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追放された雑用係、敗戦処理の天才だった ~崩壊寸前の辺境領を立て直す~   作者: 山田鰻
第十章 商人は死臭を嗅ぎ分ける

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査察官の目

王都査察官の馬車は、門の白線の手前で止まった。


車輪は泥を踏まず、御者が先に降りて石の上だけを選んで足を置く。後ろから降りた男は外套の裾を払わず、門番ではなく掲示板を見た。


掲示の文面を一度で読み切る目だった。直した板石・通行確認札・暫定の銅貨二枚。そこに並ぶ言葉の順番を、先に確かめている。


「ハルヴェイン領主代理、ミリア・ハルヴェイン様は」


声は高くも低くもなく、よく通るが怒ってはいない。怒る必要のない者の声だった。


一歩前へ出たミリアが答える。「私です。遠路、ご足労いただきました」


査察官は短く頭を下げた。


「王都軍務会計局より派遣され、職務実態・敗戦関連物資・街道通行の暫定処理を確認します」


言葉の順番が紙と同じだった。職務実態/敗戦関連物資/街道通行。門前で起きた襲撃より先に、王都の紙へ載る順番を置いている。中立の顔をしているが、目はすでに聞く場所を決めていた。


「確認いただく紙は分けています」


門の台へ、メイナが三束を置く。一束目は査察官に見せる紙で、古い通り賃木札の文面写し/門通行確認札の三控え/襲撃報告/負傷者なし・荷損なし・二名捕縛/通行税と見張り費用は暫定扱い。二束目は領主代理の決裁紙で、誰に見せるかをまだ決めていない。三束目は、査察官が求めたものを書くための空の紙だった。


三束の距離はそのまま、見せるものと守るものの距離でもある。混ぜれば隠しているように見え、全部出せば先にこちらの首が差し出される。


「原物は」


「封じています」


「なぜ」


「濡れと改竄を避けるためです。必要であれば、領主代理立ち会いで開きます」


ミリアの声は崩れず、査察官の目だけが一瞬だけ紙束の端へ落ちる。


「古い通り賃木札は、領の正式な税ですか」


「違います」


「では、誰が取ったものです」


「確認中です」


「確認中、ですか」


そこで初めて少しだけ声が乾いた。


「王都への報告に、確認中の語は多すぎると困ります」


「確定していない名を出す方が困ります」


即座に返した声に、エルクの眉が動く。ガレスは門の陰で腕を組んだまま黙っており、ルシアは少し離れて商人が門前へ来る道を見ていた。


査察官が嫌う曖昧さと、こちらが避けたい断定は同じ形をしている。違うのは、その紙を誰が先に使うかだった。


査察官は怒らず「よろしい。では、確定した事実を」と言った。


メイナが襲撃報告を開く。


「昨日、門通行確認札を発行した荷車一台が、一里石手前で襲撃を受けました。荷は偽荷、負傷者なし、荷損なし、襲撃者二名を捕縛、一名逃亡」


「偽荷」


「濡れ砂です」


そこで筆が止まった。


「商人の荷を囮にしたのですか」


「していません」


今度はこちらが答えた。


「商人が失って困る荷は出していません。通れる道・襲われる場所・守れる距離を確認するための荷です」


「商人は承知していた?」


「荷主は承知していました」


「名は」


「商人控えにあります。本人の同意なしに、門前で読み上げません」


査察官の目がこちらへ向く。


名を隠すためではない。門前で読み上げた瞬間、その商人は王都への報告に先に縛られ、次の荷を出す前に動けなくなる。


「あなたが、レイン殿ですか」


「はい」


「敗戦処理で責を負った、元軍務補助の」


責を負った、という言い方だった。追放されたとも罪人とも言わず、王都の紙に残る言葉を選んでいる。


「現在は、ハルヴェイン領の第一案と照合を担当しています」


「決定権は」


ミリアが前へ出た。「私です」


査察官はそこで初めてミリアを長く見た。


「では、銅貨二枚の確認札も、あなたの決定ですか」


「はい」


「正式な通行税ではない」


「はい」


「しかし金を取っている」


「預かっています。正式な通行税が決まれば差し引きます」


「決定日は」


ミリアの指が新台帳の端に触れた。そこはまだ空いている。


空欄は逃げではない。誰の前で埋めるかを残すための余白であり、商人に見せる紙ではそこがいちばん重い。


「空欄のまま、商人へ回したのですか」


「はい」


「不備では」


「商人の前で埋めます。こちらだけで埋めた紙は、約束ではなく命令になります」


査察官の筆先が紙の上で止まり、ミリアはその筆先を見たまま続けた。


「本日中に第一案を作ります」


「本日中」


繰り返した査察官の筆は、今度は止まらなかった。


「王都へは、日付を報告します」


「お願いします」


そこでルシアが小さく笑い、査察官の目が動いた。


「あなたは」


「フェネル商会のルシア・フェネルです。昨夜、通行確認の文面を商人へ回しました」


「領の正式な依頼で?」


「いいえ」


門前の兵が息を詰める。


正式な依頼ではないからこそ、王都の紙にはまだ載せられない。だが商人が商人の名で動いた事実は、朝の門へ荷車を呼ぶ力になる。


「商人として、腐った道と、腐りかけを切り分けた道を見分けるためです」


「商人が査察に口を出すのは、好ましくありません」


「査察に口は出しません。道に荷を出すかどうかに口を出します」


査察官はルシアをしばらく見た。


「フェネル商会」


その名だけを紙へ書く速さは、名を知っていた者のものだった。


「王都にも出入りがある商会ですね」


「細く」


「細い道ほど、よく残る」


ルシアの笑みが薄くなり、査察官はそれ以上を追わなかった。


「本日は街道通行の暫定処理を先に確認し、敗戦関連物資は午後、職務実態は明日とします」


門前に置かれた紙ではなく、目の前の道を先に見る。だが、こちらが伏せた紙へ手を伸ばす気配はない。


順番を変えたのは査察官の判断だった。こちらにとっては、伏せた紙を抱えたまま道を見せられる少ない猶予でもある。


「案内を」


エルクが前へ出る。


「一里石までです」


「その先は」


「まだ守れる道ではありません」


査察官が頷く。


「守れる道」


その言葉を繰り返し、門の外を見た。


遠くで馬の鈴が鳴った。一台ではない。朝の門前へ荷車が三台近づいてくる。どれも札を下げていないが、御者たちは門の掲示板を見ながら進んでいた。


ルシアが小さく息を吐く。


「夜のうちに回した紙を、読める人は読んだようですね」


査察官の筆がまた動いた。


「では、商人の前で確認しましょう」


ミリアの手が新台帳の空欄へ移る。支払い日/損をした時の相手/護衛が守る距離/税が決まる日。まだ何も書かれていない四つの欄が、朝の光を受けて白く見えた。

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