無視された算段
二番車の右後輪が、橋板の上で沈んだ。
音は小さかった。
木が裂ける乾いた音。続いて、荷台の上で鉄具の箱が崩れる音。最後に、馬が喉を裂くように鳴いた。
レインは橋の手前から走った。
南街道の橋は、地図の線よりずっと狭い。両側の欄干は古く、泥を吸った橋板は重い荷に耐えきれていない。二番車が斜めに沈み、後続の三番車が止まる。後ろでは兵の列が波のように詰まった。
予想通りだった。
だから、何も嬉しくなかった。
「馬を外せ」
橋の上へ踏み込む。
「右の綱を切るな。左から外せ。暴れれば欄干ごと落ちる」
「命令は南へ進めだ」
近くの士官が怒鳴った。
「進むために外します」
「荷を守れ」
「荷を守れば橋が死にます」
士官の顔が赤くなる。その横で、馬がもう一度暴れた。荷台が揺れ、上に積まれた儀礼用の箱が滑る。箱の角が負傷兵を寝かせた板へ当たり、うめき声が上がった。
ハンスが駆け寄ってくる。
「レインさん、箱を降ろします」
「鉄具からだ。布箱は後でいい」
「おい、誰が許可した」
「橋が許可しません」
言葉を返しながら、車軸を覗き込んだ。
ひびは昨夜より広がっている。右後輪の鉄輪も浮いていた。重装備を降ろしていれば、橋まではもったかもしれない。
もったかもしれない。
その言葉は、死んだあとにしか役に立たない。
「後続を止めろ。三番車を下げる。歩ける兵は橋の手前で左右へ開け」
「下げる場所がありません」
「作る」
橋手前の草地は湿っていた。車輪を入れれば沈む。だが、兵が踏み固め、板を敷けば一台だけ逃がせる。
「槍の柄を抜け。壊れた盾も使う。草地へ板代わりに敷け」
「盾を?」
「割れ盾だ。前に出せば兵が死ぬ。下に敷けば車輪を一度だけ助ける」
ハンスがうなずき、兵を呼ぶ。
その動きは遅かった。
遅いが、止まってはいなかった。
橋の向こうから、別の怒号が上がる。
六番車だ。
そちらも止まっている。重い予備武具を積んだまま進ませたせいで、下り坂の手前で車輪止めが効かなくなったのだろう。
二か所で詰まった。
南街道一本にした時点で、当然そうなる。
「負傷兵は」
ハンスの顔が強張った。
「四番車の後ろに、まだ二十人ほど」
「歩けない者は」
「九人」
九人。
数字が胸の奥へ落ちた。
「三番車を下げたら、そこへ乗せる」
「間に合いますか」
答えようとした時、北の丘で角笛が鳴った。
敵のものか、味方のものか。ここからでは分からない。ただ、止まった列にとって、分からない音はすべて敵になる。
兵の列が揺れた。
「追撃だ」
誰かが叫ぶ。
まだ見えていない。
だが、声は現物より早く走る。橋の手前で人が押し合い、負傷兵を乗せた板が傾いた。
「押すな」
声を張る。
「前が詰まっている。押せば落ちる」
聞こえた者は止まる。聞こえない者は進む。列の後ろほど恐怖が強く、前ほど出口がない。
その間にも、九人のうち二人の顔色が悪くなっていた。
まだ生きている。
だが、熱が上がっている。馬車へ乗せるまでに水を含ませなければ、次の宿営地まで持たない。
「水袋」
「残りが少ないです」
「熱のある者へ」
「後衛が」
「後衛は班長管理。今ここで全部開ければ、走る前に空になる」
ハンスが水袋を受け取り、負傷兵の口元へ運んだ。
小さな一口。
男の喉が動いた。
救えた数ではなく、まだ死なせていない数を数える。
橋の上では、兵たちが鉄具の箱を落とし始めた。泥水が跳ねる。銀縁の椅子が逆さに転がる。替え旗が橋板に引っかかり、誰かが短剣で布を切った。
昨日、幕舎で捨てるべきだと言った物ばかりだった。
今捨てても、遅い。
遅いが、捨てなければもっと遅れる。
「動いたぞ」
二番車がわずかに浮いた。
草地に敷いた割れ盾の上へ三番車を逃がす。車輪が軋み、盾が割れる。割れるために使ったのだから、それでいい。
三番車の荷台へ、負傷兵を乗せていく。
一人。
二人。
三人。
七人目を乗せたところで、北の丘に黒い影が見えた。
騎兵の隊列ではない。
歩兵の本隊でもない。
敵の斥候だ。数は少ない。だが、こちらが詰まっていることを見れば、本隊へ知らせるだけでいい。
「急げ」
士官がようやく叫んだ。
その声に、兵がさらに焦る。
レインは三番車の荷台を叩いた。
「八人目までだ。九人目は担架で後衛へ回す」
ハンスの顔が凍る。
「でも」
「この荷台で九人は落ちる」
「置いていくんですか」
「担架で回す」
「間に合わなければ」
間に合わなければ、死ぬ。
言葉にしなくても、二人とも分かっていた。
ハンスは唇を噛み、九人目の男の担架を持った。男は意識が薄く、目だけが空を見ている。
「名前は」
「ロイド。槍兵です」
「ロイドを後衛の盾列の内側へ。歩ける者二人をつけろ。水袋は半分残せ」
「はい」
ハンスは走った。
その背を追わなかった。
追えば、ほかが止まる。
橋の上では、二番車がようやく動き出した。重い箱は泥の上に捨てられ、代わりに負傷兵が荷台へ収まっている。車軸は悲鳴を上げているが、今すぐ折れる音ではない。
救えた。
そう数えかけて、やめた。
ロイドの担架は、まだ橋を渡っていない。
北の丘の影が消えた。
逃げたのではない。知らせに戻ったのだ。
夕方までに、敵はこの橋へ来る。
その前に軍を抜かなければならない。
将軍幕舎の替え旗は泥に落ち、銀縁の椅子は橋下へ投げられた。昨日なら捨てられた物だ。昨日なら、ロイドを担架に回さずに済んだかもしれない。
かもしれない。
帳簿には書けない言葉だ。
帳簿に書けるのは、残った数だけだった。
日が傾くころ、軍は後方の臨時野営地へこぼれ込んだ。
荷馬車は七台が五台。歩けない負傷兵は、朝より十一人増えた。水袋は残り八つ。まともな包帯は箱で二つ。
ロイドは息をしていた。
それを助かった数に入れていいかは、まだ分からない。
北側の空には煙が上がっている。
敵の斥候が戻った証拠だった。
負傷兵の天幕へ向かいかけて、足を止める。
先に倉庫だ。
何が残り、何が消え、何が消えたことにされているのか。それを知らずに水と干し肉を配れば、明日の朝には全員が同じように足りなくなる。




