銅貨二枚の道
「八枚なら、古橋へ回る」
小麦の荷主は門前でそう言った。二台の荷車の袋は乾いているが、縄の結び目に雨の跡が残っている。ここで長く止まれば湿りが中へ入るので、商人が苛立つ理由はよく分かった。
「誰が八枚と言いました」
「仮市の男だ。門は新税で揉め、通るなら八枚。古橋なら同じ八枚で早い、と」
門番が困った顔でこちらを見る。通せば税が曖昧になり、止めれば古橋へ逸れるので、どちらも相手の望む形に近い。
「八枚は取りません」
ミリアが前へ出た。
「では、いくらです」
「今ここで、正式な通行税は取りません」
荷主の目が細くなる。
「なら、ただで通れと?」
「違います」
新台帳を門の台に置くと風で紙が浮き、メイナが端を押さえた。
「今日決めるのは税ではなく、通行の確認です。見張りが付く場所と、止まった時の責任を紙にします」
「紙で荷は乾きません」
「だから止める時間を決めます」
荷主の口が閉じた。商人は安さだけで動かない。止まる時間・払う額・荷が傷んだ時に誰へ言えばいいかの三つが分かれば、悪い道でも計算できる。
「門から石標手前まで領の見張り一人。石標手前の水桶置き場で荷馬に水を飲ませる。そこから一里石までは、門へ戻る兵が後ろを見る。古橋へは回らない」
エルクが低く言う。
「一人で足りるか」
「足りません」
「おい」
「だから襲われたら守る約束ではなく、見られている道を通す約束にします」
ルシアが小さく頷いた。
「商人には、その違いが大事です。護衛を買うなら高いが、見張りの目だけなら安い」
荷主が荷台を叩く。
「いくらだ」
「銅貨二枚」
メイナの筆が動き出す。
「通行税ではありません。門・石標・水桶置き場・一里石までの確認札代です。使わなかった分は、次に正式な通行税が決まった時に差し引きます」
「差し引きなど、忘れられる」
「忘れないよう三枚作ります。商人控え、門控え、新台帳控え」
荷主の顔に少しだけ計算の色が戻った。
「八枚よりは安い」
「古橋より遅い」
「それは困る」
「でも古橋より見られます」
ルシアが門の外へ目を向けた。
「今、商人に必要なのは早い道ではありません。あとで言い訳できる道です」
「言い訳?」
「荷が遅れた時、どこを通ったか説明できる道。誰に止められたか言える道。古橋ではそれができません」
荷主の視線が荷車から門札へ移った。
「二枚で、それが買えるのか」
「買えるのは紙です。信用はこれからです」
ミリアの声は震えず、その横でメイナが札の文面を整える。
門通行確認/小麦荷車二台/銅貨二枚預かり/石標手前水桶使用/古橋回り不可。
縦に並べず、一枚の札へ詰めた。商人が持つ紙は、読みやすくなければ意味がない。
「古橋回り不可、は強いな」
エルクが言った。
「禁止ではありません。確認札の対象外です」
「同じでは」
「商人には違います。対象外なら、通っても領は見ない。荷主の責任になります」
荷主が舌打ちした。
「嫌な札だ」
「読める札です」
「だから嫌なんだ」
銅貨二枚が門の台に置かれた。八枚の古い通り賃に比べれば、音まで小さい。
メイナが三枚の札を書き、ミリアが印を押す。印の用途は増やさず、命令ではなく確認として小さな丸印だけを添える。
「出発は」
「今すぐ」
荷主が答える。
「水桶置き場の作業が終わっていません」
「どれほど待つ」
ガレスが門の内側から声を出した。
「二枚目は沈んだ。三枚目に楔を入れれば荷馬は立てる」
「半刻」
「また半刻か」
エルクが眉を寄せる。
「半刻を惜しんで古橋へ入れば、半日消えます」
荷主は荷台の縄を握ったまま黙った。
その間に門の外で別の男が笑った。
「半刻待つなら、一番鈴に出た方がいい」
声の主は干し魚の籠を背負っていた。仮市にいた商人の一人らしく、こちらを見るとすぐ目を逸らす。
ルシアの目が細くなった。
「一番鈴?」
男の肩が跳ねた。
「いや、商人は朝が早いので」
「誰が一番鈴と言ったの」
「誰も」
答えが早すぎる。まだこちらは出発時刻を決めていない。
エルクが一歩踏み出す。男は籠の紐を握り直し、門前の人だまりへ紛れようとした。
「止めるな」
小さく言うと、エルクの足が止まった。
「なぜだ」
「今捕まえれば、ただの口が軽い男で終わります」
「逃げるぞ」
「誰へ知らせるかを見ます」
ルシアはすでに門番へ合図を送っていた。門番の一人が水桶を運ぶふりで男の後を追う。
ミリアが札から顔を上げた。
「一番鈴に出しますか」
「出しません」
荷主が眉を上げる。
「では、いつだ」
「半刻後です。予定は変えません」
「漏れているかもしれない時刻を避けるのではないのか」
「漏れた時刻へ寄せると、こちらが漏れを知ったと伝えることになります」
門の外で干し魚の籠が人の間を抜けていく。
「半刻後に小麦二台/見張り一人/古橋不可/銅貨二枚」
メイナが読み上げる。
「もう一つ」
新台帳へ、仮市・干し魚籠の男・一番鈴を先に言う、と足した。
ミリアがその行を見る。
「査察官に見せる紙ですか」
「いいえ」
「伏せる紙」
「はい」
「理由は」
「これを見せる相手の中に、聞かせたくない者がいるかもしれません」
荷主が札を受け取り、銅貨二枚の紙を濡れないよう懐へ入れた。
「半刻後だな」
「はい。古橋へ回れば、この札は無効です」
「分かっている」
荷主は荷車へ戻った。荷主たちの視線が、古橋ではなく門へ戻る。
道はまだ直っておらず、税も決まらず、見張りも足りない。それでも荷車は古橋へ向かなかった。
半刻後に通る道が誰かへ先に届いていたとしても。




