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追放された雑用係、敗戦処理の天才だった ~崩壊寸前の辺境領を立て直す~   作者: 山田鰻
第七章 名もなき雑用係の価値

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止血の終わり

止血集計の紙は、朝から門前に貼られていた。配給は二列を継続し、塩湯は後半調整済み。札籠は赤黒で分けた。倉では塩一袋に封をし、薬草は兵舎薬箱と診療小箱へ分け、釘残と油壺の保管も記録した。西門から古井戸までは通行可・水路跡は待機二・石標までの次走は帰還。商隊の荷量は一・二五倍・油壺は破損なし・井戸縄は結び方確認済み。護衛帰還者は休養、前線指揮はエルク。


どの行も勝利の言葉には見えなかった。少ない・薄い・封・確認待ち・休養。そんな言葉ばかりだがどれも止まってはいない。


レインは門前の小机で紙の端を押さえていた。朝の風が強く、紙は何度もめくれかける。そのたびに、トマが石を置き直した。


「石が足りません」


「紙押さえの石ですか」


「はい」


「では、割れた砥石の欠片を使ってください。刃を研げない欠片です。紙なら押さえられます」


トマは少し考えて頷いた。


「それも書きますか」


「書きません。書くと、紙押さえの石まで管理項目になります」


トマの目が丸くなり、それから小さく笑った。


「それは嫌です」


配給列は昨日より早く動き始めた。鍋は一つのままだが受け取り口は二つある。器持ちと水汲み帰りが分かれ、赤い札と黒い札は別々の籠に入った。メイナが控えを見て、トマが札を割る。ゴルツは鍋のそばで腕を組んでいた。


「午前のこぼれは」


「まだゼロだ」


「では、午前途中、こぼれなし」


トマが書くと、ゴルツは紙を見て嫌そうな顔をした。


「細かい」


「昼までゼロと書くなと言われたので」


「言い返すな」


返事をしても、トマは筆を止めなかった。


鍛冶場では釘箱が開かれ、使う分だけを出して残りにすぐ封を戻していた。鍋の取っ手・桶枠・荷車軸・兵装の石突き。順番は昨日の第一案から大きく変わっていないが、一つだけ差し替えがあった。


「鎌を先にします」


老鍛冶師が言った。


「理由は」


メイナが聞く。


「農民が昼に戻る。返せば、夕方までに飼葉が増える」


「鍋は」


「一つ待つ。穴は小さい。夕まで持つ。鎌は戻らんと草が増えん」


鍋を抱えた女は口を開きかけたが、すぐ抱え直した。


「夕までに」


「夕までに」


修理欄には、鎌一件繰り上げ・鍋一件夕方・理由は飼葉と書き付けた。


「そういう順番も、第一案ですか」


門前に立つミリアが聞いた。今日は領主館の者を二人だけ連れている。見栄のためではなく、紙を運ぶためだ。


「現場修正です。第一案を変える時は、理由を残します」


「誰が変えたかも」


老鍛冶師が眉をしかめた。


「わしの名もか」


「はい。次に同じ判断をするとき、助かります」


文句を言いかけた顔は、途中で止まった。


「なら、書け」


昼前、水運びの女たちが古井戸から戻った。新しい短縄は二つとも残り、濡れて少し締まっている。結び目はほどけていない。


「古井戸の方は使えます」


「南倉裏は?」


「少し短いです。桶を置く時に引っ張られます」


門の外で縄商が顔をしかめた。


「短二束と言いました」


「聞いています。南倉裏は、次は長さを変えます」


「長縄は高い」


ルシアが横から言う。


「短縄三束では」


水運びの女が縄を持ち上げた。


「結び目が増えると、桶が引っかかる」


縄商は少し黙り、それから「中縄を作ります」と言った。長縄より短く、短縄より長い。値は上がる。


ルシアが楽しそうに笑った。


「新しい商品ができた」


「笑い事ではありません」


「いいや、笑い事だよ。使い方を見たから、売り物が変わった」


次走条件には、南倉裏は中縄候補、古井戸は短縄継続と書き加えた。


「これも再建ですか」


「はい。水が止まらないので」


昼、メイナが集計を読み上げた。配給は午前こぼれなし・後半調整完了・病人と幼児分は配布済み。倉は封残変化なし・薬草使用はユード頬洗浄一・セム熱湯一。修理は鎌一繰り上げ、鍋一夕方。古井戸道は水桶こぼれなし、南倉裏は縄長さ不足。商隊は次走条件修正あり、兵は護衛帰還者休養継続。前線指揮案は、エルク作成中。


「作成中?」


エルクが眉を寄せた。


「まだ出ていません」


「昼までだと言ったか」


「言っていません。ただ空欄のままです」


門前の兵が何人か目を伏せ、笑いをこらえた。気づいた途端、エルクの顔がますますしかめられる。


「夕方までに出す」


メイナは淡々と、前線指揮案、夕方提出と書いた。


「おい」


「今、言いました」


エルクが何か言いかけ、やめた。横で肩を震わせるバルドへ「笑うな」と言うと、バルドは「負傷の後遺症です」と返した。門前に短い笑いが広がる。


午後、ミリアは領主館前ではなく西門前に人を集めた。人数は多くない。配給鍋の者・鍛冶場の者・水運び・兵の代表・商人・農民・記録係・倉番。今、領地を動かしている者たちだけだった。


