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追放された雑用係、敗戦処理の天才だった ~崩壊寸前の辺境領を立て直す~   作者: 山田鰻
第六章 最初の黒字

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銅貨一枚の理由

西門の前には、鍋を抱えた人が並んでいた。


鍋だけではない。


鎌。


桶の輪。


折れた鍬。


戸口から外したらしい蝶番。


布で包んだ小さな刃物。


それぞれ壊れ方が違う。


それぞれ急ぎ方も違う。


だが、門前に立つ人の顔は、よく似ていた。


直るなら直したい。


ただし、余分に払うものはほとんどない。


最初に人数を数えた。


二十七人。


持ち込み品は三十四。


一人で複数抱えている者がいる。


列の後ろには、様子を見ているだけの者もいた。


「列を三つに分けます」


門番の兵にそう告げた。


兵は一瞬だけ戸惑った。


「三つ、ですか」


「今日中に火へ入れるもの。預かって順番を決めるもの。危ないので受け取らないもの」


「危ないので、受け取らない」


「割れた刃物を布だけで包んでいるものは、ここで開かないでください。子どもが近い」


兵の視線が列の横へ動く。


確かに、母親の裾を掴んだ子どもがいた。


兵は顔色を変え、すぐに声を張った。


「刃物を持っている者は、布をほどくな。合図があるまで地面に置け」


エルクがその声を聞き、軽く頷いた。


ゴルツが木札を抱え、不満そうに列の前へ出た。


「鍋はこっち。鎌と鍬はあっち。刃物は置け。置けって言ってんだろ、手に持ったまま近づくな」


「おまえ、いつから役人になった」


列の中から、誰かが笑った。


ゴルツの目が睨み返す。


「今日だけだ」


「昨日もそう言ってなかったか」


また笑いが起きた。


その間に、壊れ物をざっと見る。


小鍋八。


大鍋二。


鎌六。


鍬四。


桶輪五。


蝶番二。


刃物七。


刃物七のうち、三つは危ない。


一つは刃の根元が欠けている。


一つは柄が腐っている。


一つは布越しでも先が曲がっているのが分かる。


「危険廃棄、三」


メイナが書く。


トマがその横で、持ち主の名を聞き取っていた。


名前。


品目。


状態。


預かり札。


修理料。


受取予定。


紙の上に欄が増える。


「領主代理様が話される」


エルクの声が門前に響いた。


人のざわめきが、すぐには止まらない。


鍋を抱え直す音。


子どもを後ろに下げる声。


誰かが咳き込む音。


その上に、ミリアが一歩前へ出た。


台ではなく、荷車の横木に立つ。


「皆さん」


ミリアの声は、最初だけ少し震えた。


それでも、途中で消えなかった。


「鍛冶場を、今日から動かします」


ざわめきが広がる。


喜びではない。


疑いを含んだざわめきだ。


「ただし、何でも無料で直すことはできません」


今度のざわめきは、はっきり濁った。


「税を取って、まだ取るのか」


前の方にいた男が言った。


肩幅の広い、畑仕事の手をした男だ。


抱えているのは鍬先だった。


「家には麦も残ってないぞ」


「うちの鍋は、領主館の兵に貸し出した時に歪んだんだ」


別の女が言う。


「それも払うのかい」


ミリアの手が、袖を握った。


エルクが前へ出かける。


だが、ミリアの首が小さく振られた。


「払えない家から、無理に銅貨を取ることはしません」


そのまま続けた。


「銅貨がない場合は、乾豆一握り、大麦一握り、または作業一刻で代えます」


「作業?」


「錆落とし、柄の掃除、桶の水運び、壊れ物の分類です」


男が鼻を鳴らした。


「それなら無料と何が違う」


「鍛冶場の火を、明日もつけるためです」


ミリアの視線がレインへ向いた。


小さく頷き、メイナに合図した。


メイナが木板を二枚、前へ出す。


一枚目には、今日の支出が書かれている。


炭。


油。


水運び。


老鍛冶師の半日分。


合計、銅貨十八枚相当。


二枚目には、今日すでに直った小鍋の修理料が書かれていた。


銅貨一枚。


炭代専用。


「今、鍛冶場を半日動かすには、最低でも銅貨十八枚分が要ります」


そう続けた。


「今日、最初に入った修理料は銅貨一枚です」


