戻しの仮置き場
戻しの日の朝、西門には先に掲示が出た。戻された物資は旧台帳へ戻さず、すべて公開の仮置き場で受ける。現物確認後は新台帳へ記載し、商人、門番、倉番、領主代理の署名をつける。短い文だった。
「嫌な掲示だね」
ルシアが言った。
「戻す側にとっては」
レインは西門内側の空き地に立っていた。仮置き場は崩れた門石を並べて作ってある。地面に直接置かない。濡らさない。混ぜない。
「こんなところに置けば、みんな見る」
エルクが言った。
「見るための場所です」
「盗まれないか」
「見ている人が多いものは、盗みにくい」
「堂々とした盗人もいる」
「そのために、あなたがいます」
「分かりやすい褒め方だな」
「そうですか」
「今のは分かった」
エルクは少しだけ機嫌を直した。剣はあるが、手には戻し物を置く位置を示す木札を持っている。麦・布・石・木・金物・不明。六つだ。
「不明があるのか」
ゴルツが泥止めの藁を踏み固めながら言った。
「分からないものを、分かった棚に入れないためです」
「また分からないものを残す話か」
「はい」
「慣れたくねえな」
「私もです」
ゴルツは笑い、すぐに顔を戻した。彼も今日雇いの木札を下げている。戻し物の荷下ろし、道手当、粥は普通。そう書かれていた。
「普通の粥ってのは、濃いのか薄いのか」
「普通です」
「腹立つな」
「記録上は分かりやすいです」
「腹には分かりにくい」
横でバルドが笑った。兵舎側の証人として来ている。腕はまだ吊ったままだが目は昨日より生きており、礼装庫から出した灰色の外套で風を止めていた。
西門の外に人が集まり始めた。荷を待つ商人・掲示を読みに来た領民・井戸番・南門の兵・会計室の下役。ロアムも来ている。表情は整っているが、目は仮置き場の石ではなく人の顔を見ていた。
「あの男は、まだ諦めていないね」
ルシアが小声で言った。
「従ってはいます」
「従う顔と、納得する顔は別だ」
西門の鐘が小さく鳴った。荷車が来る合図だ。黒い小車ではなく、灰色の幌をかけた荷車が一台。馬は一頭で、御者は年寄り。顔布はないが、横に座る若い男の腕には青ではない灰色の布が巻かれている。
「止めろ」
エルクが言う前に門番が竿を下ろした。
「通行札」
御者は新しい西六の木札を出した。西三ではない。
「戻しですか」
レインが聞くと、御者は目を逸らした。
「会計室へ」
「戻しは、ここで受けます」
「聞いていない」
「掲示しました」
「字は読めねえ」
「では、読み上げます」
トマが一歩前へ出た。声は少し震えていたが、掲示を読み上げた。戻された物資は旧台帳へ戻さない。すべて公開の仮置き場で受け、現物確認後に新台帳へ記載する。商人、門番、倉番、領主代理の署名をつける。
御者の顔が歪んだ。
「俺は運べと言われただけだ」
「誰に」
エルクが聞く。御者は黙った。
「今は聞きません」
レインが言うと、エルクがこちらを見る。
「またか」
「物を先に下ろします」
「逃げるぞ」
「逃げるなら、物を置いてからです」
御者は本当に逃げたい顔をした。だが荷車の前には門竿、後ろには人、横にはエルクがいる。逃げ道はなかった。
最初に出たのは砕石の袋だった。一、二、三、四、六つで止まる。帳簿上は十なので、差は四。次に砂利袋が四つ。帳簿上は六なので、差は二。木杭は八本で、西門裏に残っていた四本と合わせれば十二になる。
「木杭は戻りました」
メイナが言った。
「砕石は差四。砂利は差二」
「書いてください」
「もう書いています」
ゴルツが木杭を持ち上げた。
「こいつは使える」
