足りない一日
食料は、袋で見るとまだあるように見えた。
本倉。
南倉。
東小屋。
北倉。
それぞれに、麦の名が残っている。
だが、食わせる順番で並べると、すぐに足りなくなる。
新台帳が、西門の仮置き台に広げられた。
道の補修を終えたばかりの者たちが、周囲に座り込んでいる。
ゴルツの目が、泥のついた手と、配られた薄い粥の上にあった。
「また粥か」
「今日は、昨日より濃いです」
「誤差だろ」
「誤差ではありません」
「じゃあ何だ」
「調整です」
嫌そうに、ゴルツが粥をすすった。
「腹に入れば、どっちでも同じだ」
「同じではありません」
バルドが横から言った。
「薄すぎると、夜番で足が震える」
ゴルツが黙った。
「始めます」
ミリアが言った。
彼女の前には、三つの木札がある。
食べる。
動く。
残す。
レインが置いたものだ。
「また変な札だね」
ルシアが言った。
彼女は西門の外に止めた荷車を見ながら、こちらにも耳を向けている。
「食べると動くは、同じじゃないのかい」
「同じではありません」
紙に線を引いた。
「食べるだけでよい人。食べないと動けない人。食べさせてはいけない名」
「最後が嫌だね」
「私もです」
まず、現物。
本倉の麦、六袋半。
南倉の実質麦、四袋半。
東小屋から戻した乾き麦、三袋。
印削り袋、一袋。
濡れ麦のうち、粉にして早く食べる候補、一袋。
北倉の軍麦の予備、一袋半。
大麦、七袋。
豆は、まだ棚卸しが終わっていない。
だから数えない。
「豆を入れないのか」
エルクが聞いた。
「見ていないものは、まだ食べられません」
「また現物か」
「はい」
エルクの目が西門の泥止めへ向いた。
「もう分かってる。分かってるが、腹が立つ」
「はい」
「そこで、はいと言うな」
メイナが紙に数字を書いた。
すぐ人に回せる麦。
十六袋半。
大麦七袋。
「濡れ麦一袋を入れて、十六半ですか」
ミリアが確認する。
「はい。ただし、二日以内に食べ切る条件です」
「残せない」
「残すと腐ります」
「腐る前に食べる」
「はい」
そのまま次の欄へ移った。
食べさせる対象。
兵舎実働、二十一。
北見張り台、二。
本倉と南倉の見張り、六。
病室の負傷者、六。
井戸と街道の作業者、日ごとに八から十二。
荷馬、三頭。
「人と馬が同じ紙に」
ロアムが言った。
会計室から来ている。
従うと言いながら、口はまだ従っていない。
「同じ紙です」
短く答えた。
「馬は人ではありません」
「馬が止まれば、人の麦が止まります」
ガレスがうなずいた。
「荷馬三頭のうち一頭は、昨日まで危なかった。麦を食わせるな。飼葉候補と藁を回せ」
「はい」
「飼葉候補の濡れ麦は、腹を壊さないよう少量ずつだ」
「記録します」
メイナが書く。
荷馬。
飼葉候補一袋、少量。
麦配分なし。
ロアムの顔が、また少し歪んだ。
「細かすぎます」
「前は、粗すぎました」
トマが言った。
自分でも驚くほど、はっきりした声だった。
ロアムが彼を見る。
トマが紙を抱え直した。
目は逸らしたが、足は下がらなかった。
「一日あたり」
「普通に食べさせると、麦だけで三袋半から四袋必要です」と続けた。
「四日で終わる」
エルクが言った。
「はい」
「大麦を混ぜれば」
「麦二袋半、大麦一袋で一日を作れます」
「七日なら、麦十七袋半、大麦七袋」
メイナがすぐ計算した。
「麦が一袋足りません」
「はい」
全員が黙った。
「濡れ麦を全部食わせれば」
ゴルツが言った。
「一袋分は」
「一つは飼葉候補。一つは廃棄候補です」
「人間が食うより馬か」
「馬が倒れれば、明後日の麦が届きません」
ゴルツの目が粥の椀へ落ちた。
「分かるのが嫌だな」
「はい」
「お前、そこで同意するな」
ミリアがその数字を見つめる。
「北倉の証拠麦は」
首を横に振った。
「二袋は証拠です。動かせません」
「一袋だけでも」
「一袋を食べれば、軍印麦の横流しの証拠が弱くなります。後で、全部を配ったと言われます」
「でも、一日が」
「はい」
ミリアの唇が白くなる。
「では、どうしますか」
ミリアが聞いた。
逃げない声だった。
西三の轍で見つけた布片を出した。
防水布。
黒蝋。
細い文字。
第六日、戻し。
「これを数に入れません」
「戻るのでは」
「戻ると書かれたものほど、戻らない前提で数えます」
ルシアが笑った。
「商人の言葉みたいだ」
