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追放された雑用係、敗戦処理の天才だった ~崩壊寸前の辺境領を立て直す~   作者: 山田鰻
第五章 切るべきもの、残すべきもの

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冬物資の棚

冬物資は、会計室にはなかった。


ロアムは、会計室の扉の前で背を伸ばしている。


「会計室預かりとは、支払い上の管理を意味します」


「現物ではなく」


レインが聞くと、ロアムが小さくうなずいた。


「現物は、礼装庫の一角に置かれていたはずです」


「はず」


「毎日見るものではありません」


「冬物資ですから」


「今は冬ではありません」


その言葉に、バルドが低く笑った。


「冬に見たら、もう遅い」


廊下の空気が少し重くなる。


外套三十。


毛布二十。


井戸覆い五。


新台帳の余白に書いた。


冬物資。


現物確認。


礼装庫。


本倉、街道補修、井戸修繕の配分を再計算。


「礼装庫の鍵は」


「儀礼係が」


ロアムが言いかけた時、エルクが顔をしかめた。


「礼装庫を開けるのか」


「はい」


「あそこには父上の式典具と、祖父の旗がある」


「冬物資もあるそうです」


「布や毛布を探すだけなら、他の者に」


「現物確認が必要です」


エルクの声が硬くなる。


「何でも開ければいいわけではない」


ロアムの目が、またかすかに光った。


レインの目がエルクへ向いた。


「では、エルク様も立ち会ってください」


「そういう話では」


「礼装庫を守りたい人が、何が残っているか見るべきです」


エルクが言葉を止めた。


「見れば、使えと言うだろう」


「使えるものは」


「旗もか」


「旗は、井戸覆いに向きません」


エルクが一瞬、変な顔をした。


「そういう意味じゃない」


「分かっています」


「本当か」


「たぶん」


バルドが咳払いをした。


ミリアが静かに言った。


「兄様。私も立ち会います」


「ミリア」


「礼装庫を開けます。使うかどうかは、見てから決めます」


エルクが押し返せなくなった。


「分かった。俺も見る」


礼装庫は、領主館の西側にあった。


普段は使われない廊下の先だ。


窓は細く、床には古い敷布が残っている。


廊下の中央は白い。


端にだけ、最近の足跡がある。


「誰か来ています」


レインが言うと、ロアムがすぐに答えた。


「清掃です」


「清掃は中央を通ります」


ロアムが黙った。


エルクが床を見る。


「端を歩いているな」


「扉前まで」


足跡を追った。


礼装庫の扉は重い木製だった。


家紋の金具がついている。


鍵穴は古い。


だが、鍵穴の縁だけ新しく擦れていた。


「最近、開けています」


「清掃です」


ロアムが繰り返す。


今度は、声が少しだけ遅い。


「では、清掃記録を後で出してください」


メイナが言った。


「後で」


ロアムの顔が、その短い言葉を嫌そうに受け取った。


礼装庫の鍵は、儀礼係の若い男が持ってきた。


顔が白い。


手元が震えている。


「落とさないでください」


メイナが言う。


「は、はい」


「鍵を落とすと、記録が増えます」


「はい?」


「いえ」


レインの目が、少しだけメイナへ向いた。


鍵が回る。


扉が開いた。


中から、古い布と防虫草の匂いが出た。


礼装庫の中は暗い。


右手に旗。


左手に儀礼服。


奥に木箱。


天井近くに、細い棚。


見た目は整っていた。


また、整いすぎていた。


「触る前に、位置を記録します」


レインが言うと、儀礼係が驚いた顔をした。


「位置までですか」


「動かした後では、分かりません」


メイナが棚の配置を書く。


トマが箱の数を読む。木箱八、布包み十二、旗四、儀礼服六、丸めた敷布三。


冬物資と書かれた箱は、奥に二つあった。


外套。


毛布。


井戸覆い。


札は三枚。


箱は二つ。


数が合わない。


「井戸覆いの箱がありません」


レインが言うと、ロアムがすぐに返した。


「大きなものです。別の棚かもしれません」


「札はここにあります」


「札の位置が動いたのでしょう」


「いつ」


「清掃の時に」


外套の箱から見た。


蓋の上に埃。


ただし、手前だけ拭われている。


最近開けている。


中には外套が入っていた。


厚手の灰色。


軍払い下げに近い作りだ。


一枚ずつ数える。


十。


十五。


二十。


二十一。


そこで終わった。


「外套、二十一」


メイナが書く。


「帳簿上三十。差九」


「状態は」


ガレスが一枚を広げる。


「使えるのは十六。穴あり四。黴が出ているのが一」


「穴ありは」


「当て布で使える」


「黴は」