「状態は」
「一本、割れ。七本は使える。割れ一本は短く切れば杭止めに使える」
「木杭八。使用七。短材一」
次に布包みが二つ出た。防水布、井戸覆いの布だ。一つは大きく、もう一つは切り取られた継ぎ布を縫い合わせたものだった。
「井戸覆い」
ミリアの目が布へ落ちた。
「帳簿上、欠三」
トマが言う。
「戻り二。残り一」
ルシアが布を触った。
「片方は荷覆いに使っていたね。油染みがある」
「井戸に使えますか」
「そのままでは駄目だ。水に油が落ちる。荷車の雨覆いなら使えるけど、井戸には大きい方だけ」
ミリアの顔が少しだけ落ちた。メイナが井戸覆い大一は井戸使用可、継ぎ布一は荷覆い用で井戸不可、残り一は移動不明と書いた。
次に袋が一つ出た。麦ではなく大麦だった。袋の口には古い黒蝋の跡がある。
「これは」
御者が慌てて言う。
「知らねえ。乗ってた」
レインは袋の底を見た。本倉印があり、上から黒い墨で線を引かれている。消そうとした跡だ。
「本倉印消し。大麦一」
「食えますか」
バルドが聞く。ガレスが粒を噛んだ。
「食える。少し湿ってるが、乾かせばいい」
「証拠にしますか」
ミリアが聞いた。
「一部を証拠。残りを食料へ。戻しは、証拠を残した上で使います」
「全部証拠ではなく」
「全部寝かせる余裕はありません。全部食べる余裕もない」
ミリアはうなずいた。
「半袋相当を証拠。半袋相当を七日配分の予備へ」
メイナが計算する。
「七日分に、半袋の予備ができます」
「半袋でそんな顔をするのか」
御者の横にいた若い男がぼそりと言った。ゴルツが睨む。
「半袋で足が動く日もある」
若い男は黙った。
最後に小さな木箱が下ろされた。中には錆びた蝶番・曲がった釘・鉄輪の欠け・荷車の古い留め具が入っていた。一見すると屑だ。
ロアムがすぐに言った。
「廃棄品です」
「触る前に、数えます」
「屑まで」
「屑と決めるのは、鍛冶場です」
ルシアが笑った。
「それは正しい。商人も屑を勝手に屑と呼ばない。値がつくことがある」
ガレスが金物を見た。
「鉄輪の欠けは荷車右輪の補強に使えるかもしれん。蝶番は南倉の扉。曲がった釘は直せるものと溶かすものに分ける」
「廃棄品、ではなく」
メイナが目を細める。
「修理候補です」
戻しは以上だった。エルクが御者へ西三札・黒い小車・第六日の戻しを書いた者を順に聞く。御者は口を閉じた。横の若い男が荷台の端を握る。逃げる前の手だ。エルクが半歩動くと、その男は動けなくなった。
レインは若い男の腕を見た。灰色の布の下に、青い紐を外した痕が少し見える。
「あなたは、青紐を外していますね」
若い男の顔が白くなる。
「俺は」
「今は名を聞きません」
「またか」
エルクが小さく言う。
「代わりに、戻し物を誰から受け取ったかを聞きます」
若い男は唇を噛んだ。
「戻し場が変わったと聞いて、置き場を変えろと言われた」
「誰に」
「黒い小車の男」
「名前は」
「知らない。本当に知らない」
「特徴は」
少し迷ってから、若い男は言った。
「左の耳が欠けていた」
バルドが顔を上げる。
「耳欠けのハンスか」
「知っていますか」
「昔、西の中継地にいた荷運びだ。ヴァンハ――の下請けに移ったって聞いた」
ルシアが腕を組んだ。
「ハンスなら、黒蝋の使いと合うね」
エルクが行き先を聞くと、若い男は首を振った。
「戻しが済んだら、西へ。第七日まで出るな、と」
「第七日」
ミリアが繰り返した。
「この二人は拘束します」
レインが答えると、御者が叫びかける。
「俺は運んだだけだ」
