冬物資の棚
冬物資は、会計室にはなかった。
ロアムは、会計室の扉の前で背を伸ばしている。
「会計室預かりとは、支払い上の管理を意味します」
「現物ではなく」
レインが聞くと、ロアムが小さくうなずいた。
「現物は、礼装庫の一角に置かれていたはずです」
「はず」
「毎日見るものではありません」
「冬物資ですから」
「今は冬ではありません」
その言葉に、バルドが低く笑った。
「冬に見たら、もう遅い」
バルドの言葉が、廊下に残った。
外套三十・毛布二十・井戸覆い五。新台帳の余白に、冬物資・現物確認・礼装庫と書いた。本倉・街道補修・井戸修繕の配分を再計算する。
「礼装庫の鍵は」
「儀礼係が」
ロアムが言いかけた時、エルクが顔をしかめた。
「礼装庫を開けるのか」
「はい」
「あそこには父上の式典具と、祖父の旗がある」
「冬物資もあるそうです」
「布や毛布を探すだけなら、他の者に」
「現物確認が必要です」
エルクの声が硬くなる。
「何でも開ければいいわけではない」
ロアムの目が、またかすかに光った。
レインの目がエルクへ向いた。
「では、エルク様も立ち会ってください」
「そういう話では」
「礼装庫を守りたい人が、何が残っているか見るべきです」
エルクが言葉を止めた。
「見れば、使えと言うだろう」
「使えるものは」
「旗もか」
「旗は、井戸覆いに向きません」
エルクが一瞬、変な顔をした。
「そういう意味じゃない」
「分かっています」
「本当か」
「たぶん」
バルドが咳払いをした。
ミリアが静かに言った。
「兄様。私も立ち会います」
「ミリア」
「礼装庫を開けます。使うかどうかは、見てから決めます」
エルクが押し返せなくなった。
「分かった。俺も見る」
礼装庫は領主館の西側、普段は使われない廊下の先にあった。窓は細く、床には古い敷布が残っている。
廊下の中央は白く、端にだけ最近の足跡がある。
「誰か来ています」
レインが言うと、ロアムがすぐに答えた。
「清掃です」
「清掃は中央を通ります」
ロアムが黙った。
エルクが床を見る。
「端を歩いているな」
「扉前まで」
足跡を追った。
礼装庫の扉は重い木製で、家紋の金具がついている。鍵穴は古いが、縁だけ新しく擦れていた。
「最近、開けています」
「清掃です」
繰り返すロアムの声は、今度は少しだけ遅かった。
「では、清掃記録を後で出してください」
メイナが言った。
「後で」
ロアムは、その短い言葉を嫌そうに受け取った。
礼装庫の鍵は、儀礼係の若い男が持ってきた。顔が白く、手元が震えている。
「落とさないでください」
メイナが言う。
「は、はい」
「鍵を落とすと、記録が増えます」
「はい?」
「いえ」
レインの目が、少しだけメイナへ向いた。
鍵が回り、扉が開いた。中から、古い布と防虫草の匂いが出た。
礼装庫の中は暗い。右手に旗・左手に儀礼服・奥に木箱・天井近くに細い棚。見た目は整っていた。ただ、整いすぎていた。
「触る前に、位置を記録します」
レインが言うと、儀礼係が驚いた顔をした。
「位置までですか」
「動かした後では、分かりません」
メイナが棚の配置を書く。
トマが箱の数を読む。木箱八・布包み十二・旗四・儀礼服六・丸めた敷布三。
冬物資と書かれた箱は、奥に二つあった。
外套、毛布、井戸覆い。札は三枚、箱は二つ。数が合わない。
「井戸覆いの箱がありません」
レインが言うと、ロアムがすぐに返した。
「大きなものです。別の棚かもしれません」
「札はここにあります」
「札の位置が動いたのでしょう」
「いつ」
「清掃の時に」
外套の箱から見た。蓋の上に埃。ただし手前だけ拭われ、最近開けている。
中には外套が入っていた。厚手の灰色で、軍払い下げに近い作りだ。
一枚ずつ数える。十、十五、二十、二十一で終わった。
「外套、二十一」
メイナが書く。
「帳簿上三十。差九」
「状態は」
ガレスが一枚を広げる。
「使えるのは十六。穴あり四。黴が出ているのが一」
「穴ありは」
「当て布で使える」
「黴は」
「洗って干す。兵にすぐ着せるな」
短く頷いた。
「外套二十一。即時使用十六、補修四、洗浄一」
エルクが外套を見て、顔をしかめる。
「こんなものがあったのか」
「帳簿上は」
