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追放された雑用係、敗戦処理の天才だった ~崩壊寸前の辺境領を立て直す~   作者: 山田鰻
第八章 衰退の設計図

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十年分の端

乾いた古控えは端から崩れた。


紙の角が粉のように木箱の蓋へ落ちる。メイナの指が止まった。


「触らない方がよろしいでしょうか」


「触らねば読めん」


短い答えが返る。


「だが、急いで読む紙ではない」


南倉の上段には昨日広げた古控えが五枚並んでいた。七年前・六年前・年の読めない一枚・四年前・端にだけ年号が残った古い紙。


十年分には足りないが、一年分でもない。


欠けた年があり、残った年がある。紙の流れはそこでもう歪んでいた。


「全部、床下にあったのか」


「全部ではない。残せたものだけじゃ」


「誰が残した」


「知っている者は、たぶんもうおらん」


倉の中で、鍵束の音だけが小さく鳴った。


入口の外には領主代理が立っている。今日も中へ踏み込まない。倉を開ける者・紙を読む者・決める者。その線を崩さないためだ。


「読める年だけで並べます」小さな札が置かれる。七年前・六年前・年号不明・四年前・年号欠け。


トマが札を見て少しだけ顔をしかめた。


「年号欠け、ですか」


「古い、よりましです」


「確かに」


鼻が鳴る。


「雑用係より細かい小僧になったな」


「褒めていますか」


「半分じゃ」


トマは返事に困り、筆へ逃げた。


一枚目、七年前。塩の通行税は低く、修理費は別に立っている。兵の賄いは街道護衛費と同じ紙に載っていた。


二枚目、六年前。通行税が少し上がり、修理費は下がる。荷車修繕の欄には取消の線。


三枚目、年号不明。塩の行は薄く、釘の行は消されている。代わりに「役所控えへ移す」の細い文字が残っていた。


読み上げられる。


「どこの役所ですか」


「書いていません」


「領主館内か、外か」


「分かりません」


エルクが腕を組んだ。


「分からないことが増えている」


「はい。ですが、分からない場所は分かりました」


「嫌な言い方だ」


「はい」


トマが原本に書く。役所控えへ移す/移し先不明/確認待ち。


「また確認待ちか」


「決めるには足りません」


「足りない紙ばかりだな」


ガレスの指が古控えの端を押さえる。


「足りる紙なら床下に隠れん」


指の下で紙の端だけが曲がった。


四年前の紙では通行税がさらに上がっていた。修理費は街道ではなく倉費に混ざり、兵の賄いは別紙参照に変わっている。


その別紙はない。


「探しますか」


「場所を先に書きます」


床下・上段・封箱・帳簿棚・領主館の会計室。


「別紙参照は、役所欄です」


「また役所」


エルクの声が低くなる。


「紙が役所へ行くほど、現物から離れます」


「現物から離れると」


「見えなくなります」


「見えなくなったところで、数字が変わる」


バルドの言葉に小さく頷いた。


「可能性です」


「断定しない」


「はい」


「その言い方にも慣れてきた」


「慣れない方がいいです」


「だろうな」


年号欠けの古い紙は一番読みにくかった。端は裂け、墨は薄い。だが紙の質も罫線も、他の古控えとは違う。


記録係が顔を近づける。


「ここ、項目名が違います」


「どこですか」


「修理費の横です」


紙へ視線を落とす。今の帳簿にない欄があった。文字は欠けている。読めるのは、最後の一字だけ。


役。


「役、ですか」


トマの声が細くなる。


「役人の役か」


エルクが聞く。


「分かりません。役目の役かもしれません」


「職名ですか」


入口の外からミリアが言った。声が少し低い。


「その可能性があります」


筆を構えたまま待つ。


読めない文字を読めたことにしてはいけない。だが読めないまま捨ててもいけない。


「見慣れない肩書き欄。末字=役/前二字欠け/意味不明/確認待ち」


そのまま記録される。紙を睨む目が細くなる。


「そんなものが、今の役所にあるのか」


「今の役職表にはありません」


領主代理が答える。


「見たことがありません」


「古いだけか」


「古いだけかもしれません。でも、修理費の横にあります」


ガレスの指が一瞬だけ止まった。


「ガレス」


領主代理が呼ぶ。


「知っているのですか」


すぐには返らない。


倉の奥で、古い木箱が乾いた音を立てた。


「字が欠けとる」


「知っているのですね」


若様が踏み込む。


「覚えがある、というだけじゃ」


「何の」


「倉と道と兵を、同じ紙に置いていた頃の体裁だ」


「体裁?」


「書き方じゃ」


それ以上は出なかった。


追わない。今、言葉だけを引き出せば紙より先に話が走る。


新台帳に書く。体裁に覚えあり/意味未確認。


