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追放された雑用係、敗戦処理の天才だった ~崩壊寸前の辺境領を立て直す~   作者: 山田鰻
第九章 街道を取り戻せ

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古橋跡の轍

轍は橋へ向かわず、古橋跡の手前で斜めに曲がっていた。石を渡る道ではなく、橋の杭を避けて草の低い方へ逃げている。


「商隊が迷っただけではないのか」


エルクは剣の柄に手を置いたまま言う。


「迷ったなら橋を見ます」


湿った土に膝をつき、まだ崩れ切っていない轍の端をなぞる。


「これは見ていません。最初から横へ行っています」


ルシアが外套の裾を持ち上げ、泥を避けて近づいた。


「塩商の荷車なら、こっちへ入らない。橋が落ちかけているのは商人の間では有名です」


古橋は橋とは呼べない形で残っていた。太い杭が二本、川幅の半分ほどまで黒く濡れて立っている。板はなく、片側の石組みに古い苔がこびりついていた。荷を積んだ車が渡れる場所ではない。


「なら、なぜ車輪跡がある」


「誰かがここへ来させた」


口に出すと、若い兵が喉を鳴らした。


「盗賊ですか」


「まだ決めない」


筆記板を出して轍の幅を測る。片輪から片輪まで、大人の歩幅で二歩と少し。荷馬車としては狭いが、片方の跡だけが深い。


「荷が偏っているか、途中で積み替えています」


「積み替え?」


エルクの声が低くなる。


「ここで荷を下ろしたなら、争った跡があるはずだ」


周囲を見ると踏み荒らされた草は少なく、血も折れた矢も切れた革紐もない。あるのは二頭分の蹄跡と、荷車一台分の轍だけだった。


「襲われた場所ではありません」


「なら、どこだ」


「荷を移した場所です」


ルシアが小さく息を吐いた。


「嫌な見方をしますね」


「商人の見方では」


「もっと嫌です。塩は重いので、盗むだけなら袋を裂く。でも商人の荷として売り直すなら、袋を濡らさないで移す」


川から湿った風が上がってくる。古橋の下は浅いが、岸の草は倒れていた。水辺へ荷を運んだ跡ではなく、車輪は草の低い方へ続き、林の細い切れ目で消えている。


「その先は」


若い兵が首を振る。


「古い炭焼き道です。今は使っていません」


「見張りは」


「置いていません。石標から外れます」


置いていないから見られず、見られないから通れる。


「追うぞ」


エルクが一歩出た。


「十歩だけです」


「十歩?」


「林へ入る手前まで。追跡ではなく確認です」


「逃げられる」


「今追えば、こちらの人数も道も知られます」


若い兵の顔が強ばった。石標手前ではまだ板石を戻している途中だ。ミリアとメイナが残り、ガレスが割れ石を選んでいる。門も水路跡も薄い。


「王都査察官が来る前に、追いかけて転ぶわけにはいきません」


エルクの眉間に皺が寄った。


「盗られているかもしれない荷を放っておけと?」


「放っておくのではありません。取り返せる形にします」


筆記板へ、古橋跡・片輪深し・争跡なし・林道へ逸れる・荷移し疑い、と短く入れた。


「証拠が要ります。誰が、いつ、どの道へ誘導したか」


「商人の使いに聞けばいい」


「聞きます。ですが使いは轍を見ただけで、誘導した者を見ていない」


ルシアが古橋の石組みに手を置き、苔を少し削った。


「塩商がここを通る理由は三つです。正道が危ないと言われた。正道の税が高いと言われた。正道を通ると荷を止められると言われた」


「誰に」


「商人が信じる相手です」


野盗の噂なら商人は護衛を増やし、道の悪さなら車を減らす。だが商人が信じる相手から別道を示されれば、荷は自分の足で危ない場所へ入る。


「通行税の掲示は、まだ門だけです」


「だから余計に揺れる」


ルシアの声は軽くなかった。


「新しい税が決まっていないなら、古い取り方をする者が出る。『こっちなら早い』『こっちなら止められない』。そう言うだけで、焦った商人は動く」


林の手前まで十歩進むと、火の跡があった。石を三つ並べただけの小さな炉で、灰は雨に潰れているが芯は黒い。古い焚き火ではなく、周囲の草には馬の食い残した枯れ草が混じっていた。


若い兵の顔色が変わる。


「誰か、泊まっています」


「見張りだ」


エルクが言った。


「盗賊が見張りを置くか」


「置きます。けれどこれは道を見ています」


炉の向きは古橋ではなく、石標へ戻る道に向いていた。横道へ入る荷車を待つ場所ではない。石標側から誰が来るかを見る場所だ。


ルシアがしゃがみ、炉の脇から細い紐を拾い上げた。濡れて黒くなった麻紐の端に小さな鉛片が残っている。


「荷札の封です」


「塩商のものか」


「分かりません。ただ、商人が自分で切る位置ではない」


鉛片の印は雨で滲んだのではなく、刃物で表面を削られていた。


「印を消した」


「消してから捨てたか、捨てる前に消したか」


ルシアが紐を布に包む。


「どちらでも、まともな商いではありません」


エルクが林の奥を睨んだ。


「十歩と言ったな」


「はい」


「十一歩目は」


「戻ります」


返事が途切れた。遠くで石を打つ音がした。石標手前の作業場から届く、思ったより小さい街道を戻す音だった。


「今動かせる兵は何人だ」


「門からも水路跡からも出せません。出せるのは、ここへ来た一人とエルク様です」


「俺を一人に数えるな」


「数えます」


不満そうな息が返る。


「戦える数ではなく、抜けた時に穴になる数です」


エルクの手が剣から離れた。


「嫌な数え方をする」


「今は、それしかありません」


古橋跡へ戻り、誰かが踏み消せば分かるよう轍の横に小枝を立てた。深い方の車輪跡には石を置かず、浅い方だけに小さな印を残す。


「消される前提ですか」


若い兵が聞いた。


「消されるなら人が来ます」


「来なければ」


「ここはまだ使われます」


門へ戻る前に、ルシアが足を止めた。


「ひとつ商人側で聞けます。塩商が最後にどこで税の話を聞いたか」


「お願いします」


「貸しです」


「新台帳に書いておきます」


「帳簿に貸しを書く男、嫌われますよ」


「消える貸しよりいい」


ルシアが少しだけ笑った。


石標手前へ戻ると、板石の一枚目は戻っていた。だが二枚目はまだ浮き、三枚目の割れ口には楔が入っていない。


ミリアがこちらを見た。


「古橋跡は」


筆記板を渡すと、ミリアの目が行を追って止まった。


「荷移し疑い」


「確定ではありません」


「確定でなくても、査察官には見せるべきですか」


「見せる紙と、まだ伏せる紙を分けます」


メイナが新台帳を開いた。


「見せる紙は」


「古橋跡に轍あり/通行不可の古道へ逸れる/領内確認中」


「伏せる紙は」


「封を削った鉛片/非公式見張り跡/荷移し疑い」


ミリアが頷く。


「隠すのではなく、先に確かめる」


「はい」


「では、次に確かめるものは」


ルシアが濡れた麻紐を布の上に置いた。


「税の話です」


石標手前で二枚目の板石が鈍い音を立てて沈んだ。道は一枚戻ったが、古い税の匂いが戻した石の下から出てきていた。

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