ガレスの皮肉
「帳簿を信じるな」
ガレスは鍵束を鳴らしながら言った。
レインはうなずいた。
「現物を見ます」
「王都の人間は、まず紙を開くもんだと思ってた」
「紙も見ます。順番が後です」
「嫌な順番だ」
ガレスは鍵を抜く前に、扉の下へ溜まった麦粉を靴先で寄せた。
粉は乾ききっていない。細く固まり、何度か踏まれている。扉を開け閉めする者が気にしていれば、ここまで残らない。
「粉から見る奴は久しぶりだ」
「袋より先に外へ出ます」
「だから嫌な順番だと言った」
ガレスはそう言いながら、倉庫の正鍵を抜いた。
扉の前でミリアが息を整えている。エルクは腕を組み、文官は台帳を抱えたまま固まっていた。門前より人は増えたが、動く手はまだ少ない。
鍵が回る。
重い音がした。
扉が開くと、冷えた空気が流れ出した。
穀物の匂いはある。
ただし、薄い。
レインは中へ入り、まず足を止めた。
広い倉だった。
棚の作りも悪くない。北側は乾燥棚、奥には塩と油を分ける小部屋、床は湿気を逃がすために一段高い。作った者は分かっていた。
使っている者が、分からなくなったのだ。
「左列、十二。右列、十二。奥に予備棚四」
レインは棚を数えた。
「袋が積まれている棚は半分以下です」
ガレスが鼻を鳴らす。
「よく見える目だ」
「空の棚は見えます」
「見えん奴もいる」
皮肉の矛先はレインではない。
文官が肩を縮めた。
「標準袋は」
「麦なら一袋五十斤」
「今見えている袋は」
「まともに数えりゃ、四十九」
ミリアの顔が白くなる。
「台帳では、百二十袋です」
「台帳は太る」
ガレスは棚へ近づき、袋を一つ持ち上げた。
「これは五十斤ない」
「三十斤程度です」
レインが言うと、ガレスは袋を下ろさずにこちらを見た。
「持たずに分かるのか」
「袋の腹が沈んでいます。口紐も結び直している」
ガレスはしばらく袋を見つめ、それから低く笑った。
「嫌な若造だ」
「よく言われます」
「王都でか」
「主に上の人に」
ガレスの口元が少しだけ動いた。
完全な信頼ではない。
だが、ただの王都の紙持ちを見る目ではなくなった。
「塩は」
レインが聞くと、ガレスは奥の小部屋へ顎を向けた。
「見るな」
「見ます」
「見れば、ミリア様の顔色がもっと悪くなる」
「見なくても、塩は増えません」
「本当に嫌な若造だ」
二度目だった。
小部屋の扉を開けると、棚はほとんど空だった。
小さな壺が三つ。
一つは湿って固まり、もう一つは底が欠けている。帳簿上は七割。現物では一割にも届かない。
ミリアは言葉を失った。
エルクが低く唸る。
「誰が管理している」
文官が口を開きかけたが、ガレスが先に言った。
「倉庫係と会計室だ。俺が全部見てたわけじゃない」
「なぜ任せた」
エルクの声が鋭くなる。
ガレスは逃げなかった。
「取り上げられた。会計室の紙が正しいと言われてな」
「なぜ黙っていた」
「言ったさ。紙の上で戻ってきた」
エルクの拳が震えた。
レインは二人の間へ入らなかった。
今ここでガレスを責めれば、現物を見る目を一つ失う。
「ガレス殿」
「何だ」
「今、信頼できる秤はありますか」
ガレスは少し目を細めた。
怒りから作業へ戻る問いだと分かったのだろう。
「古いのならある。俺の私物だ」
「封蝋は」
「領主館のを使え。会計室のは使うな」
「理由は」
「会計室の封は、剥がして戻せる」
文官が顔を上げた。
ミリアも気づいた。
帳簿だけでなく、封も信用できない。
ガレスは言い過ぎたと思ったのか、口を閉じた。
封が戻せるなら、いつ開けたかも分からない。誰が出したかも、後から整えられる。
「では、今日は全棚卸しをしません」
エルクが振り向く。
「ここまで見て、やらないのか」
「今この状態を見た人間を増やせば、先に逃げる者が出ます。軽い袋と正規袋、塩、油、薬草だけを封じます」
「犯人を探さないのか」
「探します。逃がさない形にしてからです」
ガレスがうなずいた。
「その順番だ」
エルクは不満そうだった。
ミリアは倉庫の空いた棚を見ていた。
「こんなに、空だったのですね」
ガレスは皮肉を言わなかった。
レインも答えなかった。
「副鍵は」
レインが聞く。
ガレスの顔が渋くなった。
「二本ある。役所と会計室だ」
「返却記録は」
「あることになっている」
その言い方だけで十分だった。
「今日は副鍵に触れません」
「なぜ」
ミリアが聞く。
「返せと言えば、隠す者がいます。まず正鍵で封じる。副鍵は明日、立会人を決めてから」
ガレスが低く笑った。
「若造。お前、倉庫番には向かん」
「なぜです」
「倉庫番より先に、人間を疑う」
「倉庫を守るためです」
ガレスは答えなかった。
代わりに、下働きの少年を秤へ走らせた。
現物を見る人間は一人増えた。
次に必要なのは、現物を見た者を潰されない形にすることだった。




