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追放された雑用係、敗戦処理の天才だった ~崩壊寸前の辺境領を立て直す~   作者: 山田鰻
第八章 衰退の設計図

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王都査察官

赤い封蝋は、門前の掲示紙より重かった。


封書の端で止まったミリアの指の下に、王都軍務会計局の印とセドリック・ヴァンハイムの名がある。書かれているのは、処分者レイン・アストラの職務実態を査察するという一文だった。


西門の前で配給鍋の火だけが細く鳴る。夕方に貼ったばかりの掲示紙には「止血、ひとまず完了。流通確認へ」とある。


その横に来た王都の紙だけが新しい傷のように赤かった。


「いつ来る」


エルクの声は低い。剣に手はかけていない。それでも、門の左右にいた兵たちの背がそろった。


「書かれていません。派遣する、とだけ」


「明日かもしれない」


「はい」


「十日後かもしれない」


「はい」


舌打ちは出なかった。ミリアの兄は西門の外へ目を向ける。古井戸へ続く白い道は、夕暮れで灰色に沈みかけていた。


「なら、門を固める」


「門だけでは足りません」


新台帳を開く。さっき足したばかりの欄はまだ乾ききっていない。


王都査察官。到着前に、止まるものを数える。


「査察官が門を見るなら、門を固めればいい」


「書簡にあるのは門ではありません。職務実態と敗戦関連物資の運用です」


レインが封書の一文を指すとミリアの指に力が入った。


「私たちがレインさんに何をさせているか」


「はい」


「それと、ここにある物資をどう動かしているか」


「はい」


門前で掲示板を見る顔が増えた。


彼らは今日、ようやく止血の終わりを口にした。次の紙で王都はその止血をした者の役目へ刃を向けてきた。


「お前を隠すか」


エルクが言った。


「隠しません」


答えはミリアの口から先に出た。


「相手はレインを処分者と書いている」


「だから隠せません。隠せば、私たちが彼に決めさせているように見えます」


「実際、第一案はこいつが出している」


「決めているのは私です」


声は震えなかった。


「査察官に聞かれたらそう答えます。配給・支払い・商人との条件は領主代理である私が決めています。レインさんは現物と帳簿を合わせて第一案を出す。役目はそこで切れます。それ以上でも、それ以下でもありません」


