停止なら領、対象外なら商人。護衛が守る距離は門から水桶置き場、一里石までで戻りも同じ。税が決まる日は三日後に第一案。


メイナが読み上げると、布荷の男が紙を見た。


「これなら、空樽からだ」


空樽の女が笑う。「うちの樽だよ」


「先に割れても痛くない」


「割ったら痛いよ」


若い商人が小さく手を上げる。


「木箱は、二つだけなら」


そこで初めてルシアが笑った。


「では、商人控えを三枚。門控えを三枚。新台帳控えを一枚」


「フェネル商会の控えは」


査察官が聞いた。


「まだいりません」


ルシアは答える。


「私の名は、次の紙に載せます」


次の紙と聞いて、三人の商人がルシアを見た。商会主がまだ荷を出さないのに次の紙へ名を置くと言ったのは、逃げる商人の言い方ではない。


門の外で、空樽の荷車が小さく前へ出た。支払い日を書いた紙が風で揺れる。


査察官の筆は、その揺れまで記録するように動いていた。

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