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追放された雑用係、敗戦処理の天才だった ~崩壊寸前の辺境領を立て直す~   作者: 山田鰻
第六章 最初の黒字

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買わずに済むもの

冬前商隊が古橋跡以西で未着だという報せは、夜のうちに西門から領主館へ回った。


塩。


油。


薬草。


どれも、七日分の余裕を作ったばかりの領地には重い名だった。


「消えた、とはまだ言わないよ」


ルシアが夜明け前の西門で、そう言った。


「届いていない。商人は、まずそこから見る」


「確認に出ます」


エルクがすぐに言った。


「ただし、空手では出しません」


新台帳に書いた。


冬前商隊。


古橋跡以西。


未着。


確認準備。


足、縄、石灰、水、修理具。


西門の荷車が動かない。


南倉扉が重い。


井戸枠の留め金も足りない。


商隊を見に行く前に、領地の足を一つ動かさなければならなかった。


金物箱は、見た目より重かった。


錆びた蝶番。


曲がった釘。


欠けた鉄縁。


荷車から外されたまま、誰も戻し先を決めなかった古い金具。


それだけなら、ただの屑鉄だ。


だが、レインには違うものに見えた。


買わずに済むもの。


西門の仮置き場から鍛冶場まで、ゴルツが箱の片側を抱え、バルドがもう片側を持った。


二人とも顔をしかめている。


「重いな」


「鉄だからな」


「こんなものを戻し物に混ぜてたのか」


「隠すには都合がよかったのでしょう」


箱の中で鳴る乾いた音を聞きながら、歩幅を測った。


西門から旧鍛冶場まで百三十七歩。


途中のぬかるみが二か所。


荷車を使えば早いが、今はその荷車の右輪を直すために金物箱を運んでいる。


旧鍛冶場は、南倉の裏手にあった。


屋根は残っている。


炉も残っている。


壁際の水桶は空だった。


作業台には灰が薄く積もり、その上に鼠の足跡が残っていた。


使われなくなってから長い。


それでも、完全に死んでいる場所ではなかった。


炉の口に詰まった灰は白い。


黒く湿っていない。


煙道に鳥の巣もない。


火を入れれば、半日は動く。


「で、雑用係」


ゴルツが金物箱を作業台の横へ下ろした。


足元の板がぎしりと鳴る。


「これを全部、鍛冶屋に見せりゃいいのか」


「全部を任せると、全部が急ぎになります」


「駄目なのか」


「駄目です」


箱の蓋を開けた。


錆の匂いが、乾いた灰の匂いと混ざる。


メイナがすぐ横で新台帳を開いた。


トマが墨壺を押さえている。


ガレスが腕を組み、黙って箱を見下ろしていた。


ルシアが入り口の柱に背を預けている。


「まず、釘」


曲がった釘を取り出し、作業台に並べた。


「四十八本。折れているものが七本。頭が潰れているものが十本。まっすぐ戻せそうなものは、三十一本」


メイナが書く。


「三十一本」


「新品で買えば」


レインの目がルシアへ向いた。


肩をすくめる仕草が返る。


「細釘なら一束で銅貨八枚。太釘なら十二枚。今は街道が悪いから、持ち込み料を乗せて十五枚と言いたいところだね」


「釘三十一本は、太釘一束に少し足りない」


「言い値を削るねえ」


「削らないと領地が残りません」


「商売敵みたいなことを言う」


ルシアが笑ったが、否定はしなかった。


潰れた釘を別に分けた。


「これは井戸枠には使わない。荷覆いの押さえに回します。折れた釘は、捨てない。先端を落として止め金にする」


ゴルツが眉を寄せた。


「折れた釘まで使うのか」


「使えない場所には使いません」


「面倒くせえな」


「面倒で済むなら安いです」


ゴルツが返事をしなかった。


ただ、折れた釘を指で弾くのをやめた。


次に、蝶番。


三組あった。


一組は芯が割れている。


一組は片羽が曲がっている。


残る一組は、錆を落とせば動く。


「南倉扉に一組」


メイナが顔を上げる。


「北倉ではなく、南倉ですか」


「北倉は人を置いて見張れます。南倉は中身を動かす回数が増えます。開け閉めが止まると、人が滞ります」


「人が滞る」


メイナがそのまま書きかけ、手を止めた。


「物資ではなく、人ですか」


「扉が重いと、二人で開けることになります。一人で済む扉を二人で開けると、一日で二十呼吸分、手が消えます」


「二十呼吸」


「少なく見えますか」


「いいえ。あなたが言うなら、たぶん少なくありません」


メイナが余白に小さく印をつけた。


その印を見て、ほんの少しだけ安心した。


「次。鉄縁二枚」


バルドが片方を持ち上げた。


欠けた車輪の外側に巻く鉄だ。


半分ほど歪んでいるが、厚みは残っている。


「荷車か」


「はい。西門の右輪に合わせます」


「あれはもう諦めるって話だったぞ」


ガレスが低く言った。


その声に、鍛冶場の空気が少し変わる。


鉄縁を作業台に置き、欠けた部分を指でなぞった。


「一日三往復は無理です」


ガレスが黙った。