口を挟む場所ではない。前へ出ればミリアの決定が薄くなり、下がりすぎれば彼女だけが矢面に立つ。必要なのはその間の線だった。


「査察対応欄を作ります」


メイナが筆を取った。


「七欄の右に細く」


水・荷・金・税・修理・兵・役所。その横へ査察時に聞かれることだけを置く。


トマが小さく唸った。


「水からですか。王都の査察官が水桶まで見ますかね」


「見ないかもしれません。でも水が止まれば配給も鍛冶場も止まります。理由を説明できなければ物資運用も説明できません」


「古井戸、百九十二歩」


「書いてください」


「歩数まで」


「短くなったか長くなったか、あとで見ます」


トマは顔をしかめたが、消さなかった。


門柱の陰で革袋の金具が鳴る。帰りかけていたルシアがまだ残っていた。


「荷は石標までの試験荷二走、帰還済み。未着商隊は未着のままでいい?」


「はい」


「嫌な紙だね。商人は見つからない荷を書く紙を嫌う」


「戻ったことにはできません」


「もっと嫌うのは、未着をなかったことにする領地だよ」


軽い声なのに、目は笑っていない。


「フェネル商会は試験荷二走の控えを出せる。塩商・薬種商・縄商にも控えを持たせる。ただし領主館のために嘘はつかない」


「それで構いません」


ミリアの返事は早かった。


「嘘を合わせるくらいなら、ずれを貼ります」


「高くつく領主代理だ」


「安く済ませた結果が、今なので」


一瞬だけルシアの口元から笑みが消えた。すぐに肩をすくめる。


「その返し、商人には効く」


南倉の方から鍵束の音が近づいた。ガレスは封書を一目見て、驚きもせずに言う。


「倉を見に来るなら、倉を片づけるな」


メイナの筆が止まった。


「片づけないのですか」


「片づけた倉は、片づけた後しか見せん。今ある不足・封・傷を見せる。隠して整えると、あとで数が合わん」


「倉は現状維持。封残・鍵・出入記録を並べます」


「それと、古い控えを出す」


ミリアが顔を上げた。


「古い控え?」


「十年分まではない。残っている分だけじゃ」


「どこに」


「南倉の床板の下」


エルクの眉が寄った。


「なぜそこにある」


「捨てられん紙は、見つからん場所へ行く」


それ以上の説明はなかった。


レインも問わない。今ほしいのは理由ではなく紙の場所だ。床板の下へ行った理由は読んでからでいい。


「今夜出しますか」


「出さん。夜に床板を上げると、鼠も湿気も動く。明朝、火が入ってからじゃ」


メイナがすぐに書く。


南倉古控え、明朝確認。ガレス立会い。


「確認待ちの印だな」


削られた木印を取り出す。


臨時実務整理役の印。押せるのは第一案・照合済・確認待ち。命令済にも決定済にも押せない。


「確認待ちで押します」


「それでいい。王都の者は誰が決めたかを聞く。誰が開けたか、誰が見ただけかも聞く。そこを混ぜるな」


ミリアが頷く。


「決めたことは私の名で」


「開けた倉はわしの名で」


「記録した紙は私の名で」


メイナが続けた。


少し遅れて、トマが掲示板を見る。


「掲示した紙は、俺の名で」


「兵の配置は俺だ」


「伝達は、俺も持ちます」


横からバルドが口を挟む。


エルクが目を細めた。


「勝手に増えるな」


「若様一人で全部言うと、兵が固まります」


不満そうな息が出た。否定はしない。


「なら、俺とバルドだ」


メイナの筆が走る。配置はエルク、伝達はエルクおよびバルド。


七欄を見直す。水と荷には現物があり、修理と兵にも今日の紙がある。薄いのは金と税と役所だった。


「金が弱いですね」


ミリアの表情が変わる。


「支払いのことですか」


「支払いだけではありません。前払い・残額・通行税軽減・炭代欄・準備金・未払いが、別々の紙に散っています」


「一枚にします」


「はい」


「税は」


「もっと弱いです」


税という言葉に、門前の視線が銅貨袋へ落ちた。


「今夜は集めません」


先に言った。


「査察官に見せるために、領民から急に取ることはしません」


「それは私の名で貼ります」


「貼るのか」


「貼ります。王都から紙が来ても、今日の配給や税は変えません。変える時は理由を書いてからです」


「領民が安心すると思うか」


「安心はしないと思います。でも急に奪われると思わせるよりはいい」


税欄に一行が入る。


査察官派遣通知後は即時徴収なし。変更時は理由掲示。決定は領主代理。


「役所は?」


メイナの問いで全員の視線が領主館へ向いた。


会計室・倉番・古い役人たち。逃げた書記官の空席。


「先に紙の出入りを見ます」


「人ではなく紙か」


「人から見れば言い逃れになります。館の中で止まった紙、門前へ出た紙、倉へ戻った紙。そこを先に押さえます」


失われた証拠の穴を誰も忘れていない。


「全部貼ると、板が足りません」


トマが掲示板の空きを測る。


「門前には要約だけ。原本は新台帳。商人控えはルシアさん、倉控えはガレスさん、領主館控えはミリア様。トマさんは掲示控えを持ってください」


「また増えた」


「増えました」


「嫌な仕事です」


「はい」


ため息をつきながらも、トマは右端の紙を詰めた。


夜が深くなる。鍛冶場の火は落ち、配給鍋も洗われた。古井戸道の白い線はもう見えにくい。


それでも門前の小机だけは明かりを残す。


「油は半刻だ」


エルクが言った。


「半刻で十分です」


完璧な紙はいらない。明日の朝、南倉の床板を上げる前に、何を見るかが決まっていればいい。


査察官が来る前に、領地の弱いところを王都より先に見る。


メイナが最後の見出しを書いた。


査察前確認。


水=古井戸百九十二歩/荷=試験荷二走と未着商隊/金=支払い紙統合/税=即時徴収なし/修理=釘封残と優先順/兵=配置と伝達/役所=紙の受け渡し。


トマが門前掲示用に短く写す。


王都査察官、到着前。止まるものを先に数える。


ミリアはその紙を見て短く息を吐いた。


「これを貼れば、王都に怯えているように見えるでしょうか」


「見えます」


正直に答えると、少しだけ笑われた。


「ですが何も変えない方がもっと悪く見えます」


「そうですね」


領主代理の印が押される。その下に削られた木印を置いた。


第一案。


まだ決定ではなく照合も済んでいない。それでも見る場所は決まった。


ルシアが革袋を肩にかける。


「明朝、塩商と薬種商に控えを持たせる」


「お願いします」


「お願いじゃない。こちらの身を守るためだよ」


門の外へ出かけてふと振り返る。


「王都の人間は、商人より綺麗な紙を好む?」


「たぶん」


「なら、泥のついた紙を見せるといい。綺麗な嘘より読みやすい」


門が閉じた。


今夜追うものはない。隠すものも増やさない。ただ出す紙を分ける。


封書は新台帳の横に置かれた。赤い封蝋の紙・門前掲示の紙・商人控え・倉控え。どれも薄いのに、重さは違う。


次の頁へ、明朝の行を書き足す。


南倉古控え確認/金と税の紙統合/役所内紙流れ聞き取り。


最後に、もう一行。


床板の下の紙は誰が隠したのか。


乾ききらない墨の横で、古い倉の鍵が一度だけ鳴った。

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