棚卸しの朝
本倉の錠は、鍵より先に鳴った。
ガレスが鍵束を持ち上げた瞬間、古い鉄輪が扉の内側でかすかに震えた。開けられることに慣れていない音ではない。何度も開け閉めされ、油を差されず、音だけが細く残った錠の音だ。
レインは扉の前で、台帳を両手に持っていた。
麦、豆、塩、油、綱、布。書かれているものだけなら、ハルヴェイン領はまだ数日を凌げる。だが、倉の扉の前に立つと違う。
空気が軽い。
穀物倉の前には、独特の重さがある。湿った麻袋、麦粉、鼠、人の出入り。そういう匂いが、扉の隙間から押してくる。
本倉には、それが薄かった。
「開けます」
ガレスが鍵を差し込む。
「お待ちください」
横から声が入った。
会計室の下役が三人、石畳の上に並んでいる。一番前の男は、痩せた首を硬くしていた。名はラド。ダルムの下で、倉庫出納の写しを扱っていた男だと、昨夜ミリアが教えた。
「本倉は正式な封印倉です。会計官の立会いなしに開けるのは、規定に反します」
「会計官は倉庫出納権限を一時停止中です」
ミリアが前へ出た。
昨日の煤は、まだ指の爪に残っている。隠していない。客間の火を消した手だ。
「本倉を開けます」
「しかし、ミリア様」
「開けます」
二度目は短かった。
ラドは言葉を飲んだ。
エルクが扉の脇に立つ。剣は抜いていない。だが、下役たちはそれ以上前へ出なかった。
レインは台帳を開いた。
本倉。
麦、二十四袋。
大麦、十八袋。
豆、九袋。
塩樽、四。
油壺、六。
布束、十二。
「数字だけなら、薄い粥を十日分は作れます」
「なら、悪くないのでは」
エルクが言った。
「扉の前の匂いが、悪いです」
ガレスが低く笑った。
「また匂いか」
「はい」
「嫌な若造だ」
鍵が回った。
扉が開くと、冷えた空気が流れた。やはり軽い。麦の匂いはあるが、台帳の数字に見合う重さではない。
棚は整っていた。
整いすぎていた。
袋がきれいに並び、口紐の向きまで揃っている。だが、床の粉が少ない。棚の下の埃も薄い。本当に二十四袋を長く置いていた倉なら、もっと粉が落ちる。
「先に錠、次に管理簿、最後に現物です」
レインは言った。
ラドが顔を上げる。
「現物が先では」
「錠に触った者が分からなければ、現物の差が誰の時点で生じたか分かりません」
ガレスは扉の内側を見た。
鍵穴の周囲に、細い傷が二つ。
正鍵ではないものを差し込んだ跡だ。
「副鍵か」
エルクが低く言った。
「副鍵、または細工した鍵です」
レインは傷の深さを見た。古い傷ではない。錆びていない。
「管理簿を」
ミリアが言うと、ラドが薄い帳面を差し出した。
指が白い。
帳面には開閉時刻、立会人、出納品目が書かれている。表向きは整っていた。だが、同じ筆跡が多すぎる。
「開閉立会い、ラド。出納写し、ラド。封印確認、ラド」
レインは読み上げた。
ラドの喉が動く。
「人手不足です。辺境では一人が複数を兼ねることも」
「兼ねることはあります。確認にはなりません」
ミリアの顔が固くなる。
役人たちの視線が張りついていた。レインの手元、ガレスの鍵、ミリアの表情、エルクの剣。どこかに隙がないか探している。
視線には二種類あった。
止めたい者の視線と、知りたい者の視線だ。
止めたい者は、台帳のページがめくられるたびに唇を薄くする。知りたい者は、棚の奥を見ようとして首を伸ばす。会計室の下役の中にも、何が起きているか分からずに怖がっている顔があった。
「ここから先は、声に出して確認します」
下役たちの肩がわずかに動いた。
「錠の傷。管理簿の筆跡。現物の数。誰かを責めるためではなく、後で数字を動かせないようにするためです」
「そんな言い方をすれば、こちらが疑われているように聞こえます」
ラドが言った。
「疑いを消すためにも、順番が要ります」
レインは管理簿の角に指を置いた。
「正しいなら、順番に見ても正しいままです」
倉の中がさらに静かになった。
「現物を見ます」
ガレスが袋を一つ持ち上げた。
「軽い」
「開けずに分けます。正規の重さに近いもの、軽いもの、口を結び直したもの」
「中を見ないのですか」
ミリアが聞く。
「全部は見ません。今日は棚卸しの朝です。まず、どこが鳴らないかを見る」
「鳴らない?」
「倉は、使えば汚れます。動かせば粉が落ちる。湿れば床が鳴る。逆に、紙だけで使った倉は、きれいすぎる」
ガレスが右奥の棚を見た。
「つまり、汚れてねえ場所が怪しいってことか」
「はい。特に、汚れるはずの場所が汚れていない場合です」
ミリアは床を見た。昨日までなら、整った棚を見て安心していたかもしれない。今は、整いすぎていることの方に気づいている。
「棚卸しとは、数を数えることだけではないのですね」
「数が嘘をつく時は、物の周りを見ます」
ラドの呼吸が浅くなった。
レインは床を見た。
穀物袋を長く置いた棚の前は、床板が少し鳴る。湿気を吸い、乾き、また吸うからだ。だが右奥だけ、足音が鈍い。新しく補強した床ではない。下に空間がある音だった。
「白墨を」
ミリアがすぐに小箱から白墨を出した。
レインは鳴る床と鳴らない床の境に線を引く。線は歪んだ四角になった。棚の足の位置と合っていない。袋を置くための補強なら、棚の形に沿うはずだった。
「下に何かあります」
ガレスがしゃがみ込む。
「今開けますか」
「まだです。開ければ、何かが隠されていたことだけが先に広がります。錠、管理簿、現物の順を崩さない」
ミリアは白墨を握ったまま、線の中を見た。
「本倉の中で、一か所だけ床が鳴りません」
ガレスの顔が変わった。
ラドが一歩下がる。
何を隠すために、床を鳴らなくしたのか。




