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追放された雑用係、敗戦処理の天才だった ~崩壊寸前の辺境領を立て直す~   作者: 山田鰻
第一章 敗戦の帳簿

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無視された算段

二番車の右後輪が、橋板の上で沈んだ。


音は小さかった。


木が裂ける乾いた音。続いて、荷台の上で鉄具の箱が崩れる音。最後に、馬が喉を裂くように鳴いた。


レインは橋の手前から走った。


南街道の橋は、地図の線よりずっと狭い。両側の欄干は古く、泥を吸った橋板は重い荷に耐えきれていない。二番車が斜めに沈み、後続の三番車が止まる。後ろでは兵の列が波のように詰まった。


予想通りだった。


だから、何も嬉しくなかった。


「馬を外せ」


橋の上へ踏み込む。


「右の綱を切るな。左から外せ。暴れれば欄干ごと落ちる」


「命令は南へ進めだ」


近くの士官が怒鳴った。


「進むために外します」


「荷を守れ」


「荷を守れば橋が死にます」


士官の顔が赤くなる。その横で、馬がもう一度暴れた。荷台が揺れ、上に積まれた儀礼用の箱が滑る。箱の角が負傷兵を寝かせた板へ当たり、うめき声が上がった。


ハンスが駆け寄ってくる。


「レインさん、箱を降ろします」


「鉄具からだ。布箱は後でいい」


「おい、誰が許可した」


「橋が許可しません」


言葉を返しながら、車軸を覗き込んだ。


ひびは昨夜より広がっている。右後輪の鉄輪も浮いていた。重装備を降ろしていれば、橋まではもったかもしれない。


もったかもしれない。


その言葉は、死んだあとにしか役に立たない。


「後続を止めろ。三番車を下げる。歩ける兵は橋の手前で左右へ開け」


「下げる場所がありません」


「作る」


橋手前の草地は湿っていた。車輪を入れれば沈む。だが、兵が踏み固め、板を敷けば一台だけ逃がせる。


「槍の柄を抜け。壊れた盾も使う。草地へ板代わりに敷け」


「盾を?」


「割れ盾だ。前に出せば兵が死ぬ。下に敷けば車輪を一度だけ助ける」


ハンスがうなずき、兵を呼ぶ。


その動きは遅かった。


遅いが、止まってはいなかった。


橋の向こうから、別の怒号が上がる。


六番車だ。


そちらも止まっている。重い予備武具を積んだまま進ませたせいで、下り坂の手前で車輪止めが効かなくなったのだろう。


二か所で詰まった。


南街道一本にした時点で、当然そうなる。


「負傷兵は」


ハンスの顔が強張った。


「四番車の後ろに、まだ二十人ほど」


「歩けない者は」


「九人」


九人。


数字が胸の奥へ落ちた。


「三番車を下げたら、そこへ乗せる」


「間に合いますか」


答えようとした時、北の丘で角笛が鳴った。


敵のものか、味方のものか。ここからでは分からない。ただ、止まった列にとって、分からない音はすべて敵になる。


兵の列が揺れた。


「追撃だ」


誰かが叫ぶ。


まだ見えていない。


だが、声は現物より早く走る。橋の手前で人が押し合い、負傷兵を乗せた板が傾いた。


「押すな」


声を張る。


「前が詰まっている。押せば落ちる」


聞こえた者は止まる。聞こえない者は進む。列の後ろほど恐怖が強く、前ほど出口がない。


その間にも、九人のうち二人の顔色が悪くなっていた。


まだ生きている。


だが、熱が上がっている。馬車へ乗せるまでに水を含ませなければ、次の宿営地まで持たない。


「水袋」


「残りが少ないです」


「熱のある者へ」


「後衛が」


「後衛は班長管理。今ここで全部開ければ、走る前に空になる」


ハンスが水袋を受け取り、負傷兵の口元へ運んだ。


小さな一口。


男の喉が動いた。


救えた数ではなく、まだ死なせていない数を数える。


橋の上では、兵たちが鉄具の箱を落とし始めた。泥水が跳ねる。銀縁の椅子が逆さに転がる。替え旗が橋板に引っかかり、誰かが短剣で布を切った。


昨日、幕舎で捨てるべきだと言った物ばかりだった。


今捨てても、遅い。


遅いが、捨てなければもっと遅れる。


「動いたぞ」


二番車がわずかに浮いた。


草地に敷いた割れ盾の上へ三番車を逃がす。車輪が軋み、盾が割れる。割れるために使ったのだから、それでいい。


三番車の荷台へ、負傷兵を乗せていく。


一人。


二人。


三人。


七人目を乗せたところで、北の丘に黒い影が見えた。


騎兵の隊列ではない。


歩兵の本隊でもない。


敵の斥候だ。数は少ない。だが、こちらが詰まっていることを見れば、本隊へ知らせるだけでいい。


「急げ」


士官がようやく叫んだ。


その声に、兵がさらに焦る。


レインは三番車の荷台を叩いた。


「八人目までだ。九人目は担架で後衛へ回す」


ハンスの顔が凍る。


「でも」


「この荷台で九人は落ちる」


「置いていくんですか」


「担架で回す」


「間に合わなければ」


間に合わなければ、死ぬ。


言葉にしなくても、二人とも分かっていた。


ハンスは唇を噛み、九人目の男の担架を持った。男は意識が薄く、目だけが空を見ている。


「名前は」


「ロイド。槍兵です」


「ロイドを後衛の盾列の内側へ。歩ける者二人をつけろ。水袋は半分残せ」


「はい」


ハンスは走った。


その背を追わなかった。


追えば、ほかが止まる。


橋の上では、二番車がようやく動き出した。重い箱は泥の上に捨てられ、代わりに負傷兵が荷台へ収まっている。車軸は悲鳴を上げているが、今すぐ折れる音ではない。


救えた。


そう数えかけて、やめた。


ロイドの担架は、まだ橋を渡っていない。


北の丘の影が消えた。


逃げたのではない。知らせに戻ったのだ。


夕方までに、敵はこの橋へ来る。


その前に軍を抜かなければならない。


将軍幕舎の替え旗は泥に落ち、銀縁の椅子は橋下へ投げられた。昨日なら捨てられた物だ。昨日なら、ロイドを担架に回さずに済んだかもしれない。


かもしれない。


帳簿には書けない言葉だ。


帳簿に書けるのは、残った数だけだった。


日が傾くころ、軍は後方の臨時野営地へこぼれ込んだ。


荷馬車は七台が五台。歩けない負傷兵は、朝より十一人増えた。水袋は残り八つ。まともな包帯は箱で二つ。


ロイドは息をしていた。


それを助かった数に入れていいかは、まだ分からない。


北側の空には煙が上がっている。


敵の斥候が戻った証拠だった。


負傷兵の天幕へ向かいかけて、足を止める。


先に倉庫だ。


何が残り、何が消え、何が消えたことにされているのか。それを知らずに水と干し肉を配れば、明日の朝には全員が同じように足りなくなる。

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