「なら、正しいですか」
「だいたい嫌な時は正しい」
布片を紙の上に置いた。
「戻しがあるなら、相手は第六日に何かを戻して、帳簿と現物を合わせるつもりです」
「何を」
エルクが聞く。
「街道補修物資か、井戸覆いか、麦か。まだ分かりません」
「戻るなら、足りるかもしれない」
ミリアが言う。
「はい。ですが、戻るものを当てにして配れば、戻らなかった時に終わります」
「なら、六日分で組む?」
「いいえ」
紙の下に、新しい欄を作った。
穴を埋めるもの。
「麦を増やさず、一日を作ります」
ゴルツが眉を寄せた。
「そんなことができるのか」
「一日全員を食わせるのではなく、一日全員を動かさない」
廊下ではなく、西門前の空気が止まった。
「休ませるのか」
バルドが聞いた。
「はい」
「今、この領地で」
「動けば食います。全部を動かす日は、麦が足りません」
木札を並べた。
倉番。
兵舎夜番。
井戸。
街道。
南倉乾燥。
荷馬。
「七日のうち一日、急ぎでない作業を止めます」
「どれを」
「南倉乾燥は止められません。井戸も止められません。荷馬も最低限」
「街道か」
エルクが言う。
「西門の仮補修は、今日形になりました。明日は監視だけにします。大掛かりな補修は一日止めます」
「道が沈むぞ」
「重荷を止めれば、一日は持ちます」
ルシアが眉を上げた。
「商人に止まれと?」
「半日だけです」
「半日」
「その代わり、手運びは通します。軽い品と薬布だけ」
「うちの荷を選ぶのかい」
「はい」
「嫌な商談だ」
「道を残すためです」
ルシアが少し考えた。
「薬布と釘なら通す。布反と酒は止める」
「酒は」
「売りたいけど、今この領地に売ると恨まれる」
「商人ですね」
「商人だよ」
新台帳に書く。
第六日前日。
西門重荷半日停止。
手運び、薬布・釘・井戸縄のみ。
街道補修作業者、半数休み。
粥配分、作業者分を減。
「それで一袋分」
メイナが計算する。
「足りますか」
「足りません。半袋分です」
また沈黙。
「もう半分は」
バルドが聞く。
「兵舎の夜番を二組から一組へ」
エルクが顔を上げた。
「それは危ない」
「北見張り台の煙が戻りました。西門の夜は、見張りを門上ではなく門下に寄せます。範囲を狭くします」
「見張る範囲を切るのか」
「はい」
「敵が来たら」
「全域を薄く見るより、通る道だけ厚く見ます」
エルクが反論しかけ、止まった。
考えている。
前より長く。
「通る道とは」
「西門、南井戸、南倉。本倉は内側の見張り。北は煙で見る」
「兵舎の夜番を減らす代わりに、警戒地点を絞る」
「はい」
バルドが腕を組んだ。
「古参は文句を言う」
「でしょう」
「夜番を減らすと、逃げたと思う者も出る」
「なので、休みではなく、待機です」
「待機にも食わせる」
「薄く」
ゴルツが椀を掲げた。
「また薄い粥か」
「動く人より薄くします」
「納得しないぞ」
「だから、同じ紙に書きます」
食べる欄と動く欄を線で結んだ。
動く者。
濃い粥。
待機。
薄い粥。
負傷。
柔らかい粥。
子供と病人。
朝の小椀。
馬。
飼葉候補。
「子供まで入れるのか」
ロアムが言った。
「領主館の兵糧では」
「南門二十七家の飲用をこちらで制限しました。制限した以上、幼児と病人の朝だけは見ます」
「前例が」
「ありません」
短く答えた。
「ですが、井戸をこちらの判断で分けました。責任も分けます」
ミリアがすぐに筆を取った。
「幼児と病人、朝の小椀。二日分」
「ミリア様」
ロアムが声を上げる。
「領主館の麦で民家の朝粥を」
「全部ではありません」
彼女は言った。
「古井戸を飲用停止にした家のうち、幼児と病人だけです」
「線引きが」
「線を引きます。引かないと、弱い人から倒れます」
ロアムが黙った。
「これで」
メイナが計算する。
「七日分、ぎりぎりです」
「ぎりぎり」
エルクが繰り返した。
「余りは」
「ありません」
「戻しが来れば」
「余りではなく、予備と証拠に回します」
「配らないのか」
「配りません」
エルクが、今度は怒らなかった。
「戻った瞬間に配れば、また同じだな」
「はい」
「分かるのが、本当に嫌だ」
「私もです」
ルシアが紙を覗き込んだ。
「この配分なら、商人としてはどう見るか」
「どう見ますか」
「この領地は、明日倒れない」
「明後日は」
「倒れにくくなった」