「洗って干す。兵にすぐ着せるな」


短く頷いた。


「外套二十一。即時使用十六、補修四、洗浄一」


エルクが外套を見て、顔をしかめる。


「こんなものがあったのか」


「帳簿上は」


「そういう言い方をするな」


「すみません」


「謝る顔じゃない」


次に、毛布の箱を開ける。


こちらは軽かった。


中には、毛布が十二枚。


その下に、丸めた飾り布が詰められている。


毛布の代わりに、見栄えのする布を入れて厚みを作っていた。


「毛布、十二」


トマが言う。


「帳簿上二十。差八」


メイナが状態を見た。


「使えるもの九。端切れ修理で使えるもの二。虫食い一」


「虫食いは」


「包帯にも向きません。掃除布か、濡れ麦の下敷き」


彼女は自分で言って、少し嫌な顔をした。


「物の格が下がっていきます」


「格ではなく、用途です」


「分かっています。嫌なだけです」


「嫌でいいと思います」


「その返しは、ミリア様に言ったものと同じです」


「すみません」


「謝罪も記録しますか」


「しなくていいです」


今度はトマが少し笑った。


笑ってから、すぐに毛布を数え直す。


手は止まっていない。


井戸覆いは、箱がない。


棚にもない。


丸めた敷布を開く。


違う。


儀礼用の床布だ。


厚いが、井戸にかけるには水を吸いすぎる。


旗の裏。


ない。


儀礼服の下。


ない。


礼装庫の奥に、壁板があった。


床を見る。


壁際の埃が切れている。


箱を引きずった跡。


しかし、箱はない。


「ここに何がありましたか」


儀礼係が首を振る。


「私は、詳しく」


「あなたは鍵を持っていました」


「鍵を預かっていただけです」


「誰に渡しましたか」


儀礼係はロアムを見る。


ロアムが動かなかった。


「清掃の時に、会計室から」


「誰が」


「ロアム様の指示で」


エルクの視線がロアムへ向く。


ロアムが、ゆっくりと息を吐いた。


「井戸覆いは、昨冬の終わりに一時移動しました」


「どこへ」


「南井戸です」


「南井戸」


「破損した井戸覆いの代替として」


「記録は」


「会計室に」


「会計室にはありませんでした」


ロアムが黙った。


新台帳に書き入れる。


井戸覆い五。


礼装庫になし。


南井戸へ一時移動との証言。


記録未確認。


「南井戸へ行きます」


「今すぐですか」


ミリアが聞いた。


「はい」


「外套と毛布は」


「先に配分だけ決めます」


外套と毛布を三列に分けた。


外套、即時使用十六。


補修四。


洗浄一。


毛布、即時使用九。


補修二。


下敷き一。


「即時使用の外套十六は、北見張り台二、南門夜番三、兵舎負傷兵五、荷馬夜番二、本倉見張り二、街道補修の朝番二」


「荷馬夜番?」


エルクが聞く。


「馬を見張る人です。馬にかける布は、別に一枚」


「人ではなく馬にも」


「馬が凍えれば、麦が動きません」


エルクの目が閉じられた。


「もう分かってきた」


「助かります」


「分かるのが腹立つ」


毛布は、病室へ四。


負傷兵の敷き替えに三。


北見張り台へ一。


南倉の濡れ麦乾燥用に一。


補修二は、メイナが修繕係へ回すと書く。


下敷き一は、濡れ麦の床布。


「領主館には」


ロアムが問う。


「残しません」


ミリアが答えた。


今度は、前より早かった。


「来客用の毛布もありません」


「客間は捕縛者部屋です」


エルクが言った。


自分で言って、少し嫌そうな顔をした。


「慣れたくないな」


「慣れない方がいいです」


外套の一枚を手に取った。


布地は粗い。


だが、風は防げる。


帳簿上三十の外套は、二十一に減った。


毛布二十は、十二に減った。


井戸覆い五は、まだない。


だが、外套十六と毛布九は、今日から人を温められる。


礼装庫から出る時、エルクが祖父の旗を見た。


古い旗だ。


布は厚く、端が少し擦れている。


「これも、いつか切るのか」


彼は低く言った。


旗を見た。


「今は切りません」


「今は?」


「旗より先に、切る布が見つかりました」


エルクが、しばらく黙った。


「もし、最後にそれしか残らなかったら」


「その時に、同じ紙に書きます」


「止めるものと、残すものをか」


「はい」


エルクが苦い顔で笑った。


「嫌な答えだ」


「はい」


「だが、逃げた答えではない」


それだけ言って、彼は礼装庫の扉を閉めた。


南井戸は、領主館の外れにある。


南門へ向かう途中の小さな井戸だ。


冬に凍りやすく、春先でも朝は水面に薄い膜が張る。


井戸覆いがあれば、夜の冷えを少し防げる。


井戸縄も長持ちする。


南井戸へ着くと、すぐに分かった。


井戸覆いは、そこにはなかった。


代わりに、井戸の横に古い木枠が三つ積まれている。


覆いを張るための枠だ。


布だけがない。