「そういう言い方をするな」
「すみません」
「謝る顔じゃない」
次に、毛布の箱を開ける。こちらは軽かった。中には毛布が十二枚、その下に丸めた飾り布が詰められている。毛布の代わりに見栄えのする布を入れて、厚みを作っていた。
「毛布、十二」
トマが言う。
「帳簿上二十。差八」
メイナが状態を見た。
「使えるもの九。端切れ修理で使えるもの二。虫食い一」
「虫食いは」
「包帯にも向きません。掃除布か、濡れ麦の下敷き」
彼女は自分で言って、少し嫌な顔をした。
「物の格が下がっていきます」
「格ではなく、用途です」
「分かっています。嫌なだけです」
「嫌でいいと思います」
「その返しは、ミリア様に言ったものと同じです」
「すみません」
「謝罪も記録しますか」
「しなくていいです」
今度はトマが少し笑った。笑ってから、手を止めずにすぐ毛布を数え直す。
井戸覆いは、箱も棚にもない。
丸めた敷布を開く。違う、儀礼用の床布だ。厚いが、井戸にかけるには水を吸いすぎる。
旗の裏にもない。儀礼服の下にもない。
礼装庫の奥に壁板があった。床を見ると、壁際の埃が切れている。箱を引きずった跡だが、箱はない。
「ここに何がありましたか」
儀礼係が首を振る。
「私は、詳しく」
「あなたは鍵を持っていました」
「鍵を預かっていただけです」
「誰に渡しましたか」
儀礼係はロアムを見る。
ロアムが動かなかった。
「清掃の時に、会計室から」
「誰が」
「ロアム様の指示で」
エルクの視線がロアムへ向く。
ロアムが、ゆっくりと息を吐いた。
「井戸覆いは、昨冬の終わりに一時移動しました」
「どこへ」
「南井戸です」
「南井戸」
「破損した井戸覆いの代替として」
「記録は」
「会計室に」
「会計室にはありませんでした」
ロアムが黙った。
新台帳に書き入れる。井戸覆い五、礼装庫になし。南井戸へ一時移動との証言、記録未確認。
「南井戸へ行きます」
「今すぐですか」
ミリアが聞いた。
「はい」
「外套と毛布は」
「先に配分だけ決めます」
外套と毛布を三列に分けた。外套は即時使用十六・補修四・洗浄一。毛布は即時使用九・補修二・下敷き一。
「即時使用の外套十六は、北見張り台二、南門夜番三、兵舎負傷兵五、荷馬夜番二、本倉見張り二、街道補修の朝番二」
「荷馬夜番?」
エルクが聞く。
「馬を見張る人です。馬にかける布は、別に一枚」
「人ではなく馬にも」
「馬が凍えれば、麦が動きません」
エルクが目を閉じた。
「もう分かってきた」
「助かります」
「分かるのが腹立つ」
毛布は、病室へ四・負傷兵の敷き替えに三・北見張り台へ一・南倉の濡れ麦乾燥用に一。補修二は、メイナが修繕係へ回すと書く。下敷き一は、濡れ麦の床布。
「領主館には」
ロアムが問う。
「残しません」
ミリアの答えは、今度は前より早かった。
「来客用の毛布もありません」
「客間は捕縛者部屋です」
エルクが言って、自分で少し嫌そうな顔をした。
「慣れたくないな」
「慣れない方がいいです」
外套の一枚を手に取った。布地は粗いが、風は防げる。
帳簿上三十の外套は二十一に、毛布二十は十二に減った。井戸覆い五はまだない。だが外套十六と毛布九は、今日から人を温められる。
礼装庫から出る時、エルクが祖父の旗を見た。古い旗で、布は厚く、端が少し擦れている。
「これも、いつか切るのか」
彼は低く言った。
旗を見た。
「今は切りません」
「今は?」
「旗より先に、切る布が見つかりました」
エルクが、しばらく黙った。
「もし、最後にそれしか残らなかったら」
「その時に、同じ紙に書きます」
「止めるものと、残すものをか」
「はい」
エルクが苦い顔で笑った。
「嫌な答えだ」
「はい」
「だが、逃げた答えではない」
それだけ言って、彼は礼装庫の扉を閉めた。
南井戸は領主館の外れ、南門へ向かう途中の小さな井戸だ。冬に凍りやすく、春先でも朝は水面に薄い膜が張る。井戸覆いがあれば、夜の冷えを少し防げ、井戸縄も長持ちする。
南井戸へ着くと、すぐに分かった。井戸覆いは、そこにはなかった。
代わりに、井戸の横に古い木枠が三つ積まれている。覆いを張るための枠だが、布だけがない。
「枠三」
メイナが書く。
「帳簿上、覆い五。現物、枠三、布なし」
