戻る道を守る
南門の列が、半刻で二列増えた。
メイナの札を見た瞬間、数字より先に列の向きを見た。増えたのは人数だけではない。列の先が門へ向いておらず、本館前へ曲がりかけている。
「押されています」南門から戻った使いの声は小さい。
「敵ですか」
「いえ。北道の音です。台車の車輪と、林の鳴き声で、後ろの家から人が出ました」
恐怖は道を選ばない。門へ行けと言われても火が見える方へ寄り、声が聞こえる方へ寄る。本館前には板と兵がいるせいで民の足も寄り、戻る車が止まる。
「南門の列を門へ戻しません」エルクが本館前へ来ていた。鎧の肩に新しい土がついている。畑跡の杭を増やした後だ。
「戻さないのか」
「戻そうとすると、押し返しになります」
「なら、本館前へ入れる」
「列ごとは入れません」
板の上に三つの札を置く。南門/本館前/道倉。昨日から何度も見た札だが、今日初めて三つが同時に試されている。
南門は民の列、本館前は負傷兵と戻り車、道倉は荷と修理。
どれか一つが崩れれば、残り二つも引きずられる。
「南門から本館前へ曲がった列を、途中で座らせます」
「道の途中に?」
「はい。歩かせ続けると、ここへ来ます」
「座らせれば道を塞ぐ」
「座る場所を決めます」
ミリアの紙を開いた。泣く子と老人を先に座らせる。前に受けた一行をそのまま使えば、数字ではなくても列を止める言葉になる。
「南門手前の石垣沿いに、老人と子を座らせます。火は置かない。湯だけを回す」
「火を置かないのか」
「火を置くと、人が増えます」
「寒いぞ」
「湯を手渡しにします。座り場を火前にしません」
エルクの顔が少しだけゆがむ。正しさより、嫌な判断かどうかが残る。
「俺が言う」
「いえ」
「なぜ」
「エルク様が言うと、兵も民もそちらを中心に見ます。南門はミリア様の名で出します」
「俺は邪魔か」
「本館前と北道の間にいてください。戻る兵がエルク様の位置を見ます」
エルクは反論しかけて止めた。前線の者の顔から領主家の顔へ戻りかけたのだろう。いま必要なのはそのどちらでもある。だが場所は一つしか選べない。
「分かった。北道を見る」
「お願いします」
南門へ出す札には、ミリア判断/老人と子は石垣沿い/火は置かない/湯は手渡し/列を門へ押し戻さない、と書いた。
「負傷兵」本館前の右から声が上がった。
二人、いや三人が肩を借りて戻ってくる。一人は足を引きずり、一人は腕を布で吊っている。三人目は歩いているが顔の色が悪い。
「石段右へ」
医箱の前にいた者が動きかける。
「待って」手を上げた。
三人をそのまま石段右へ入れれば右が詰まる。右が詰まれば次の負傷兵が真ん中へ来る。真ん中が塞がれば戻り車が止まる。
「歩ける者は道倉前へ。足の者だけ石段右。腕の者は道倉前で縛り直し」
「負傷兵を分けるのですか」
「傷で分けます。かわいそうで一列にすると、次が入れません」
顔色の悪い兵が膝をつきかけた。ガレスが後ろから襟をつかんだ。
「倒れるなら右じゃねえ。壁へ寄れ」
兵は壁沿いへ座った。怒鳴られた顔ではなく、場所をもらった顔だった。
「道倉前に医箱を一つ」
「本館前から減ります」
「腕と軽傷は道倉で止めます。重い者だけ本館へ」
メイナが札を書き替える。石段右は歩けない者/道倉前は歩ける負傷/腕は道倉で縛り直し/本館前は真ん中を空ける。
「戻り車!」左から叫びが来た。
空車ではない。壊れた車軸を抱えた小車が、左へ寄りきれずに入ってくる。車引きが二人、汗で顔を濡らしている。後ろに粉袋が半袋分乗っていた。
「粉を下ろせ!」ガレスが怒鳴る。
「ここで下ろすな」声が先に重なった。
ガレスがこちらを見た。怒りではなく、確認だった。
「粉を下ろせば、人が寄ります。車を先に左へ逃がします」
「車軸がもたねえ」
「粉袋を見せずに布で覆う。車は左。粉は道倉へ戻す」
「下ろす場所は」
「道倉の内側。外では下ろさない」
ガレスは顎を振った。二人の若い倉番が布を広げる。粉袋の白が隠れた瞬間、南門側から見ていた民の足が少し止まった。
見える白は人を動かすという言葉は、今日も正しかった。
「北道から返し!」エルクの声が本館前へ届く。
「小台車はまだ中ほど/三つ目の荷は見えず/敵左は動かず/林影は奥へ引く」
「敵主力は」
「まだ見えない」
板の周りの音が薄くなる。見えないことは助かっている知らせではない。来ないのか隠れているのか別の道なのかで、損の形が変わる。
「主力不明、と書きます」
メイナが筆を置く。
「位置不明です」
「主力ではなく」
「はい。主力かどうかも、まだ見えていません」
敵主力位置不明。
その行だけが、板の右下に残った。
南門から二度目の札が戻る。老人と子は石垣沿いに座り、湯は手渡し開始。泣く子三、止まる。列は本館前へ曲がる足減。
ミリアの印がある。小さく、きれいに押されていた。
エルクがその札を見た。
「止まったのか」
「少しだけです」
「少しで足りるのか」
「今は、少しずつしか戻りません」
「戻る道なのに」
「はい。戻る道は、一度で戻りません」
本館前では、負傷兵の三人が別々の場所へ収まっていた。足の者は石段右。腕の者は道倉前。顔色の悪い兵は壁沿いで湯を飲んでいる。小車は左へ抜け、布を被った粉袋は道倉の内側へ消えた。
派手な成功ではないが、真ん中は空いている。
「真ん中、維持」とメイナが小さく読み上げた。
「それを大きく書いてください」
「大きく?」
「真ん中が空いていると、みんな忘れます」
板の中央へ太く書く。本館前は真ん中維持/南門は列を押し戻さない/道倉は外で荷を下ろさない。
三つの行が並ぶ。守るという言葉はないが、どれも戻る道を守っている。
夕暮れが近づく。北道の音はまだ止まらない。台車の軋み・遠い盾のこすれる音・林の奥の低い鳴き声は、どれも近づきすぎず離れもしない。
「敵の主力は、どこだ」とエルクが言った。
答えを持つ者はいないから、答えのないまま板に残す。
敵主力位置不明。その下へもう一行足した。戻る道三分維持。
筆を置いた。守れているのではなく、まだ崩れていないだけだ。
その違いを、板だけは間違えなかった。
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