「七日は」
「戻しがなくても、息はつなぐ。戻しがあれば、取引の話ができる」
その言葉に、ミリアが顔を上げた。
「取引」
「試験商隊の話だね」
ルシアが笑った。
「まだ早いのでは」
ミリアが言う。
「遅い商人は、空の荷車で帰る」
ルシアが軽く返し、レインの紙を指で叩いた。
「でも、空腹の領地に荷を入れるほど、わたしも人がいいわけじゃない。条件は紙にしてもらう」
「書きます」
食料配分の隣に、別の欄を作った。
試験商隊。
少量。
一走。
「運ぶものは」
「薬布、釘、井戸縄。あと塩を少し」
「酒と飾り布は」
「売りたいけど、今は恨みを買う。後回し」
「支払いは」
ルシアの声が少し低くなった。
「前払い。最低でも半分。残りは検品後すぐ。前の会計室みたいに、払う順番を握られるなら走らせない」
ロアムが顔を上げた。
「商人に前払い保証など」
「信用がない領地は、先に払うしかありません」
そのまま続けた。
「ただし、旧台帳では払わない。新台帳に、品目、数、受取人、支払日を同じ紙で書きます」
ミリアが筆を取る。
「前払い半額。残りは検品後。同じ紙に記録」
「門税は」
ルシアが続けた。
「この道で通常どおり取るなら、わたしは損をする。半荷で降ろして、手運びまでしているんだからね」
「西門の関税は、一走分だけ軽減します」
レインが言うと、エルクが眉を上げた。
「税まで切るのか」
「荷が来なければ、税はゼロです」
「来れば、減らしても残る」
「はい」
エルクが嫌そうに納得した。
「本当に、分かるのが嫌だ」
「護衛は」
ルシアが、そこで笑わなかった。
「紙の護衛はいらない。実際に誰が、どこまで付く」
エルクが先に答えた。
「西門から古橋跡まで、俺が見る。戻りはバルドに一人つける」
「若様が出るなら、商人は見るよ」
「見せ物じゃない」
「信用って、だいたい見せ物から始まる」
紙に書き足した。
護衛実動。
西門から古橋跡まで、エルク立ち会い。
戻り、バルド配下一。
通行時刻、朝。
「独占は渡しません」
レインが言うと、ルシアの目が細められた。
「先に言うね」
「はい。フェネル商会だけに道を渡せば、次に税を握られます」
「商人の前でよく言う」
「商人に言う話です」
「なら、独占の代わりに何をくれる」
「最初の一走だけ、赤字にならない線を保証します。前払いと門税軽減と護衛実動で」
ルシアの目が、しばらく紙の上にあった。
「利益を約束するんじゃない。損をしない形を先に作る」
「はい」
「悪くない。通れば、次は倍で試させてもらう」
「倍は、現物確認後です」
「言うと思った」
今日だけの帳簿から、一週間の帳簿へ。
一週間の帳簿から、最初の商隊へ。
「掲示します」
ミリアが言った。
「食べる量まで?」
ロアムが驚く。
「はい」
「暴動になります」
「隠して、桶の前で知る方が暴動になります」
バルドがうなずいた。
「先に言え。薄いなら薄いと言え。腹は立つが、鍋の前で減らされるよりましだ」
ゴルツも椀を置いた。
「仕事したら濃い。待機なら薄い。分かりやすい」
「人を釣るような」
ロアムが言う。
「仕事に食を結びます」
短く答えた。
「名だけには出しません。動いた人、守る人、倒れている人、弱い人に出します」
「それ以外は」
「自分の家の備えを食べてもらいます。備えがない家は、井戸番へ申告。申告を隠すと、次に倒れます」
ミリアが紙に署名した。
手は震えていた。
「嫌ですね」
彼女が小さく言った。
「はい」
「でも、これで七日」
「ぎりぎりです」
「ぎりぎりでも、七日」
「はい」
最後に、布片をもう一度見た。
第六日、戻し。
「戻しの日には、こちらから先に掲示を出します」
「何の」
ミリアが聞く。
「戻された物資は、旧台帳には戻さない。新台帳へ入れる、と」
「相手は困るでしょうか」
「困らせます」
エルクが少し笑った。
「珍しく、攻める言い方だ」
「攻めていません」
「じゃあ何だ」
「受け取り場所を変えます」
ルシアが楽しそうに目を細めた。
「戻し先をこちらで決めるわけだ」
「はい」
「どこに」
新台帳の空欄を指した。
「西門ではなく、公開の仮置き場へ」
「見られる場所か」
「商人にも、兵にも、井戸番にも見える場所です」
「いいね。戻す側は、戻した物が何か隠せない」
小さく頷いた。
「第六日に戻しが来るなら、次は受け取り方を決めます」




