古い税札
税の話をした男は税吏ではなかった、と塩商の使いは言ってから水を一口飲んだ。門脇に置いた腰掛けは低く、膝の泥が乾かないまま板に落ちている。
「では、誰です」
メイナが筆を構えると、使いは首を振った。
「顔は知りません。ただ、荷を止める側の言い方でした」
「荷を止める側」
「はい。『門で揉めるより、古橋を回れ』と」
ミリアの指が膝の上で止まった。門の掲示板にはまだ新しい通行税の額を書いていないうえ、水桶置き場・見張り・荷損負担も決まっていない。それでも商人は税の話を聞いている。
「どこで聞いた」
「東の仮市です。干し魚の荷台の横で」
壁にもたれたルシアが片眉を上げた。
「その仮市、昨日の朝には立っていません」
「昼前です。雨が上がってすぐ」
「塩商の荷が古橋跡へ逸れたのは」
「昼過ぎです」
「言われた言葉を、できるだけそのまま」
使いは目を閉じ、覚えている言葉をこぼさないように唇だけを動かした。
「門は新税で揉め、石標手前は役所が測っている。今日通るなら古橋を回れ。橋は渡らず、炭焼き道へ抜ければ止められない」
エルクが壁を叩いた。
「古橋を知っている」
「石標手前の測りも知っています」
水桶置き場を測ったのは昨日の午後で、掲示はまだ出していない。門番と水路跡・倉の者・作業にいた兵を足せば、知る人数は多くないが少なくもない。
「これだけでは、誰とは言えません」
エルクがこちらを睨む。
「またそれか」
「はい」
「なら、何なら言える」
使いの膝元にあった濡れた革袋を、ルシアが指した。
「見せてもらえる?」
使いは迷ったあと、塩商の印が入った紐をほどいた。中から出てきた薄い木札は古く、角は丸まり、油が染みて黒ずんでいる。片面には焼き印、もう片面には炭で書かれた新しい線。
「これを渡されました」
メイナの息が止まり、木札には古い字で「北街道通り賃」とある。その下には別の手で細く「本日、門混雑/古橋回り可」と足されていた。
「通行税ではないな」
エルクの声が低い。
「昔の通り賃です」
「領が正式に取る税ではなく、橋番や道番が勝手に取っていた類い。古い街道だと珍しくありません」
「ハルヴェインでも?」
「衰えた道ほど残ります。正式な税が弱くなると非公式の金が強くなる」
ミリアの顔から色が引いた。
「領主家の名で取られていたのですか」
「名だけ使われた可能性があります」
断定はしない。
「その木札は、いつ受け取りました」
「仮市で、税の話をした男からです」
「金は」
「払っていません。古橋を抜けた先で払え、と」
「額は」
「荷車一台、銅貨八枚」
メイナの筆が止まった。
「高すぎます」
「高いのか」
エルクが聞く。
「門で正式に取るなら、今の案では二枚から三枚です。水桶、見張り、道直しを足しても八枚は出ません」
「その差は」
「誰かの腹へ入ります」
使いが肩をすくめる。
「商人は急ぎます。塩は湿ると値が落ちるので、門で止められるより八枚で抜けられるなら払う者もいる」
ルシアの目が細くなった。
「言い方まで商売を知っている」
「脅しではありませんか」
ミリアが言う。
「脅し半分、親切半分です」
「親切?」
「商人はただ脅されるだけなら逃げます。でも損を減らす道を示されると動く。相手はそこを知っています」
使いは木札を見下ろした。「俺も、急いでいたら渡していたかもしれません」
「この木札、門の者に見せましたか」
「見せていません。ルシア様に先に渡せと言われました」
ルシアが肩をすくめる。
「私も嫌われたくないので」
「もう遅い」
エルクがぼそりと言った。
「ひどい」
木札の焼き印を布で拭くと、古い印の輪郭が出た。領主家の紋ではない。だが脇に小さく倉の符丁に似た三本線がある。
ガレスを呼ぶと、その目が一度で細くなった。
「古い道倉の印じゃ」
「道倉」
「橋板・砂利・杭を置いた小倉で、昔は街道ごとにあった。今はほとんど潰れとる」
「古橋にも」
「あった。だが鍵は十年以上前に役所へ戻したはずじゃ」
「役所へ」
メイナの筆先が紙に触れたまま止まる。
古い道倉・戻した鍵・通り賃の木札・昨日の測りを知る男。まだ一本にはならないが、ばらばらでもない。
「査察官に見せる紙へは、どう書きますか」
ミリアが聞いた。
「古い通り賃木札を確認/現在の領税とは別/発行元確認中」
「伏せる紙は」
「石標手前測量の情報漏れ疑い/古橋回りの誘導文言/道倉印」
「道倉印は伏せるのですか」
ガレスが聞いた。
「今見せると、役所の誰かが先に鍵の記録を直します」
古い目が細くなった。
「直す者がおる前提か」
「いないなら記録はそのまま残ります」
「おったら」
「動きます」
ミリアが木札を布に包んだ。「では、こちらも動きます。メイナ、十年前に戻した道倉の鍵記録を探して」
「はい」
「エルク、古橋跡には見張りを置けますか」
エルクは少し考えた。「兵は足りない。だが見張るふりならできる」
「ふり?」
「古橋へ二人出す。実際に見るのは戻る道だ。消しに来るならそちらから来る」
こちらを見たが、悪くない手だった。
「見張り費用は」
ミリアがすぐに聞く。
「半日なら、門の交代をずらせます」
「一日なら」
「足りません」
「では、半日だけ」
無理な命令ではなく残る範囲を先に聞くようになり、最初に倉庫で会った頃とは違う顔だった。
ルシアが使いへ木札の写しを返した。
「塩商にはまだ動かないよう伝えて。門で止まるより悪い道がある、と」
「それで商人が戻りますか」
「戻りません」
「でも騙されて入る商人は減ります」
門の外で、二台分の荷馬の鈴が重なった。
駆け込んできた若い兵が「南から小麦の荷車です。門前で止まっています」と告げた。
顔を上げたエルクが言う。「通せ」
「いえ」
息を整えた兵が続けた。「門の税が分からないなら、古橋へ回る、と言っています」
木札を包んだ布がミリアの手の中で小さく鳴った。




