帳簿と現物
兵籍、百二十。
点呼実数、八十六。
レインは兵舎の入口で、最初の差を紙に書いた。
兵舎は狭くない。狭くないのに、空いている寝台が多かった。使われていない寝具は巻かれたまま棚に置かれ、いくつかは埃をかぶっている。
死んだ者。
逃げた者。
怪我で村へ戻った者。
役所の紙では、その区別が消えている。
「百二十のはずだ」
エルクが低く言った。
怒っている。
誰に向けてか、まだ本人にも定まっていない怒りだった。
兵舎の壁には、古い槍が五本掛かっていた。
手入れはされている。だが、柄に残る手垢の位置が揃っていない。持ち主が変わった槍だ。兵が減り、装備だけが壁に戻され、次の誰かへ回された。
紙の上の百二十は、槍の本数では分からない。
寝台のへこみと、使われていない靴の数で分かる。
「はず、です」
レインは答えた。
「今いる兵は八十六。熱のある者が三人。重い怪我で動けない者が五人。門番に回せる兵は二人減らすべきです」
「減らせば門が薄くなる」
「減らさなければ、門番が倒れます」
エルクは黙った。
兵舎の奥では、薬箱が開かれていた。門前から走った門番が、息を切らせながら兵に水を含ませている。薬草の量は少ない。けれど、熱のある者を一か所に固めず、寝台を分ければ、少しは持つ。
「次は厩舎です」
ミリアが言った。
声は落ち着いているが、顔色は悪い。
厩舎は兵舎より悪かった。
帳簿上、荷馬車十四。
動く荷馬車、七。
馬は二十三頭。
うち荷を引けるものは十五。脚を痛めたものが四。餌を減らされすぎて、今すぐ重荷を引かせるべきでないものが四。
「荷馬車十四と聞いていました」
ミリアの声が小さくなる。
「七です」
レインは車輪を見た。
倉の脇に置かれた残りの車体は、荷馬車ではなく部品だった。車軸なし。片輪なし。底板腐り。帳簿に残すには車体の形がある。荷を運ぶには足りない。
「修理すれば」
エルクが言いかける。
「できます。ただし、釘と車軸材と人手が要ります。今すぐ動く数には入れません」
「王都から釘は来た」
「三箱です。門にも使います。井戸にも使います。全部を馬車には回せません」
釘箱三つ。
門で三分の一を使う。
残りを井戸と荷馬車と倉庫棚で分ける。
まだ倉庫を見ていないのに、釘の行き先だけで足りない。
次に見た倉庫は、外観だけなら立派だった。
石造り。
厚い壁。
小さな窓。
雪の多い土地で穀物を守るには悪くない造りだ。
悪いのは、扉の下に溜まった麦粉だった。
鼠がいる。
あるいは、鼠より手の器用なものがいる。
扉の右下には、新しい擦り跡もあった。
重い袋を引きずった跡ではない。細い箱か、底の硬い小樽を何度も通した跡だ。倉庫の口は、閉じているようで閉じていない。鍵があっても、出入りを見ていなければ同じことだった。
「在庫台帳を」
ミリアが控えていた文官へ言った。
文官は丸めた帳面を差し出した。
予備穀物、三か月分。
塩、通常備蓄の七割。
油、二か月分。
兵糧用麦、百二十袋。
レインは扉の前で台帳を閉じた。
「開ける前に、匂いを」
「匂い?」
エルクが眉を寄せる。
「穀物倉の匂いが薄い」
扉の隙間から押してくるはずの湿った麻袋、麦粉、鼠、人の出入り。その重さが足りない。
門番は倉庫番を呼びに走っている。正鍵がなければ、扉は開かない。
「三か月分はありません」
ミリアが息を止めた。
「開けてもいないのに」
「外から分かる程度には、ありません」
レインは扉の下の粉を指で取った。
古い。
何日も掃かれていない。
人が足りないか、掃く者が来ていないか。どちらにせよ、倉庫管理の手が抜けている。
「仮に台帳通り百二十袋あるなら、この扉の前の空気はもっと重い。今の兵八十六、領主館、役所、病人、最低限の工房を含めれば、一か月も危ういと見ます」
「一か月」
ミリアは繰り返した。
エルクが拳を握る。
「誰がそんなことを」
「まだ誰でもありません」
レインは言った。
「今は、差だけを見ます」
犯人を先に置けば、数字は逃げる。
兵は百二十から八十六へ、荷馬車は十四から七へ、穀物は三か月から一か月未満へ。しかも、その不足が帳簿に反映されていない。
「足りないのは物資だけではありません」
レインは台帳の表紙を見た。
「足りないことを、足りないと知る仕組みが壊れています」
文官が顔を伏せた。
ミリアは台帳を受け取ろうとして、手を止めた。
「では、何から」
「まず現物確認です。ただし、正鍵の持ち主が必要です。倉庫番は」
「呼びに行かせています」
その時、倉庫の脇で鍵束が鳴った。
白髪混じりの老人が、鍵束を腰に下げて立っていた。
厚い手。
古い革前掛け。
目だけが、荷を見る人間のものだった。
城門脇で鍵を渡した倉庫番だった。
彼はレインを上から下まで見た。
腰の鍵束に手をかけたまま、すぐには動かない。
扉の粉。
台帳。
ミリアの顔。
エルクの拳。
そして、レインの指先。
その順に見てから、ようやく鍵束の一本へ指をかけた。
倉庫の中身は、まだ見ていない。
だが、帳簿と現物の差はもう扉の前に立っていた。




