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追放された雑用係、敗戦処理の天才だった ~崩壊寸前の辺境領を立て直す~   作者: 山田鰻
第二章 追放命令

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痩せた領境

領境の標石は、半分だけ泥に埋もれていた。


レインは荷馬車を降り、石の表面に張りついた苔を指で払った。かすれた文字が出る。


ハルヴェイン辺境領。


矢印は山側を指している。だが石は傾き、根元の土は雨で流れていた。誰かが直そうとした跡はある。石の下に小さな木片を噛ませているが、木は黒く腐りかけていた。


直す手が、途中で足りなくなったのだ。


「ここから先が、そうか」


護衛兵が声を落とした。


昨日まで軽口を叩いていた男だ。今は槍の柄を握り直し、道の先を見ている。


夜明けまで襲撃はなかった。


だから安全、ではない。


追ってくる足が消えた理由は、諦めたからかもしれない。こちらが止まる場所を待っているだけかもしれない。どちらにせよ、荷を抱えた者が道の上で考え続けることではなかった。


「進みます」


レインが言うと、御者は黙ってうなずいた。


馬車は標石の横を抜けた。


道は、領境を越えた瞬間に細くなった。


正確には、急に悪くなったわけではない。悪い道が、ここで隠すのをやめただけだ。轍の底には水が残り、側溝は草に埋もれ、次の道標は倒れたまま土に半分沈んでいる。


畑はある。


荒地ではない。


ただ、畝の間に雑草が伸びていた。用水路の石組みは片側だけ崩れ、そこから漏れた水が畑の端を湿らせている。遠くの村から煙は上がっているが、数が少ない。


死んだ土地ではない。


手を離されている土地だ。


手を離された土地は、すぐには叫ばない。畑はまだ畑の形をしている。水路も完全には干上がっていない。村の煙も細いながら上がっている。遠目には、まだ保っているように見える。


だが、畝の草を抜く手が足りない。


崩れた石を戻す手が足りない。


塩を買いに行く荷車が足りない。


「思ったより悪いな」


御者が手綱を緩めた。


「昔はこの辺りで商人が列を作ったもんです。税の確認に時間がかかって、文句も多かった」


「今は」


「文句を言う商人がいない」


それは静かさではなく、流れが止まっている。


税を取る相手がいなければ、役所は痩せる。商人が来なければ、塩も薬布も細る。細った物資を補うために取り立てを早めれば、畑から種が消える。


村は、いきなり貧しくならない。


最初は買う釘を一箱減らす。


次に、壊れた鍬をもう一年使う。


その次に、塩を秋まで待つ。


最後に、種を食う。


道の細さは、その順番を外へ見せているだけだった。帳簿に載る頃には、たぶん遅い。


「荷を確認します」


荷台の覆い布を上げた。


薬箱二つ、釘箱三つ、革紐と補修布。麦袋十に塩樽が一つ、乾パンの小袋、昨日の記録冊子。そして、ハンスの水袋に入れた薄い紙。


少ない。


少ない荷ほど、配る順番を間違えると早く死ぬ。


「領都までは?」


「道がよければ半日」


御者が答えた。


「この道なら」


「夕方ですな。止まらなければ」


止まらなければ。


その条件が、この領ではいちばん危ない。


「馬を休ませすぎない」


短く答えた。


「休ませないのか」


護衛兵が聞く。


「長く止まれば、再び動かす時に余計な力を使います。短く、回数を決める。次の乾いた場所で一度。領都前で一度」


「水は」


「馬には少量ずつ。人は口を湿らせる程度。領都へ着くまで革袋を空にしない」


護衛兵はうなずいた。


昨日より早い。彼らが信じたのはレインではなく、空の井戸と細い沢と、塩を拾う足跡だった。


「あれは何だ」


弓兵が前方を指した。


道の脇に、小さな荷車が傾いていた。車輪は外されていない。荷台に積まれていたらしい藁袋は破れ、中身だけが抜かれている。


鉄輪は残っている。


留め金も残っている。


食えるものだけが消えている。


「止まるな」


護衛兵がこちらを見る。


「調べないのか」


「調べれば分かります。近くの村が飢えている。荷車の持ち主は戻っていない。それ以上は、今ここで分かっても対処できません」


「見捨てるのか」


問いは軽くなかった。


破れた袋。


浅い轍。


小さな足跡。


目をそらせば楽になるものではない。


「今止まれば、薬箱も塩も領都に届きません。届かなければ、助けられる数がさらに減ります」


護衛兵は唇を結んだ。


納得してはいない。


納得してから動ける道ではなかった。


荷馬車は進んだ。


道の先に、低い城壁の影が見え始める。


領都グランベルク。


まだ遠い。壁の上の旗は小さく、色も薄い。けれど落ちてはいない。誰かが上げ直している。


そこだけは、まだ手が動いている。


レインは記録冊子を開き、最初の空欄に短く書いた。


領境、道痩せ。


宿場、水なし。


塩不足、村まで波及。


荷車、食料のみ抜かれる。


領都到着後、最初に見るもの。


門。


井戸。


倉庫。


歓迎の挨拶ではない。


領主館の客間でもない。


門前に商人の列はなかった。


荷を改める役人の声も聞こえない。


税を待つ荷車がない。


荷を数える札もない。


門前の水桶は縁が乾き、踏み固められているはずの土には、草が細く伸びていた。人が通らない場所から先に、道は道でなくなる。


古い馬糞だけが、雨に崩れて黒く残っていた。


それでも門は閉じきっていない。


閉める力も、開ける力も、どちらも足りないのだ。


近づく馬車に気づいた門番の影が二つ、壁の下でようやく動いた。片方が扉へ手をかける。遠目にも、その動きは重かった。


背後には、王国軍の野営地も、セドリックの幕舎も、もう見えない。


前には、まだ顔も知らない領主家と、数えたことのない倉庫と、壊れかけた道がある。


だが、荷馬車は進んでいる。


進むなら、捨てられた先でも順番は作れる。


まずは、門が開くかどうかを見る。

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