「それで止めるのですか」


領主代理が聞いた。


「止めます」


「気になります」


「私もです」


「でも、止める」


「はい」


しばらくして領主代理は頷いた。


「では確認待ちで」


削られた木印を取る。確認待ち。


倉の入口でルシアがずっと黙っていた。


「商人としては、何か言いませんか」


領主代理が聞く。ルシアは肩をすくめた。


「古い肩書きの意味は分からない。知らないものを知っているふりをすると、商人は損をする」


それから古控えの一枚目を指す。「ただ、税が低い頃に修理と兵と荷が近い場所に載っていた。それは気になる」


「別々では駄目なのですか」


「駄目とは言わない。でも別々にすると、誰かが間を抜ける」


「間」


「荷を通すための修理。修理を守る兵。兵を残すための支払い。支払いのための税。税を払う商人。商人が通る道」


指が一本ずつ折られていく。


「全部を一人が持つと危ない。でも別々にしすぎると、誰も間を持たない」


「間を持つ者が消えた」


トマが小さく言った。


若様がそちらを見る。


「いえ、断定ではありません」


「覚えたな」


バルドが言う。


「確認待ちです」


記録係がそれを書きそうになり、こちらを見た。首を振る。


「今のは書きません」


「なぜ」


「強すぎます」


「でも、近い?」


古控えを見る。「近いかもしれません」


昼までに八枚まで確認できた。


十年分には届かない。同じ年の重複もあり、年号の欠けた紙もある。それでも並べると形は見えた。


古い方では塩・釘・飼葉・荷車修繕・兵の賄いが同じ紙の近い場所にある。新しい方へ近づくほど税は上がり、修理費は別紙へ逃げて兵の支払いは注記になる。荷の数は減って役所控えは増える。


「衰退の始点は」問われて、新台帳の空欄を見る。


昨日は何も書けなかった場所だ。今日もまだ一行では書けない。


「始点ではなく、端です」


「端」


「今見えているのは、壊れ始めた場所の端です」


「どこですか」


年号欠け・七年前・六年前の三枚を並べる。


「このあたりで、紙の置き方が変わっています」


「それが衰退か」


エルクの問いにすぐ首を振った。


「まだ違います。衰退する形です」


道が傷む。修理費が別紙へ移る。兵の支払いが注記になる。税だけが上がる。商人が減る。荷が減る。荷が減るから、また税を上げる。


「輪か」


バルドの声がした。


「はい」


「誰かがそうしたのか」


エルクの問いは重かった。


偶然壊れたのか。誰かが壊したのか。王都から査察官が来る今、その答えを急ぎたくなる。


木印を見る。


「まだ分かりません」


「またか」


「はい」


「腹が立つな」


「はい」


エルクは一度目を閉じ、それから開いた。


「だが今決めるよりはましだ」


ガレスの口元がほんの少しだけ動く。


「若様も、紙に噛まれてきたのう」


「うるさい」


「褒めておる」


「半分だろう」


「よく分かったな」


小さな笑いが起き、すぐ消えた。午後、門前に新しい紙が貼られた。


十年分の端。古控え八枚確認/年号欠けあり/税上昇と修理費移動は同時期の可能性/兵支払い注記化/役所控え増/見慣れない肩書き欄は末字のみ確認/意味不明/確認待ち/衰退の始点未確定。


「見慣れない肩書き欄まで貼るのですか」


記録係が聞いた。


「貼ります」


領主代理が掲示板を見る。


「意味は書きません。隠していると思われる方が悪い」


「王都の査察官も見るかもしれません」


「見せます。ただし、こちらで意味を決めたふりはしません」


ガレスは少し離れた場所で掲示を見ていた。何を思っているのかは読めない。


新台帳へ戻り線を引く。古い肩書きの欄/税上昇/修理費移動/兵支払い注記/役所控え増。


それぞれの横に街道・税・兵・商人・役所を置く。


線はまだきれいにつながらない。だが、端は見えた。


夕方、領主代理が新台帳の前に立った。


「明日は、税ですか」


「はい」


「領民には痛い話になります」


「はい」


「兵にも」


「はい」


「商人にも」


「はい」


息を吐いてから掲示板の前へ目を向けた。


「では、私が前に立ちます」


「お願いします」


「あなたは」


「紙を出します」


「冷たいですね」


「冷たい紙でないと、熱い話を支えられません」


少しだけ笑われた。


「今のは、書かない方がいいですね」


「はい」


遠くでトマが不満そうにした。


「聞こえました」


「書かなくていいです」


「分かっています」


けれど、控えの端に小さく何かを書いた。記録係は見ても消さなかった。


夜、新台帳の空欄へ初めて一語を置く。断定ではない。年号でも人名でもない。


分離。


荷と修理と兵が同じ紙から離れ始めた。そこが今見えている端だった。


その下に明日の行を書く。


税を開く。

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