列の前にいた女が、小さく声を上げた。


「あたしのだ」


「はい」


布袋から銅貨を出し、木板の上に置いた。


「これは領主館の金庫には入れません。鍛冶場の炭代にだけ入れます」


「そんなの、後で分からなくなるだろ」


鍬先の男が言った。


「分からなくならないように、ここに貼ります」


メイナが別の紙を出した。


炭代受入。


日付。


名前。


品目。


受けたもの。


使った先。


欄は大きい。


遠くからでも見える。


「門前と鍛冶場、同じものを二枚貼ります」


メイナの声は硬かった。


「一枚は私が書きます。一枚はトマが写します。数字が違えば、その場で直します」


トマの顔が引き締まった。


「僕が写します」


声は少し裏返った。


それでも、門前まで届いた。


「字が汚かったら?」


誰かが言った。


トマの肩が一瞬固まる。


メイナがすぐに答えた。


「私が書き直します」


列の後ろで、小さく笑いが起きた。


今度の笑いは、さっきより柔らかかった。


ミリアがその笑いの消えるのを待ち、もう一度前を向いた。


「今まで、領主館は皆さんに説明を足りなくしてきました」


門前が静かになった。


エルクの顔が強張る。


ガレスも、黙ってミリアを見た。


「不足していました」


繰り返す声が、もう一度落ちた。


「だから、今日から、全部とは言えませんが、直すもの、直せないもの、支払われたもの、使ったものを見える場所に出します」


「出したら、食い物が増えるのか」


今度は、痩せた老人が言った。


腕に桶輪を三つ通している。


ミリアの返事は、すぐには出なかった。


「すぐには増えません」


「でも、桶の輪が直れば、水を運べます。鍋が直れば、粥を炊けます。鎌が直れば、刈り残した草を飼葉にできます。そういうものを一つずつ戻して、買うものを減らします」


老人は桶輪を見た。


「買わずに済ませる、か」


「はい」


「領主館がけちになるって話か」


ゴルツが思わず口を開きかけた。


目で止めた。


この問いは、ミリアが受けるべきだ。


ミリアの顎が一度だけ頷いた。


「けちになります」


ざわめきが跳ねた。


エルクが目を見開く。


そのまま続ける。


「でも、削る場所を間違えないようにします。削ってはいけない食料と水と道は残します。削れる見栄と無駄を削ります」


「見栄?」


「領主館の夕食の皿数を減らしました」


今度は、本当に静かになった。


ミリアの声が淡々と続く。


「客用の白パンを止め、兵と同じ麦粥に替えています。燭台の油も半分にしました。私の部屋の暖炉も、夜半で消します」


「お嬢様」


エルクが低く言った。


「見栄を残して修理料を取れば、皆さんは怒って当然です」


ミリアの声に、迷いはなかった。


「だから、まず私たちが削ります。その上で、鍛冶場を止めないための銅貨一枚をお願いします」


列の女が、小鍋を抱きしめた。


「……本当に、炭代だけに使うんだね」


「はい」


「領主館の皿に戻さないね」


「戻しません」


布袋を掲げた。


銅貨一枚だけが入った小さな袋。


「今日の修理受付は、十二件までです」


そう告げた。


「十二だけか」


列の後ろから不満が出る。


「三十四件あります」


「なら三十四やれ」


「やると、明日の炉が止まります」


声の主が黙った。


木板の横へ、修理順の札を並べた。


一、今夜の食事に必要な鍋。


二、明朝の水運びに必要な桶輪。


三、明日の作業に使う鎌と鍬。


四、家の扉や棚の蝶番。


五、刃物類。


「刃物が最後か」


若い男が言った。


腰に壊れた鉈を下げている。


「刃物は危険確認に時間がかかります」


「俺は明日、森へ入る」


「一人でですか」


「そうだ」


「では、直しても渡しません」


若い男の顔が赤くなる。


「何だと」


エルクが一歩出る。


今度はレインが先に言った。


「黒森寄りの道は、二人組以上でなければ入れません。つい先日、荷車が狙われました。刃物だけ直して一人で入れば、戻らない可能性があります」


「俺の勝手だ」


「戻らなければ、あなたの家の鍋を誰が運びますか」


若い男の口が止まった。


「刃物の修理は、使い道と組で受けます。森へ入るなら二人組。門番に名を残す。戻り時刻も書く」


「役所の許しが要るのか」


「生きて戻るための確認が要ります」