「枠三」


メイナが書く。


「帳簿上、覆い五。現物、枠三、布なし」


「二つ分の枠もない」


トマが言った。


「はい」


井戸の縁を見た。


縄の擦れ跡が深い。


井戸縄は傷んでいる。


昨日、迎賓費から回すと決めた縄がなければ、近いうちに切れる。


「水を上げてください」


南門の兵が桶を落とす。


縄がぎしりと鳴った。


途中で一度、引っかかる。


「止めて」


縄のその部分を見た。


外側はまだ残っている。


芯が切れかけている。


「今日中に交換です」


「予備は」


「井戸縄を残す紙に書きました」


ミリアが言った。


彼女の顔は、冬物資がなかった時よりも固い。


「覆いがないなら、せめて縄は守ります」


「はい」


ロアムが口を開いた。


「井戸覆いは、古いものだったはずです。布だけ別の修理に使われた可能性が」


「何の修理ですか」


「それは」


「記録は」


ロアムが答えなかった。


南井戸の脇に、小屋がある。


古い道具小屋だ。


扉の下に、布の端が見えた。


濃い茶色。


井戸覆いに使う防水布に似ている。


「開けます」


「そこは水番の」


ロアムが言う。


「鍵は」


南門の兵が腰から出した。


「あります」


ロアムが黙った。


道具小屋の中は狭い。


木桶。


折れた柄杓。


古い縄。


そして、奥に丸められた布が二つ。


井戸覆いだった。


二枚。


硬くなっているが、破れてはいない。


「井戸覆い二」


メイナが書く。


「帳簿上五。礼装庫なし。南井戸枠三、布二」


「あと三枚」


トマが言う。


布の端を見た。


そこに小さな切り取り跡がある。


四角く切られている。


防水布を、小さく切って使った跡だ。


「切られています」


「何に」


エルクが聞いた。


ルシアが、道具小屋の外から覗き込んだ。


「荷車の雨覆いだね」


「なぜ分かるのですか」


「商人だからね。防水布は、荷を濡らさないためにも使う」


「領内の荷車に」


「まともに使っていればね」


ルシアが少し考えた。


「最近、西門で見た黒い小車に、似た布がかかっていた」


黒い小車。


西門。


青紐。


「その荷車は」


「王都側へ出た。査察官の馬車とは別だよ」


「いつ」


「昨日の夜明け前」


新台帳へ書いた。


井戸覆い五。


現物二。


枠三。


欠三。


防水布切取跡。


西門黒小車に類似布目撃。


「また西門か」


エルクが言った。


「はい」


「追うか」


「今は追いません」


エルクの目が細められた。


「今度は、なぜだ」


「井戸縄が先です」


井戸を見た。


「この縄は、今日切れるかもしれません。黒い小車は、昨日出ています」


「逃げた後だから」


「はい。今追っても、井戸が止まります」


エルクが深く息を吐いた。


「分かった。腹は立つが」


「私もです」


「本当か」


「はい」


エルクが、それ以上言わなかった。


南井戸の前で、配分が決まった。


井戸覆い二は、南井戸と北見張り台の井戸へ一枚ずつ。


枠三は修理して、井戸覆いが戻るまで雨覆いの骨に転用。


傷んだ井戸縄は今日中に交換。


古い縄は切って、荷車の仮縛りと濡れ麦干しに使う。


街道補修班へ渡す短縄も、ここから出す。


「古い縄まで」


ロアムが言った。


「捨てるのでは」


「捨てるには、まだ長い部分があります」


「短い縄など」


「短い縄で足りる仕事もあります」


ガレスがうなずいた。


「袋口を縛るには、長すぎる縄の方が邪魔だ」


ロアムが黙った。


外套十六と毛布九がすぐ使える。井戸覆い二が戻り、井戸縄の交換と古い縄の再利用先も決まった。


領主館へ戻る途中、ミリアが言った。


「残すものを探す方が、切るより苦しいですね」


「はい」


「切るだけなら、紙に線を引けば済みます」


「残すには、現物を持ってこなければなりません」


「そして、足りないことを見る」


「はい」


ミリアの目が、歩きながら井戸覆いの布へ落ちた。


重そうだった。


だが、持つと言って離さない。


「それでも、残したいです」


「はい」


「次は」


「井戸縄の交換と、外套の配布。本倉の夜番と街道補修班の人数を組み直します。その後、西門の黒い小車を記録に入れます」


「追わないけれど、消さない」


「はい」


ミリアが頷いた。


領主館の門が見えた時、南門の使いが走ってきた。


今度は、息が上がっているだけではない。


顔に焦りがある。


「南井戸の隣の古井戸も、水が濁っています」


足が止まった。


「いつから」


「今朝です。水を汲んだ者が、土の匂いがすると」


新台帳を閉じなかった。


次の欄に、もう一つ書き足した。


古井戸。


水質確認。

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