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追放された雑用係、敗戦処理の天才だった ~崩壊寸前の辺境領を立て直す~   作者: 山田鰻
第三章 崩壊寸前の辺境領

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役人の壁

倉庫の扉を閉めた途端、役人たちが廊下を塞いだ。


レインは台帳を抱えた文官の後ろで足を止めた。


領主館の裏手から役所へ続く廊下は広くない。そこに五人が並ぶと、荷を持った者は通れない。一番前に立つ男は、腹回りに余裕があり、指にインクより指輪の跡が目立った。


「ダルム・ローネン。会計官補佐です」


男は自分から名乗った。


補佐と言ったが、周囲の役人が彼の顔色を見ている。実際には会計室を動かしている人間なのだろう。


「王都からの支援要員殿が、到着早々倉庫を荒らしていると聞きました」


「荒らしてはいません」


レインは答えた。


「まだ、開けただけです」


ダルムの眉が動いた。


「面白い言い方ですな」


「面白くはありません。台帳と現物が合っていない」


「辺境では、出入りの記録が遅れることがあります。王都のように紙が整っている場所とは違う」


「紙が整っていないのではありません。紙だけが整っています」


役人たちの空気が変わった。


ダルムの頬がわずかに赤くなった。


その変化は一瞬だった。


すぐに戻る。


ダルムは感情を表に出し続ける男ではなかった。怒りを飲み、礼儀へ戻し、相手の言葉を手順の中へ閉じ込める。


ミリアが一歩前へ出る。


「ダルム。倉庫の確認は私が許可しました」


「ミリア様。許可の問題ではありません」


ダルムは丁寧に頭を下げた。


「正式な手順があります。支援要員の受け入れ、領主様への挨拶、役所への登録、会計室での職務範囲確認。それを飛ばして倉庫を開ければ、現場が混乱します」


「現場はすでに混乱しています」


レインは言った。


「兵は百二十ではなく八十六。荷馬車は十四ではなく七。穀物は三か月分ではありません」


「その数字は、仮の確認でしょう」


「はい」


ダルムは勝ったように口元を緩めた。


「仮の数字で領内手順を乱すのは」


「仮でも、現物です」


笑みは広がらなかった。


ただ、消えもしない。


ダルムは弱い反応をしない男だった。怒鳴らず、黙り込まず、話を自分の得意な手順へ戻す。


「では正式確認をしましょう。明日、会計室立ち会いのもとで」


「今日、封じます」


「急ぎすぎです」


「急がなければ消えます」


「何が消えると?」


レインは廊下の床を見た。


古い泥の跡がある。


倉庫から会計室へ向かう足跡だ。雨の日のもの。革靴の踵が細い。軍靴でも倉庫番の靴でもない。


「時間です」


「時間?」


「今日見た状態が、明日も同じとは限りません」


ダルムは笑った。


「詩的な表現ですな」


「記録の話です」


ミリアは二人を見ていた。


顔色は悪い。


だが、逃げてはいない。


「レイン殿。優先順位を」


彼女が言った。


「今日中に封じるもの。麦、塩、油、薬草。釘と布は支援物資分だけ別置き。兵舎の薬箱は使用記録をつける。厩舎は動ける馬を別札に」


「会計室は」


エルクが低く聞いた。


「今日は開けません」


「なぜだ」


「人手が足りません。会計室を開けるなら、見る人、写す人、持ち出しを止める人、証言を残す人が要ります。今は倉庫の現物が先です」


エルクは不満そうにした。


ダルムはその隙を逃さなかった。


「ご覧ください。王都の方でさえ、会計室には手を出せないとお認めになった」


役人たちに、少し安堵が広がる。


失敗だ。


レインはそれを認めた。


言葉の置き方を間違えた。


会計室を後回しにする理由が、ダルムには「触れられない」として使える形になった。


「違います」


ミリアが言いかける。


だが、ダルムは丁寧に遮った。


「ミリア様。領主家の体面もございます。まずは支援要員殿を客間へ。正式な受け入れの席を整え、明日から各部署と調整を」


客間。


暖房。


茶。


挨拶。


そのすべてに油と薪と時間がいる。


けれど、反対すれば無礼になる。ミリアは領主家の人間だ。体面を捨てると言えば、その言葉だけが先に走る。


「今日は、ここまでですな」


彼は柔らかく言った。


「倉庫はガレス殿に封じていただきましょう。会計室の正式記録は明朝、私が整えます」


廊下の奥で、下役の一人が会計室の方へ目を走らせた。


ほんの短い動きだった。


だが、レインは見た。


明朝までに整えられるのは、記録だけではないかもしれない。


レインはミリアを見た。


彼女は唇を引き結んでいる。


この場で押し切るには、領主家の権限を使うしかない。だが、初日からそれを乱発すれば、役所全体が固まる。


主導権は取れなかった。


今日できるのは、倉庫の一部封印と薬箱の使用記録までだ。


「分かりました」


レインは言った。


エルクがこちらを見る。


「引くのか」


「今日は、です」


「逃げるのと何が違う」


「明日また開ける準備を残します」


ここで怒鳴れば、エルクは味方につくかもしれない。


だが、ミリアは役所全体を敵に回す。ガレスは倉庫へ戻れず、封もできない。勝ったように見えて、明日の棚卸しが死ぬ。


ダルムは満足げに礼をした。


廊下の奥で、油の灯りが揺れている。


客間へ案内する下役が待っていた。


歓迎の形をした足止めだった。


レインは台帳をミリアへ返した。


「倉庫の封だけは今日中に」


「はい」


ミリアの声は小さかった。


悔しさが混じっている。


ただ、その悔しさはまだ行き場を持っていない。


初日は、押し返された。


そして、客間の暖炉には、すでに火が入っていた。

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