「二往復なら、たぶん持ちます。積む量を三分の二に落として、石畳を避ける。今日の使い道は西門から南倉まで。古橋跡へ出すのは、右輪が持つと確認してからです」


「使い道を狭くするのか」


「はい。壊れた荷車を万能に戻そうとすると、買い替えになります。役目を狭めると、修理で済みます」


ゴルツが鼻を鳴らした。


「人間みたいだな」


「人間も同じです」


言ってから、少しだけ目を伏せた。


自分で言うには、あまりにも身に覚えのある言葉だった。


その言葉を飲み込み、鉄縁の横に木札を置いた。


「西門荷車。右輪。二往復限定」


メイナが書く。


「二往復限定」


「限定まで書くのか」


バルドが聞いた。


「書かないと、誰かが三往復目を命じます」


「いるな」


「はい」


「俺もやりかねない」


バルドが苦い顔をした。


金物箱の底から、小さな車軸受けを取り出した。


油は切れている。


だが、割れていない。


「これが一番高いです」


ルシアが身を起こした。


「目利きが早いね。新品なら銅貨二十八枚。今なら三十枚を超える」


ゴルツが口笛を吹いた。


「そんなにするのか」


「するよ。荷を運ぶものは、飢えた土地ほど高くなる」


ルシアの言い方は商人らしかった。


「これは売りません」


レインが言うと、ルシアが即座に笑った。


「聞く前に断られた」


「売れば銅貨になります。使えば、荷車が動きます」


「銅貨で穀物は買える」


「この街道では、穀物が届くまでに荷車を使います」


「そう返すか」


「はい」


ルシアが両手を上げた。


「いいよ。今は買わない。貸しにしておく」


「貸しは増やしたくありません」


「じゃあ、後で儲け話を一つもらう」


答えなかった。


「メイナさん」


「はい」


「購入回避見込みをまとめます」


メイナが新しい欄を作った。


一つずつ読み上げる。


「太釘一束相当。銅貨十二枚。ただし持ち込み料を含めれば十五枚」


「十五」


「蝶番一組。新品なら銅貨九枚。修理なら炭と半刻」


「九」


「鉄縁一枚分。新品なら銅貨十八枚。歪み直しで対応」


「十八」


「車軸受け一個。新品なら銅貨二十八枚以上」


「二十八」


「合計」


メイナの筆が止まった。


トマが横から小声で数えた。


「十五、九、十八、二十八……七十」


「銅貨七十枚」


鍛冶場が静かになった。


「黒字か」


ゴルツが言った。


声に、わずかな期待が混じっていた。


首を振った。


「違います」


ゴルツの顔が露骨に沈む。


「違うのかよ」


「まだ赤字です。ただ、赤字が銅貨七十枚分小さくなります」


「それ、黒字と何が違う」


「黒字は、余った分を次に使える状態です。これは、失うはずだった分を失わずに済むだけです」


「細けえ」


「細かいところで死にます」


ゴルツが黙った。


バルドも黙った。


「でも」


ミリアの声が、鍛冶場の入り口からした。


いつからいたのか、彼女は煤けた柱の横に立っていた。


袖の端を握りしめている。


領主代理の服で来る場所ではない。


それでも来た。


「でも、赤字が小さくなるなら、それは領民に説明できます」


ミリアを見た。


「説明会を開くのですか」


「はい」


ミリアが頷いた。


「兵を鍛冶場に回すこと。壊れた物を捨てずに集めること。今日雇いを続けること。どれも、不満が出ます」


「出ます」


「だから、私が言います」


エルクが彼女の後ろで渋い顔をしていた。


「領民の前で、金がないと言うのか」


「違うわ」


ミリアが首を振った。


「何を買わずに済ませるかを言うの」


ガレスが低く笑った。


「領主の娘が、釘の話をする時代か」


「嫌ですか」


ミリアが聞く。


「いや」


ガレスの目が金物箱へ落ちた。


「やっと倉の言葉を、人前で言う者が出たと思っただけだ」


ミリアの目が少しだけ伏せられた。


その横で、レインが新台帳の欄を一つ増やした。


購入回避見込み。


修理優先。


必要人手。


最後に、説明対象。


トマがそれを見て、首を傾げる。


「説明対象?」


「人を動かすなら、動かされる側が理由を知らないと止まります」


「命令では駄目ですか」


「短く動かすなら命令です。長く動かすなら、理由が要ります」


トマが小さく息を飲んだ。


「今日の修理は三つです」


木札を置いた。


「西門荷車の右輪。南倉扉の蝶番。井戸枠の押さえ」


「三つだけか」


ゴルツが言った。


「三つだけです」


「他にも直せそうなものはあるぞ」


「あります。だから三つです」


「意味が分からねえ」


「炉を半日だけ動かします。炭が足りない。水桶も空。鍛冶師は呼べても、一人です。全部を並べると、全部が半端になります」


「また切るのか」


「はい」


即答した。


今度は物資ではなく、作業だ。


「西門荷車が動けば、石灰袋と縄を西門まで運べます。南倉扉が軽くなれば、調査中も搬出が止まりません。井戸枠が締まれば、古井戸の作業が続きます。この三つは、商隊未着を見に行く間、領内を止めないための修理です」


