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追放された雑用係、敗戦処理の天才だった ~崩壊寸前の辺境領を立て直す~   作者: 山田鰻
第四章 空の倉庫と偽りの台帳

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帳簿を一から

「帳簿を、一から作り直します」


レインが言うと、会計室の空気が止まった。


逃げたラドは戻っていない。


エルクが西の小門から戻り、泥のついた手袋を握りしめたまま壁際に立っている。捕まえられなかった悔しさが顔に残っていた。


ミリアが長机の前に立っている。


ガレスが封じた旧台帳を足元に置いた。


ダルムは椅子に座らされている。正式な処分ではない。会計室関係者として、確認中の待機。だが、彼の顔から余裕はかなり消えていた。


「一からとは、乱暴ですな」


ダルムが言った。


声はまだ整っている。


「旧台帳を修正すればよい。長年の記録を捨てれば、領政そのものが」


「捨てません」


旧台帳の上に手を置いた。


「封じます」


ミリアがうなずいた。


「旧台帳は証拠として保管します。今後の配給、支払い、修繕、倉庫出納には使いません」


「では何で動かすのです」


「現物優先の新台帳です」


白い紙を出した。


一枚目に本倉現物、二枚目に兵実数、三枚目に馬と荷馬車、四枚目に未払いと契約、五枚目に修繕優先。


「最初から全部を整えません。今日生きるもの、明日動かすもの、一週間で確認するものに分けます」


「王都式ではない」


ダルムが言う。


「現物式です」


「そんな帳簿は正式に通りません」


「正式に通す帳簿は後で作ります」


白紙を机に並べた。


「今必要なのは、領地を動かす帳簿です。王都へ出すための帳簿ではありません」


「王都を軽んじるのか」


「王都へ嘘を送らないためです」


ダルムは口を閉じた。


旧台帳をそのまま清書すれば、形は整う。だが、空の倉庫が満ちていることになり、いない兵が飯を食い、直っていない門が直ったことになる。


ガレスが低く笑った。


「いい名前じゃねえな」


「正式名ではありません」


「ならいい」


ガレスが初めて、レインの紙を自分から覗き込む。


「麦は正規袋と軽量袋を分けろ。混ぜると若いのが間違える」


「はい」


「塩は俺が封じる。だが、鍵はミリア様の印も要る」


「二重確認にします」


「三重にしろ。俺、ミリア様、記録係」


筆が止まった。


「記録係は」


ガレスが部屋の隅を顎で示した。


トマが肩を跳ねさせる。


「俺、ですか」


「お前は字が曲がるが、見たものは曲げにくい顔をしてる」


だが、トマが小さく頷いた。


「やります」


ミリアが一歩前へ出た。


「私からも命じます。トマ、今日から現物確認の記録補佐を」


「はい」


トマの返事は細かった。


ラドが逃げた後、会計室の若い書記たちは全員が自分の机を見ていた。誰も、次に疑われるのが自分ではないとは思えない。


「記録は、見た順に書いてください」


短く告げた。


「整えてから書かなくていい。間違えたら横線で消す。消した跡も残す」


「汚くなります」


「汚れている方が、後で直された紙より信用できます」


トマの唇が結ばれ、頷いた。


エルクが口を開いた。


「兵の未払いは」


「別紙です」


四枚目を出した。


「払える日を約束しません。確認した銭、確認した未払い、優先順だけを書く。兵には、空約束をしない」


エルクが苦い顔で頷いた。


「バルドに言わせる」


「エルク様からも」


「俺が言えば荒れる」


「言わなければ、もっと荒れます」


エルクの目が睨んだ。


だが、反論しなかった。


ミリアが紙を見ていた。


「止める支出と、残す支出を同じ紙に」


「はい」


「会計室の前で、明日説明します」


「旧台帳の封印を」


ガレスが言った。


ミリアの手が封蝋を取った。


煤の跡がまだ指に残っている。昨日、客間の火を消した指だ。その指で、旧台帳の紐に封を落とす。


エルクが確認印を押す。


ガレスが倉庫番の印を押す。


トマが時刻を書く。


最後に、封印理由を短く書いた。


現物不一致多数、再作成中。


「これで終わりではありません」


ミリアが言った。


「分かっています」


「明日から、もっと反発が出ます」


「はい」


「それでも、旧台帳ではもう動かしません」


部屋の中で、誰もすぐには答えなかった。


ガレスが最初に口を開いた。


「若造」


「はい」


「お前、帳簿屋にしちゃ手が汚れるな」


「昨日から、だいぶ」


「いいことだ」


新台帳の一枚目に、最初の行を書いた。


本倉麦、正規九袋、軽量十一袋、使用不可四袋。


二行目には、大麦十二袋、うち使用不可四袋。


三行目には、豆五袋。


四行目には、塩樽一、湿りあり。


書けば書くほど、貧しい数字だった。


ミリアの目が、その行から逸らされなかった。


「この数字で、明日の配分を組みます」


「はい」


「足りないと言われたら」


「足りないと答えます」


「怒鳴られたら」


「現物を見せます」


ミリアが小さく息を吸った。


「隠さないのですね」


「隠す余裕がありません」


その下に、太い線を引く。


この線より上は、旧台帳。


この線より下は、現物。


翌日からの削減作業は、この線の下で始まる。


会計室の外には、もう人が集まり始めていた。


静かな拒否が、廊下に積もっている。


ミリアが新台帳を閉じず、同じ紙の上に置いたまま言った。


「止めるものと、残すものを並べます」


その時、廊下の奥で、軽く手を叩く音がした。


一度。


二度。


役人たちの視線がそちらへ向く。


柱の陰に、旅装の女が立っていた。濃い外套の裾に街道の泥がつき、腰には小さな算盤袋を下げている。護衛らしい男を一人だけ連れていたが、本人の方がよほど場慣れして見えた。


「いいね」


女は笑った。


「死にかけた帳簿にしては、まだ商売の匂いがする」


ミリアが眉を寄せる。


「どなたですか」


「フェネル商会のルシア・フェネル。塩と薬布の見積もりを持ってきた、ということにしておくよ」


「ということに?」


「本当は、ここがまだ荷を入れる価値のある領地か見に来た」


エルクが一歩前に出る。


「今は取り込み中だ」


「だから見ている。取り込み中の時に、金を払う順番が見えるからね」


ルシアの目が、新台帳の白い紙へ落ちた。


「嘘の黒字より、貧しい実数の方がましだ。商人は、嘘をつく相手より、足りないと先に言う相手の方を信用する」


レインの目が、女の手元へ落ちた。


指先に荷縄の痕がある。


「見積もりは」


「明日でいい。今夜は、その紙がどこまで本気か見せてもらう」


ルシアが軽く肩をすくめた。


「酒はいらない。椅子もいらない。払えない歓迎ほど高いものはないからね」


会計室の外に積もっていた静かな拒否の中へ、別の視線が混じった。


商人の目だ。

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