まず止血だ
「全部を救う方法は、ありませんか」
夜の客間で、ミリアはそう聞いた。
昼間、役人たちが用意した客間だった。暖炉には火が入り、油の灯りが三つも置かれている。椅子は磨かれ、卓上には冷めた茶と薄い菓子があった。
領地が痩せていることを知った後では、どれも重く見える。
油。
薪。
茶。
砂糖。
誰も座っていない客間を暖めるために、兵舎の夜の灯りが削られる。
レインは火の前に立たず、窓際にいた。
外は暗い。
門の方角だけ、薄く灯りが揺れている。半分しか開かなかった門。熱のある兵。空に近い倉庫。動く荷馬車は七台。
「今のままでは、ありません」
レインは答えた。
ミリアは目を伏せた。
泣くわけではない。
ただ、息の置き場を探している顔だった。
「領民も、兵も、役所で働く者も、見捨てたくありません」
「分かります」
「本当に?」
問いは静かだった。
責める響きはない。
だから答えにくい。
レインは少し黙った。
人の感情を後回しにしすぎる自覚はある。水、馬、倉庫、鍵。そういうものは数えられる。だが、見捨てたくないという気持ちは、数えにくい。
「全部を同じように救おうとすれば、働ける人から倒れます」
「それは、分かっています」
ミリアは言った。
「でも、分かることと、命じることは違います」
だから、この領に彼女が必要なのだろう。
誰に何を我慢してもらうかを言うのは、領主家の言葉でなければ届かない。
「一度に全部は救えません」
レインは言った。
「まず止血です」
「止血」
「流れ出ているものを止めます。食料、油、塩、釘、人手。増やすのは後です。今は、減っている穴を塞ぐ」
ミリアは暖炉を見た。
「最初に止めるものは」
「客間の暖房です」
ミリアの指が膝の上で少し動いた。
「領主館の体面に関わります」
「はい」
「客人を冷えた部屋へ通すことになります」
「今、客人は来ていますか」
ミリアは答えなかった。
来ていない。
来ていない客のために暖めた部屋で、来ている病人の灯りが削られる。
「客間三室の暖房を止めます。油は兵舎の夜間看護へ。薪は門と井戸の夜作業へ。茶と砂糖は病人用に回します」
「役所が反発します」
「反発する余裕がある者から切ります」
ミリアは小さく息を吸った。
「二つ目。会計官の倉庫関連権限を一時停止してください」
「ダルムを?」
「会計室全体ではありません。倉庫の出納と封印に関わる権限です。期間は本倉の初回棚卸しが終わるまで。理由は、現物と台帳の差が大きく、確認中のため」
「処分ではなく、確認中の停止」
「はい。処分にすると争えます。確認のための停止なら、明日の本倉開封までは押せます」
ミリアはその言葉を覚えるように、ゆっくりうなずいた。
「三つ目は」
「明朝、本倉を開けます」
「今日見た倉とは別に?」
「はい。今日見たのは兵糧と支援物資に関わる倉です。本倉の台帳は、領地全体の腹です。そこを見なければ、七日先も決められません」
「七日」
「まず七日です。七日で、食料、油、薬、門、井戸、馬を並べます。十日先の計画は、その後です」
ミリアは立ち上がった。
暖炉へ近づく。
しばらく火を見ていた。
それから、火掻き棒を取った。
「消します」
「今ですか」
「今です」
彼女は火を散らし、灰をかぶせた。慣れた手つきではない。煤が指につき、袖口にも黒くついた。
領主家の娘が客間の火を消す。
「寒くなります」
レインは言った。
「兵舎の方が寒いでしょう」
ミリアの声は震えていなかった。
彼女は卓上の油灯を一つ消した。
二つ目も消す。
三つ目だけ残した。
「書けますか」
「書けます」
レインは持っていた紙を広げた。
ミリアは煤のついた指で、署名欄の位置を押さえる。
「客間暖房、三室停止。油と薪を兵舎、門、井戸へ。茶と砂糖は病人用。会計官ダルム・ローネンの倉庫出納権限を、本倉初回棚卸し終了まで一時停止。本倉は明朝、領主代理、エルク、ガレス立ち会いで開封」
レインは書き取った。
この一枚では足りない。
けれど、これ以上を一枚に載せれば、動く前に止められる。まず通すべき紙は、短く、狭く、反論しにくい形でなければならない。
「最後に、理由を」
ミリアが言った。
「現物不足確認中のため」
「その一文で足りますか」
「足ります。長く書くと、長く争えます」
ミリアは少しだけ笑った。
疲れた笑いだった。
だが、昼間の顔とは違う。
傷ついただけではない顔だ。
「兄上には、私から言います」
「反対されます」
「されます。でも、薬箱を兵舎へ運ばせたのは兄上です」
レインは紙を乾かした。
外の廊下で、誰かの足音が止まる。
客間の灯りが減ったことに、もう気づいた者がいるのだろう。
「明日は荒れます」
「今日も荒れました」
ミリアは署名した。
ミリア・ハルヴェイン。
領主代理。
まだ若い字だ。
だが、逃げていない字だった。
「まず止血をします」
彼女は自分の言葉として、もう一度言った。
レインはうなずいた。
明日の朝、最初に見るものは決まった。
本倉。
台帳。
そして、床の鳴らない場所だ。