若い男は不満そうだった。


だが、周囲の年寄りが彼を見る目は違った。


「その鉈は、今日は預かります」


レインが言う。


「明朝、二人で来てください」


若い男は唇を噛み、壊れた鉈を地面に置いた。


ゴルツが布越しに受け取り、危険確認の札をつける。


「預かり札」


メイナが言う。


トマが若い男の名を聞き、札を書いた。


次に、鍋。


小鍋は六件を今日受ける。


大鍋は一件だけ。


残りは明日。


「大鍋を後回しにするのかい」


太った女が言った。


「うちは五人いる」


鍋の底を見た。


底の薄さ。


縁の割れ。


持ち手の緩み。


「これは今日です」


「なら、何が後回しなんだい」


「こちらの大鍋です」


別の家の大鍋を示す。


「こっちは水漏れしていません。縁は欠けていますが、布を巻けば一晩使えます」


「布?」


「継ぎ布を一枚渡します。返却は明日」


「借りるのか」


「はい。借りた布は洗って返してください。返せなければ、大麦半握り」


女たちが顔を見合わせた。


貸す。


返す。


返せないなら代わりを出す。


「継ぎ布、貸出一」


メイナが書いた。


「明日返却」


トマが写す。


鍋の列が少しずつ動き始めた。


最初に直した女が、後ろの者に言う。


「本当に一枚だったよ。底は薄いって怒られたけど」


「怒られたのかい」


「空焚きするなって」


小さな笑い。


鍋を抱えた人の肩から、少し力が抜ける。


「鎌は明朝に回します」


レインが言うと、農民たちから不満が出た。


「明朝じゃ遅い」


「夕方に少し刈りたいんだ」


「飼葉が足りない」


「今日直す鎌は二本です」


短く告げた。


「二本だけか」


「はい。その二本は共有にします」


「共有?」


「西門横で貸し出します。一刻ごとに返却。刈った草の十分の一を、馬の飼葉置き場へ入れてください」


一瞬、誰も反応しなかった。


ルシアが小さく息を吐く。


「やるね」


「それは税か」


農民の一人が聞く。


「税ではありません。鎌の使用料です。銅貨の代わりに草で払えます」


「草を取るのか」


「馬が食べます。馬が動けば荷が動きます」


「俺の草だ」


「では、自分の鎌を明日直します。今日の共有鎌は使わないでください」


男は黙った。


「共有鎌二。使用料、草十分の一」


メイナが書く。


「返却時刻も」


レインが言う。


「はい」


トマが貸出札を作り始めた。


一刻。


二刻。


日没前。


三つの札。


「桶輪は」


老人が三つの桶輪を掲げた。


「水運びに使うなら今日です」


短く答えた。


「ただし、全部は直しません。一つは直す。一つは予備。一つは材料に戻します」


「三つ持ってきたのに」


「三つとも直すと、炭が減ります。一つ直せば水は運べます」


老人はしばらく桶輪を見た。


「……そう言われると、そうだな」


説明会は、日没前まで続いた。


修理受付、十二件。


預かり、十六件。


危険廃棄、三件。


持ち帰り、三件。


炭代受入。


銅貨九枚。


乾豆五握り。


大麦三握り。


作業申出、七人。


鎌共有使用予定、四人。


馬の飼葉見込み、籠二つ分。


トマが最後の数字を書き終えた時、指先が墨で黒くなっていた。


メイナの目がその写しを確認し、頷く。


「一致しています」


「よかった」


トマの胸から、小さく息が抜けた。


「よかった、ではありません」


メイナが言った。


「明日も一致させます」


「はい」


ミリアの目が門前に貼られた紙へ向いた。


炭代受入。


修理順。


貸出札。


危険廃棄。


領主館の削減。


紙だらけの門になった。


「これで、納得してもらえたのでしょうか」


ミリアが小さく聞いた。


領民には聞こえない声だった。


少し考えた。


「全員ではありません」


「ですよね」


ミリアの口元が苦く緩んだ。


「ただ、待つ理由はできました」


「待つ理由」


「順番が見えれば、人は少し待てます。理由が見えれば、少し払えます」


「少し、ばかりですね」


「今は少しを集める時です」


ミリアの目が門前の人々へ流れた。


誰も笑ってはいない。


だが、列は崩れていない。


鍋を預けた者は預かり札を握り、鎌を借りる者は返却時刻を確認している。


