西三の轍
西門へ向かう道は、乾いているように見えた。
レインが轍の縁にしゃがみ、指で土を押した。
表面は固い。
その下は柔らかい。
荷車が通れば、すぐ沈む。
沈んだ水は横へ逃げ、低い方へ流れる。
その先に、古井戸があった。
「道が井戸を汚すのか」
エルクが聞いた。
泥掻きの後で、まだ袖に土が残っている。
「道そのものではなく、水の逃げ方です」
「結局、道だな」
「はい」
「分かってきた自分が嫌だ」
後ろでゴルツが笑った。
「若様も同じこと言うようになったな」
「お前と同じにするな」
「泥を掻いた仲だろ」
「勝手に仲にするな」
二人の声を聞きながら、轍を測った。
幅。
深さ。
沈み方。
西門荷車札に残っていた文字は、西と三。
「西門の通行札は、どこで管理していますか」
「門番詰所だ」
エルクが答えた。
「写しは」
「会計室にもあるはずだ」
「はず、ですね」
エルクが嫌そうな顔をした。
「最近、その言葉が嫌いになってきた」
「私もです」
西門は、朝から動いていた。
ルシアの商会の荷が、門の外で待っている。
荷馬は二頭。
そのうち一頭は、昨日戻した飼葉を食べた馬だ。
まだ痩せているが、目は死んでいない。
「また面倒を増やしに来たのかい」
ルシアが門柱にもたれて言った。
「道を見に来ました」
「商売には大事だ」
「西三の荷車札を見つけました」
ルシアの目が少し細くなる。
「排水溝から?」
「はい」
「なら、あの黒い小車だね」
「通行記録は」
「門番が持ってる。会計室の写しは信用しない方がいい」
「なぜ」
「商人だからね。写しがきれいすぎる紙は、だいたい汚い」
否定はしなかった。
門番詰所の机には、通行札の控えがあった。
木札を通した穴の形。
墨の濃さ。
門番の爪跡。
そういうものは、会計室の清書には残らない。
西一。
西二。
西四。
西五。
西三だけが、抜けていた。
「西三は」
門番は顔をしかめた。
「昨日の夜明け前に返すはずでした」
「返っていない」
「はい」
「誰が持って出ましたか」
「黒い小車です。荷は小さく、覆い布あり」
「人数は」
「御者一。横に一人。どちらも顔布」
「積み荷は」
「会計室の修理物資、と」
ルシアが鼻で笑った。
「便利な言葉だね」
「修理物資の札は」
門番が、別の薄い札を出した。
街道補修用。
砕石、十。
砂利、六。
木杭、十二。
受取、西三。
レインの目がその札へ落ちた。
「街道補修用なのに、街道が壊れています」
「だから補修用を運んだんだろ」
ゴルツが言う。
「運んだなら、どこへ」
ゴルツが黙った。
「現場を見ます」
西門の外へ出る。
交易路は細い。
以前、橋を半荷で通した道だ。
今はさらに痩せて見えた。
轍が二本。
右側が深い。
黒い小車は、ここを通った。
荷が重すぎたのではない。
同じ場所を何度も通っている。
道の中央が高く、左右が沈み、水が逃げずに脇へ流れている。
その脇が、古井戸側へ落ちていた。
「ここを切ります」
レインが言うと、エルクが顔を上げた。
「道を切る?」
「はい。水の道を切ります」
「荷車は」
「片側通行にします」
ルシアがすぐに反応した。
「待ちな。片側にすれば、うちの荷は遅れる」
「全部通せば、古井戸が死にます」
「井戸が死ぬと、商人も困る」
「はい」
「嫌な二択を出すね」
「片側通行と時間指定なら、二択ではありません」
ルシアの目が細められた。
「言ってみな」
道に線を引いた。
東側の轍は深い。
西側はまだ浅い。
ただし、西側の端には石が残っている。
「今日から三日、西側を軽荷だけ通します。重荷は西門前で半分降ろす。降ろした荷は、門内の仮置きへ」