「話を合わせられない場所で、運んだだけかを確認します」
「また部屋が足りなくなる」
エルクがぼやいた。
「客間は」
「もういっぱいです。礼装庫の前室を使います」
ミリアがすぐに言った。エルクが妹を見る。
「そこまで使うのか」
「礼装庫に入れる物を、戻し物で決められません」
彼女の声は静かだった。エルクは少しだけ笑う。
「分かった。前室を使う」
戻し物の仕分けは昼まで続いた。砕石六・砂利四・木杭八・井戸覆い大一・荷覆い布一・大麦一・修理候補金物一箱。足りないものは砕石四・砂利二・井戸覆い一・西三札・黒い小車・耳欠けのハンス。
「これで一週間は」
ミリアが聞く。
「半袋の予備ができました」
「半袋だけ」
「はい」
「でも、予備」
「はい」
彼女は深く息を吐いた。肩から少しだけ力が抜ける。
「一週間、越えられますか」
「大きな事故がなければ」
「事故がない前提は危険ですね。では、事故が一つあっても半日は耐える」
「その言い方が正確です」
ミリアは小さくうなずいた。
「半日でも、残します」
この数日で切ったものは多い。迎賓費・儀礼酒・飾り布・名だけ手当・広すぎる夜番・重荷の通行。だが代わりに残ったものもある。井戸縄・外套・毛布・井戸覆い・街道の仮通行・負傷兵の洗浄・七日分の粥、そして半袋の予備。
ガレスは修理候補の金物箱を見ていた。錆びた鉄輪を持ち上げる。
「これは、鍛冶場で叩けば使える」
「どこに」
「荷車右輪。南倉の扉。井戸枠の留め金。いくつかは、買わずに済む」
買わずに済む。その言葉に、ルシアが反応した。
「それは、支出が減るってことだね」
「はい。次はこれを数えます。余剰品、修理可能品、売れるもの、使うものに分けます」
「ようやく商売の話になってきた」
「まだ商売ではありません」
「買わずに済むのも商売だよ」
ガレスが低くうなずいた。
「倉も同じだ。捨てないで済むものは、買わないで済むものだ」
新台帳の次の頁を開いた。最初に書く項目はもう決まっている。修理候補金物・荷車右輪・南倉扉・井戸枠・購入回避見込み。
「購入回避見込み」
メイナが読み上げる。
「嫌に商人っぽい言葉ですね」
「ルシアさんの影響かもしれません」
「高くつくよ」
「証人料に含めてください」
「別だね」
西門の仮置き場で、風が防水布を揺らした。戻し物はもう旧台帳へ戻らない。新台帳に入り、使い道ごとに分かれる。
新しい頁の上に、一行を書いた。
最初の黒字。
その時ゴルツが金物箱を覗き込んで言った。
「これ、鍛冶場に持っていくなら人手がいるな」
「仕事をしますか」
ゴルツは嫌そうな顔をした。
「粥は」
「普通です」
「銅貨は」
「少し」
「また今日雇いか」
「はい」
ゴルツは肩をすくめた。
「分かった。半袋の予備を食い潰さない程度に働いてやる」
バルドが笑う。エルクも少しだけ笑った。
その夜、西門の鐘が三度鳴った。火急の知らせではない。だが軽い知らせでもない鳴らし方だった。門番が泥のついた札を握って駆け込んでくる。
「西の街道からです」
エルクが立ち上がった。
「西三か」
「違います。冬前に入るはずだった小商隊が、まだ着きません」
ルシアの顔から軽さが消えた。
「どこの商隊だい」
「塩と油、薬草を積んだ二台です。古橋跡を昼前に越える予定でした」
「予定は」
「夕刻までに西門着」
門番は札を差し出した。濡れた墨で、冬前商隊、古橋跡以西、未着と短く書かれている。
レインは新台帳を閉じなかった。一週間の余裕はできた。だがその余裕を使う前に、次の穴が街道の先で開いていた。