若い男は、壊れた鉈の代わりに、門番から明朝の同行者名を書く板を受け取っていた。


ガレスがレインの横に来た。


「銅貨九枚、豆五握り、大麦三握り」


「はい」


「炭代には足りん」


「足りません」


「だが、明日の火をつける口実にはなる」


「はい」


ガレスの目が門に貼られた紙を見上げた。


「昔はな、こういうことは倉番と鍛冶場と村役が勝手にやっていた」


「はい」


「それを領主館が知らず、帳簿が知らず、兵が知らず、商人が値を乗せた。だから、同じものを三度買った」


黙って聞いた。


「おまえは、紙を増やしているようで、買い物を減らしている」


「まだ減らし切れていません」


「そこは、ありがとうございますと言え」


「……ありがとうございます」


ガレスの目がそれを見て、低く笑った。


「慣れろ。これから増える」


その時、門前の紙を見ていた兵の一人が、ぽつりと言った。


「俺の槍の石突きも、これで直るか」


バルドが振り返る。


「おまえ、壊していたのか」


「割れてます。報告すると怒られると思って」


「怒る」


兵は肩をすくめた。


だが、逃げなかった。


「でも、直るなら出します」


隣の兵も槍を見下ろした。


もう一人が、腰の革帯を触る。


兵装の小さな不具合が、言葉になり始めた。


すぐに台帳を開いた。


「兵装小修理の欄を作ります」


メイナが何も言わずに紙をめくった。


バルドが兵たちを睨む。


「全員、夕食前に自分の槍と革帯を見ろ。隠していたら飯を減らす」


「飯を減らすのは駄目です」


レインが言う。


バルドが顔をしかめる。


「そこは駄目か」


「動けなくなります」


「じゃあ、夜の水運びだ」


「それなら」


兵たちが嫌そうな顔をした。


だが、何人かは自分の装備を確認し始めている。


ルシアが、門の柱にもたれて笑っていた。


「商売になると言っただろう」


「まだ商売ではありません」


短く答えた。


「では何だい」


「破綻の棚卸しです」


「嫌な店だね」


「はい」


「でも、客は並んでいる」


ルシアの言葉に、目を門前へ戻した。


確かに、列はまだ残っていた。


直してほしい人。


預けるか迷う人。


貼られた紙を読めないから、隣に読んでもらっている人。


ミリアが荷車の横木から降りた。


足元が少しふらつく。


エルクが手を伸ばしかけたが、彼女は自分で立った。


「レインさん」


「はい」


「明日の朝、もう一度説明をします。今日来られなかった人にも」


「分かりました」


「その前に、炭を確保しなければなりませんね」


黙って頷いた。


「今の炭では、明日の昼までです」


「炭焼き小屋は」


「以前確認した農具小屋の近くに、古い炭置き場がありました。ただ、道が悪い」


「人を出します」


「兵を出すと門が薄くなります。農民を出すと朝の作業が遅れます。今日雇いを増やすと、粥が減ります」


ミリアの返事は、すぐには出なかった。


「では、どうしますか」


「明朝の作業申出七人を、二組に分けます。水運び三。炭運び四。護衛は兵一人と、ゴルツさん」


「俺かよ」


離れたところで木札を束ねていたゴルツが、即座に反応した。


「はい」


「今日だけって言ったよな」


「明朝の手が足りないので聞きました」


「聞くなって言っただろ」


「断りますか」


ゴルツの口が閉じた。


周りの視線が集まる。


兵。


領民。


老鍛冶師。


メイナ。


ミリア。


ゴルツの顔が、ものすごく嫌そうに歪んだ。


「粥は」


「普通です」


「銅貨は」


「半日三枚」


「炭粉を吸ったら」


「水を二杯」


「薬は」


「ありません」


「分かってるよ」


ゴルツの手が木札を腰に挟んだ。


「明朝だけだ」


バルドが笑った。


エルクも、今度ははっきり笑った。


門前の領民からも、少し笑いが起きた。


ゴルツが舌打ちした。


台帳に明朝の欄を作った。


炭運び。


四人。


護衛一。


ゴルツ。


水運び。


三人。


鍛冶場稼働。


昼まで。


その下に、小さく書く。


炭が戻れば、夕刻まで延長。


門前の紙が、夕風に揺れた。


黒い墨が乾く前に、明日の仕事が始まっていた。

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