「荷役が増える」
「今日雇いを使います」
ゴルツが嫌な顔をした。
「俺を見るな」
「見ました」
「見たな」
「水手当の次は、道手当です」
「また変な手当だ」
「粥は濃くできません。銅貨を少し足します」
ゴルツの目がルシアへ向いた。
「商人側も出すのか」
ルシアが肩をすくめる。
「道が死ぬよりは安い。半分は出す」
「半分」
レインが聞き返す。
「商人だからね」
「助かります」
「褒めても残り半分は出さないよ」
「残りは迎賓費停止分から」
エルクが低く笑った。
「使者の酒が、道の泥になるわけか」
「泥止めです」
「言い直したな」
「はい」
道の補修に使えるものを確認する。
砕石は、現物なし。
砂利も、現物なし。
木杭は、西門裏に四本だけあった。
帳簿上十二。
現物四。
また数字が縮む。
「四本でできることは」
エルクが聞く。
「道全体は無理です」
「分かってる」
「排水溝の入口を押さえる杭に使います」
「道は」
「籠三つ分の藁を乾かし、泥の仮埋めに使います。上に割れ石を置く」
「割れ石は」
門番が西門の脇を指した。
「崩れた門石なら」
そこには、欠けた石が積まれていた。
「門石を道へ」
門番が困った顔をした。
「見た目が」
「門が立派でも、道が沈めば荷は入れません」
ミリアが言った。
いつの間にか、彼女は道の端に立っていた。
井戸覆いを置いてきたのだろう。
手には新台帳。
「門石を使います」
門番はすぐに頭を下げた。
「承知しました」
エルクが妹を見た。
ミリアがその視線に気づき、軽く首を振った。
「見栄は、もう切りました」
道へ戻る。
「作業を分けます」
メイナが紙を構えた。
「一つ。西側だけ軽荷通行」
「はい」
「二つ。東側の深い轍は、乾かした藁と割れ石で仮埋め」
「はい」
「三つ。水の逃げ道を、古井戸側ではなく外溝へ切る」
「はい」
「四つ。西三札は欠番として掲示。返却まで、同札での通行禁止」
ルシアがうなずいた。
「それは商人にも見せな。通行札の抜けは、後で揉める」
「掲示します」
「五つ。補修物資の帳簿を確認。砕石十、砂利六、木杭十二。現物木杭四。残りは移動不明」
エルクが腕を組む。
「また移動不明か」
「はい」
「便利だな」
「便利にしてはいけない言葉です」
「そうだった」
作業は昼前に始まった。
ゴルツたち今日雇い。
南門の兵。
西門の門番。
バルドが連れてきた動ける兵二人。
そして、エルク。
道の端で、通る荷車を止める位置を決める。
軽い荷から通す。
重い荷は半分降ろす。
荷を降ろす台は、崩れた門石を二つ並べて作る。
「台まで作るのか」
ゴルツが言った。
「荷を地面に置くと濡れます」
「何でも先に壊れる場所を見るんだな」
「壊れてから見ると、高いので」
「安い台か」
「拾った石なので」
「言い方」
ルシアの商会の荷が最初に通った。
荷車は半分降ろされた。
布包みを二つ、門石の台へ。
残りを乗せて、西側の浅い轍を通す。
車輪は沈んだ。
だが、抜けた。
馬の息も乱れない。
「通った」
門番が言った。
「一台だけです」
「一台が通れば、次も読めます」
バルドが連れてきた古参兵の一人が、割れ石を持ったまま黙った。
門石を道へ使うと聞いた時、最後まで渋っていた男だ。
彼は沈まなかった車輪を見てから、石を置く位置を変えた。
「次は、ここか」
「はい」
レインが答えると、古参兵はそれ以上言わなかった。
ルシアが荷を見ながら言う。
「半荷なら、今日あと三台は通せるね」
「二台です」
「三」
「二」
「二台半」
「荷車に半分はありません」
