給与遅配の連鎖
未払い、二か月。
傭兵契約、更新印なし。
門番手当、半額支給。
門番セムへ回す粥と塩を決めるため、兵舎の支払い控えも開かせた。
食料とは別の穴が、そこにあった。
兵が減った理由は、戦死や病だけではない。
銭が遅れている。
銭が遅れれば、兵は家族へ送れない。家族へ送れなければ、村へ戻る。戻れば門が薄くなる。門が薄くなれば、商人が避ける。商人が避ければ、税が減る。
支払い控えは、わざと分かりにくく作られていた。
完全な未払いではない。一部支給、次月繰越、現物支給予定、家族宛送金保留と、言い換えの紙だけが律儀に並んでいた。
「これは遅配ではなく、整理中の支払いです」
兵舎の隅にいた会計補助が言った。
バルドがその男を睨む。
「俺の女房に、整理中って言ってみろ」
会計補助は黙った。
「給与の遅配は、いつからですか」
レインが聞くと、兵舎の古参兵は目をそらした。
名はバルド。
エルクの部下で、兵からは信頼されているらしい。腕は太いが、袖口は何度も縫い直されている。
「一月前から、少しずつだ」
「少しずつ」
「全部遅れたわけじゃない。半分出たり、古参だけ先に出たり、若いのは来月に回されたり」
「それで残った兵が八十六」
バルドは苦い顔をした。
「逃げた奴ばかりじゃない。家に戻らなきゃならん奴もいた」
エルクが拳を握る。
「俺は聞いていない」
「若様に言えば、会計室が怒る」
「俺より会計室が怖いのか」
「給金の紙を握ってるのは、会計室です」
エルクは言葉を失った。
「傭兵契約は」
レインは別の紙を開いた。
「契約数、二十四。実在確認、十七。更新印なしが九。うち五人は、すでに門外警備に出ている」
「印なしで?」
ミリアが顔を上げる。
「はい。印なしのまま働かせています。支払いが滞れば、彼らは正規兵より先に離れます」
「離れたら」
「道の外側へ行きます」
言葉を選んだ。
傭兵がすべて盗賊になるわけではない。
だが、銭を払われず、食料も薄く、契約の紙も曖昧なら、領地を守る側から外れる者は出る。
「街道で見た足跡」
レインは言った。
「宿場跡で塩を拾う子どもとは別に、大人の足跡がありました。軍靴ではない。商人でもない。歩き方は護衛に近い」
バルドが顔を上げた。
「元傭兵か」
「可能性です」
「可能性だけで人を疑うな」
エルクが言う。
「疑っていません。支払いの穴を見ています」
ミリアは支払い控えを見つめていた。
「給与を払う銭は」
「台帳上はあります」
レインは会計控えを置いた。
兵給与準備金。
残額、銀貨百二十枚。
現金箱確認、未実施。
「現金箱を見なければ分かりません」
「また会計室か」
エルクの声に怒りが戻る。
「はい」
「今すぐ開ける」
「開けるなら、兵の前ではなく、立会人を決めてからです。現金箱は噂になると危険です」
「兵に隠すのか」
バルドの声が低くなった。
「隠すのではありません。確認前に期待させない」
レインは彼を見た。
「銀貨百二十枚あると聞けば、未払いの兵は今日にも払えると思います。実際に空なら、その失望は門を壊します」
バルドは黙った。
「商人情報もあります」
レインは道中で聞いた御者の話を書いた紙を出した。
塩値上がり。
宿場水なし。
護衛単価上昇。
フェネル商会という名の商隊が、最近この道を避けている。
「フェネル商会?」
ミリアが聞く。
「道中で御者が名前を出しました。塩と薬布を扱う商会です。今はまだ来ていません」
御者の話では、フェネル商会は値を吊り上げたのではない。
来る道を変えた。
危ない道に荷を入れるなら、護衛を増やす。護衛を増やせば、塩の値が上がる。値が上がれば、ハルヴェインの買える量は減る。商人が悪いというだけでは、輪は止まらない。
「商人を責めれば、来なくなります」
「では、何を示すのですか」
ミリアが聞く。
「門が守られていること。支払いがいつ確認されるか。倉に嘘の数字を置かないこと」
「それで戻りますか」
「すぐには戻りません。ただ、戻る理由を作らなければ、交渉にもなりません」
「来ていない商人の話まで見るのですか」
「来ない理由が、領地の状態です」
「今日の結論は」
ミリアが聞く。
「現金箱を明朝、本倉の次に確認。傭兵契約は印なしの者を別札。門外警備へ出ている五人には、食料配分を切らさない。未払いの噂は出さない」
バルドが目を細めた。
「兵に黙れと言うのか」
「違います」
レインは支払い控えを閉じた。
「払う日を空で約束しない。払えない約束は、未払いより悪い」
バルドはしばらく黙り、それから短くうなずいた。
「若様。俺が兵に言う」
エルクは驚いた顔をした。
「バルド」
「腹は立つ。だが、空約束よりはましだ」
「俺からも言う」
エルクは低く言った。
バルドが眉を上げる。
「若様が言えば、兵は払えると思います」
「思わせない言い方をする」
「できますか」
「できなくても、言わない理由にはならない」
声は不器用だった。
だが、兵舎の空気は少し変わった。剣で命じる若様ではなく、未払いの前に立つ領主の息子として、エルクが初めてそこに立ったからだ。
それでも、兵舎の紙が初めて会計室の紙と同じ机に乗った。
その時、廊下から若い書記が駆け込んできた。
「ラドさんが、会計室の奥の棚を整理しています」
夕刻前。
ダルムが約束した写しが出る前だった。