「残りは」


「明日以降。壊れても死なないものは後です」


誰も笑わなかった。


ゴルツが首を回した。


「分かった。右輪は俺が運ぶ」


「銅貨は少しです」


「もう聞いた」


「粥は普通です」


「それも聞いた」


「三往復目はしないでください」


「くどい」


「大事なので」


ゴルツが舌打ちしたが、口元だけは少し緩んでいた。


バルドが鉄縁を持つ。


エルクが水桶を見て、外の兵に声をかけた。


「井戸から二桶。鍛冶場へ運べ。走るな。こぼすな」


兵の一人が返事をした。


その返事は、以前より少し早かった。


火が入った。


旧鍛冶場の炉に、赤い色が戻る。


錆びた釘が熱を持ち、槌の音が鳴った。


一打。


二打。


曲がっていたものが、少しずつまっすぐになる。


完全には戻らない。


新品にもならない。


だが、使える形には戻る。


その音を聞きながら、台帳の赤い線を引き直した。


支出予定。


銅貨七十枚。


その横に、細い黒線を一本引く。


支出回避。


銅貨七十枚。


黒字ではない。


それでも、白い紙の上で初めて、赤に黒が重なった。


ガレスが横から覗き込み、しばらく黙っていた。


「レイン」


「はい」


「わしは今朝まで、戻ってきた金物を見て、面倒が増えたと思っていた」


「面倒は増えています」


「そこは否定しろ」


「増えていますので」


ガレスが呆れたように息を吐き、それから口の端を上げた。


「だが、面倒の中に銅貨七十枚が入っているとは思わなかった」


返事に迷った。


褒められたのか。


叱られたのか。


判断がつかない。


「それは、誰でも数えれば」


「数えん」


ガレスが遮った。


「普通は数えん。屑鉄、故障品、面倒事。そう呼んで終わりだ」


炉の火が、老人の横顔を赤く照らした。


「おまえは終わったものを、終わったままにせん」


台帳を見た。


「終わっていないものだけです」


短く続けた。


「終わっているものは、終わっています」


「その見分けができる者を、才覚があると言う」


ガレスの声は、鍛冶場の槌音に紛れても消えなかった。


返す言葉を探したが、見つからなかった。


代わりに、台帳へ次の欄を作る。


修理後確認。


一刻後、西門の荷車は動いた。


右輪はまだ鳴る。


きしむ。


だが、回る。


積み荷は石灰袋三つ。


以前の半分以下だ。


ゴルツが不満そうに綱を引いた。


「これだけか」


「これだけです」


「もっと積める」


「積めます。壊れます」


「分かったよ」


荷車が西門から南倉へ向かう。


一歩。


二歩。


三歩。


車輪は外れない。


南倉の前にいた兵が、思わず声を上げた。


「動いた」


周りの空気が、少し変わった。


誰かが笑った。


誰かが、すぐに黙った。


ミリアが荷車を見つめ、静かに息を吐いた。


「これを、明日の説明会で話します」


「釘と荷車をですか」


「はい」


「地味です」


「だからいいのです」


そのまま続けた。


「派手な約束は、もうこの領地に残っていません。残っているのは、こういうものです」


荷車の轍を見た。


台帳の黒線を指で押さえた。


初めて赤字が縮んだ。


その時、鍛冶場の奥から、老いた鍛冶師が煤だらけの顔を出した。


「おい、帳簿の兄ちゃん」


「はい」


「裏の物置を見たか」


「まだです」


「なら見るな」


言い方とは裏腹に、鍛冶師は顎で裏手を示した。


「見ると仕事が増える」


ゴルツが嫌そうな顔をした。


「おい」


鍛冶師は平然としている。


「壊れた鎌、割れた鍋縁、鍬の先、古い火ばさみ。捨てる予定だったが、捨て場まで持っていく人手がなくてな」


ルシアの目が、細くなった。


ガレスが低く唸る。


ミリアの顔は、もう逃げていなかった。


新台帳の次の頁を開いた。


買わずに済むものは、金物箱一つで終わらない。


古橋跡へ出る前に、使えるものをもう一つ拾う。


もう一本、黒線を引けるかもしれなかった。

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