「荷ならある」
少し考えてから答えた。
「二台と、手運び一回」
ルシアが笑った。
「商談になってきた」
「道の話です」
「商売は道の話だよ」
西門は止まらなかった。
古井戸へ流れる水の道も、仮に切れた。
門石は見栄えを失ったが、荷台になった。
藁は井戸を汚した証拠から、泥止めの材料になった。
ただし、補修物資は消えたままだ。
砕石十。
砂利六。
木杭八。
それらがどこへ行ったかは分からない。
西門の控えを、もう一度見た。
西三。
黒い小車。
街道補修用。
受取。
門番の控えの端に、押し跡がある。
青蝋ではない。
黒い蝋。
小さく、三角の印。
「この印は」
門番が顔をしかめる。
「西門のものではありません」
ルシアが覗き込んだ。
「黒蝋だね」
「知っていますか」
「王都の小商会が使う。ヴァンハ――の下請けが好む色だ」
ヴァンハ――。
ミリアが小さく息を吸った。
「王都に」
「断定はしません」
「ですが、控えは残します」
「追えないものは、消さない」
「はい」
メイナが書く。
西三札。
黒蝋三角印。
街道補修物資、移動不明。
ヴァンハ――系下請け疑い。
「疑い、と書くのですね」
「確定ではありません」
「嫌な慎重さです」
「必要です」
「分かっています」
夕方前、西側の軽荷道は形になった。
「三日で直りますか」
ミリアが聞いた。
「直りません」
「では」
「三日で壊れ方を遅くします。その間に砕石と砂利を探します」
「それがなければ」
「別のものを切ります」
「何を」
レインの目が門の上へ向いた。
西門には、装飾用の白石がはめ込まれている。
古いものではない。
最近、見栄えのためにつけた石だ。
「門飾りの白石です」
門番が息を飲む。
エルクも顔を上げた。
「そこまでやるのか」
「道が沈むなら」
「門がみすぼらしくなる」
「荷が入ります」
エルクの目が白石へ落ちた。
それから、仮埋めした道を見た。
「また同じ紙か」
「はい」
「切るもの、門飾り。残すもの、街道」
「はい」
エルクが長く息を吐いた。
「父上に怒られるな」
「私が説明します」
ミリアが言った。
「兄様だけに怒らせません」
エルクが妹を見て、少しだけ笑った。
「強くなったな」
「強くなりたくてなったわけではありません」
「それでもだ」
新台帳に書き付けた。
門飾り白石。
街道補修材候補。
使用判断、三日後。
西門の仮掲示が出された。
西側軽荷通行。
重荷は半荷。
西三札、無効。
補修中、三日。
商人にも、領民にも、同じ数字。
ルシアの目が掲示の上にあり、腕を組んだ。
「これなら、文句は出る」
「出ますか」
「出る。けど、荷車が沈むよりはましだ」
「ましを集めています」
「それ、流行らせる気かい」
「ありません」
ゴルツが泥止めの藁を踏み固めながら言った。
「俺はもう覚えたぞ。今夜は、ましを食う」
「食べないでください」
「粥の話だ」
バルドが笑った。
笑いながら、深い轍に割れ石を落とす。
だが、西三札はまだ戻っていない。
黒い小車も消えたまま。
補修物資もない。
夕方、門番がレインへ小さな紙を渡した。
「西三の出門時、御者が置いていったものです。汚れていたので、別にしていました」
紙ではなかった。
薄い布片だ。
防水布。
井戸覆いと同じ布。
その裏に、黒蝋が少しこびりついている。
そして、細い文字。
第六日、戻し。
「戻し」
ミリアが読む。
「何を戻すのでしょう」
仮補修した街道へ目を落とした。
「分かりません」
布片を証拠袋へ入れた。
「ただ、戻される前に、こちらの残すものを決めます」