「二つ分の枠もない」
トマが言った。
「はい」
井戸の縁を見た。縄の擦れ跡が深く、井戸縄は傷んでいる。昨日、迎賓費から回すと決めた縄がなければ、近いうちに切れる。
「水を上げてください」
南門の兵が桶を落とすと、縄がぎしりと鳴った。途中で一度、引っかかる。
「止めて」
縄のその部分を見た。外側はまだ残っているが、芯が切れかけている。
「今日中に交換です」
「予備は」
「井戸縄を残す紙に書きました」
ミリアが言った。彼女の顔は、冬物資がなかった時よりも固い。
「覆いがないなら、せめて縄は守ります」
「はい」
ロアムが口を開いた。
「井戸覆いは、古いものだったはずです。布だけ別の修理に使われた可能性が」
「何の修理ですか」
「それは」
「記録は」
ロアムが答えなかった。
南井戸の脇に古い道具小屋がある。扉の下に布の端が見えた。濃い茶色で、井戸覆いに使う防水布に似ている。
「開けます」
「そこは水番の」
ロアムが言う。
「鍵は」
南門の兵が腰から出した。
「あります」
ロアムが黙った。
道具小屋の中は狭い。木桶・折れた柄杓・古い縄。そして奥に丸められた布が二つ。井戸覆いだった。二枚、硬くなっているが破れてはいない。
「井戸覆い二」
メイナが書く。
「帳簿上五。礼装庫なし。南井戸枠三、布二」
「あと三枚」
トマが言う。
布の端を見た。小さな切り取り跡がある。四角く切られ、防水布を小さく切って使った跡だ。
「切られています」
「何に」
エルクが聞いた。
ルシアが、道具小屋の外から覗き込んだ。
「荷車の雨覆いだね」
「なぜ分かるのですか」
「商人だからね。防水布は、荷を濡らさないためにも使う」
「領内の荷車に」
「まともに使っていればね」
ルシアが少し考えた。
「最近、西門で見た黒い小車に、似た布がかかっていた」
黒い小車、西門、青紐。
「その荷車は」
「王都側へ出た。査察官の馬車とは別だよ」
「いつ」
「昨日の夜明け前」
新台帳へ書いた。井戸覆い五、現物二、枠三、欠三。防水布切取跡、西門黒小車に類似布目撃。
「また西門か」
エルクが言った。
「はい」
「追うか」
「今は追いません」
エルクが目を細めた。
「今度は、なぜだ」
「井戸縄が先です」
井戸を見た。
「この縄は、今日切れるかもしれません。黒い小車は、昨日出ています」
「逃げた後だから」
「はい。今追っても、井戸が止まります」
エルクが深く息を吐いた。
「分かった。腹は立つが」
「私もです」
「本当か」
「はい」
エルクが、それ以上言わなかった。
南井戸の前で、配分が決まった。井戸覆い二は南井戸と北見張り台の井戸へ一枚ずつ、枠三は修理して井戸覆いが戻るまで雨覆いの骨に転用する。傷んだ井戸縄は今日中に交換、古い縄は切って荷車の仮縛りと濡れ麦干しに使う。街道補修班へ渡す短縄も、ここから出す。
「古い縄まで」
ロアムが言った。
「捨てるのでは」
「捨てるには、まだ長い部分があります」
「短い縄など」
「短い縄で足りる仕事もあります」
ガレスがうなずいた。
「袋口を縛るには、長すぎる縄の方が邪魔だ」
ロアムが黙った。
外套十六と毛布九がすぐ使える。井戸覆い二が戻り、井戸縄の交換と古い縄の再利用先も決まった。
領主館へ戻る途中、ミリアが言った。
「残すものを探す方が、切るより苦しいですね」
「はい」
「切るだけなら、紙に線を引けば済みます」
「残すには、現物を持ってこなければなりません」
「そして、足りないことを見る」
「はい」
ミリアは歩きながら、井戸覆いの布へ目を落とした。重そうだったが、持つと言って離さない。
「それでも、残したいです」
「はい」
「次は」
「井戸縄の交換と、外套の配布。本倉の夜番と街道補修班の人数を組み直します。その後、西門の黒い小車を記録に入れます」
「追わないけれど、消さない」
「はい」
ミリアが頷いた。
領主館の門が見えた時、南門の使いが走ってきた。今度は息が上がっているだけではなく、顔に焦りがある。
「南井戸の隣の古井戸も、水が濁っています」
足が止まった。
「いつから」
「今朝です。水を汲んだ者が、土の匂いがすると」
新台帳を閉じなかった。次の欄にもう一つ書き足した。古井戸、水質確認。