ミリアは門前掲示の横に立った。袖口には、昨日の塩湯のしみがまだ薄く残っている。


「七日前、私たちは何を先に見るべきかも決められませんでした。倉には紙と現物の差がありました。配給は薄く、鍛冶場は炭を数え、道は水桶をこぼしていました。商人は戻らず、兵は何を隠してよいかも、何を出せばよいかも分からない状態でした」


紙へ目を向ける。


「今日、すべてが解決したわけではありません。塩は足りません。薬草も足りません。釘も油も足りません。南倉裏の縄は短く、石標の先はまだ見えていません。未着の商隊も戻っていません」


ルシアが腕を組み、エルクは黙っている。ガレスは杖に両手を置いていた。


「けれど配給は止まりませんでした。鍛冶場の火も消えませんでした。西門から古井戸までの道は通りました。石標までの荷は戻りました。失敗は貼りました。札の間違いも直しました」


息を一つ吸った。


「止血は、ひとまず終わりました」


門前にすぐ歓声は上がらなかった。その言葉が何を意味するか、皆が測っていた。豊かになったとは言えない。ただ今すぐ死ぬ穴を、皆で押さえた。


「これからは、流れを見ます。水・荷・金・税・修理・兵の配置。どこで止まっているかを見ます。止まった場所を隠さず、順番を作ります」


彼女はレインを見た。


「臨時実務整理役は、引き続き第一案を出します。決定は私が持ちます。前線指揮はエルク。倉はガレス。記録はメイナ。掲示はトマ。商人との控えはルシアさん立会いで残します」


一人ずつ、視線が動く。


「不満は残ります。私も間違えます。レインさんも間違えます。エルクも、ガレスも、皆も間違えます。ですが、隠して進むより、貼って直します」


それは約束だった。


集まりが解けると、エルクが地図を小机に置いた。古井戸・枯れ柳・水路跡・石垣・石標。その先に細い空白がある。


「前線指揮案だ」


「夕方までに出ましたね」


メイナが言うと、エルクは顔をしかめた。


「うるさい」


それでも紙は出した。水路跡待機二・石垣手前合図一・石標積載二・枯れ柳交代・古井戸戻り道確保。石垣越え追撃なし。不明者確認時は荷優先帰還。三走目以降、待ち伏せ案検討。


「待ち伏せを入れましたか」


「検討だ。次はまだ線を太くする。前に出るのは、その後だ」


レインは小さく頷いた。


「よい案だと思います」


「気持ち悪い言い方をするな」


「事実です」


「余計に気持ち悪い」


バルドが笑い、エルクは無視した。けれど地図を引っ込めなかった。


夕方、レインは古井戸まで歩いた。百九十二歩。最初に測った時と同じ数だが足の取られ方が違う。桶を置く仮台があり、車輪の沈む轍は浅くなった。石灰の白さはところどころ剥げている。雨が降ればまた崩れ、重い荷を通せばまた沈むだろう。それでも今日の水は戻った。今日の荷も戻った。


古井戸の縁に手を置く。水は澄んでいないし、底も見えない。深い問題は残っている。だが桶を下ろす場所はあり、戻る道もある。


「人を救ったと思うか」


背後からエルクが聞いた。レインは振り返らず、少し考えた。


「分かりません。ただ領地は今日も死にませんでした」


エルクがしばらく黙った。


「それは、人を救ったのと違うのか」


「違うかもしれません」


「面倒な奴だ。だがいい。俺は、死なない領地を守る。おまえは、死なない順番を作れ」


「はい」


二人はそれ以上話さなかった。


西門へ戻ると、門前の紙に最後の一行が足されていた。書いたのはメイナだ。


止血、ひとまず完了。


次の段階、流通確認へ。


トマがその下に、粥、薄めず、と小さく書き足していた。メイナはそれを消さなかった。


新台帳の次の頁を開く。流通確認。水・荷・金・税・修理・兵・役所。どこで流れが止まるか、それを見なければならない。止血は終わった。次は、血を通わせる。


そう書こうとした時、西門の外で馬が鳴いた。商人の荷馬とも、荷車を引く馬とも足音が違う。軽い早馬だった。


「王都からの継ぎ便です」


門番の声で、門前が止まる。早馬の乗り手は泥を跳ね上げたまま門の前で止まり、細い筒を差し出した。封蝋は赤く、割れていない。


ミリアが受け取り、レインの目は封蝋へ落ちた。王都軍務会計局。その下に、セドリック・ヴァンハイムの名がある。


ミリアが紙を開いた。読み上げた声は低い。


「ハルヴェイン領における処分者レイン・アストラの職務実態、ならびに敗戦関連物資の運用について、査察官を派遣する」


門番も商人も、すぐには口を開かなかった。風が門前の紙を揺らす。止血、ひとまず完了。流通確認へ。その横で、赤い封蝋の紙が鳴った。


血が止まったから、次の刃が来た。


レインは台帳の新しい頁を閉じなかった。ただ最後の欄を一つ足す。


王都査察官。


到着前に、止まるものを数える。

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