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追放された雑用係、敗戦処理の天才だった ~崩壊寸前の辺境領を立て直す~   作者: 山田鰻
第二章 追放命令

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道中の損耗

宿場跡の井戸は、底が見えた。


レインは縄の長さを手で測り、桶が水面へ触れる前に石へ当たる音を聞いた。深い井戸なら、こんな乾いた音はしない。


「水はあるんだろう?」


護衛の一人が、槍を肩に担いだまま言った。


若い。鎧は新しいが、革紐の結び方が甘い。戦場帰りではなく、後方から寄せ集められた兵だ。


「ある」


縄を引き上げた。


桶の底に、濁った水が指二本分。


「使える量ではありません」


護衛兵の顔が曇る。


「次の宿場まで行けばいい」


「その次の宿場も、生きていれば」


「縁起でもないことを言うな」


縁起で桶は満ちない。


井戸の縁についた削り跡は新しかった。桶を深く下ろそうとして、何度も石へ当てた跡だ。ここを使った者が、水が少ないと知っていながら、汲み切ろうとした。


「この宿場を最後に使った商隊は、空の革袋を持って出たはずです」


御者の老人が眉を上げた。


「なぜ分かる」


「井戸を空にしようとした跡があります。水が十分なら、ここまで縄を擦らない。宿場の樽も空です」


宿場跡には人がいない。


厩舎には黒く固まった藁。壁には古い煤。戸口には、商人が置いていったと思われる割れた壺。中に白い結晶が残っていた。


塩だ。


「塩を捨てたのか」


護衛兵が壺を覗いた。


「捨てたのではなく、持てなかった」


「塩なんて軽いだろう」


「濡れれば重い。袋が破れれば運べない。水がなければ、人の方を優先する」


護衛兵は黙った。


宿場の掲示板には、古い紙が一枚だけ残っていた。雨で字は流れているが、下の方に数字が見える。


塩、小袋一つにつき銅貨五枚。


王都近くなら二枚で済む。


倍ではない。


二倍半だ。


「薬布は」


御者が紙を横から覗いた。


「この辺じゃ、もう布屋が置かん。金を払っても届かねえからな」


塩が高く、薬布が来ない。


商人が避ける道は、地図より先に値段へ出る。


道中に入る前、レインはハルヴェイン方面の損耗を見積もっていた。


橋が一つ落ちている。


商人の便は減っている。


塩と薬が細っている。


それでも、領境までは最低限の宿場が残っていると思っていた。


甘かった。


宿場は残っていない。


建物の形だけが、地図に残っている。


地図の上では、ここはまだ補給点だった。


馬に水を飲ませ、荷を締め直し、護衛を交代させる場所。だから出発前の見積もりでは、この宿場で一度整え直せると置いていた。


実際には、整えるどころか、ここに残った空白を埋めるためにこちらの水を削ることになる。


読み違えは、数字の誤差ではない。


次に誰が倒れるかを変える。


「今日中に次へ進む」


レインは言った。


「水が少ないなら休むべきだろう」


「ここで泊まれば、明日の朝に水がない。進めば、途中の沢に当たる可能性がある」


「可能性?」


「地図では二刻先に沢があります」


「地図では、か」


御者が苦く笑った。


地図では生きているものが、現物で死んでいる。今、その一つを見たばかりだった。


「読みが甘かった」


小さく言った。


護衛兵が意外そうに顔を向ける。


「あんたでも外すのか」


「外します」


「じゃあ、どうする」


「外れた分を、今から直す」


言い訳で水は増えない。


必要なのは、次の手だ。


自分の読み違いを認めるのは、気分の問題ではない。


「革袋を全部出してください。裂けかけのものは荷台ではなく、人が持つ。揺らすと漏れる。薬箱の布を一枚外し、壺の割れていない底を包む。塩は拾える分だけ拾います」


「捨てられた塩だぞ」


「雨が降れば終わります」


御者が先に動いた。


老人は文句を言わない。手綱を握る者は、道が死ぬと荷が死ぬことを知っている。


護衛たちも遅れて動く。


拾えた塩は、小袋で四つにも満たなかった。


それでも保存食を数日延ばせる。汗をかいた兵の喉も少し戻せる。家畜がいれば、もっと価値がある。


宿場の裏手に、細い足跡があった。


子どものものだ。


壺の破片の周りを何度も回り、宿場の裏山へ消えている。


近くの村の子どもが、塩を拾いに来たのだろう。


商人ではない。


兵でもない。


領民が宿場跡の破れ壺から塩を拾っている。


レインの見積もりより、治安も財政も一段深いところまで傷んでいた。


塩が足りなければ、保存食が持たない。


保存食が持たなければ、商人は長く滞在できない。


商人が来なければ、村は塩を買えない。


輪が閉じている。


どこか一か所を切らなければ、同じ不足が同じ道を回り続ける。


「急ぐぞ」


荷台へ戻った。


「慎重に行くんじゃなかったのか」


護衛兵が言う。


「慎重に急ぎます」


「どっちだよ」


「止まる場所を減らす。日暮れまでに沢へ出る。出なければ、革袋の残りで夜を越す」


馬車が動き出した。


道は細く、轍は古い。


草の倒れ方だけが新しかった。


誰かが道に沿って歩いている。鹿ではない。鹿なら斜面を横切る。人は道を見るために、道沿いを進む。


「後ろに弓を」


レインは言った。


「正面じゃなく?」


「この道幅なら、正面から大人数は来ません。来るなら後ろです」


護衛兵は今度、すぐに動いた。


信用ではない。だが、指示を聞くまでの時間が短くなった。


夕方、沢は地図より細かったが、まだ流れていた。


「全部汲まないでください」


泥を混ぜれば、明日の水が死ぬ。


護衛兵の一人が、そこで初めて何も言わずに桶を止めた。


昨日なら「もったいない」と言ったはずだ。


変わったのは、レインの説明ではない。空の井戸を見たことだ。


その夜、見張りに立った弓兵が暗がりから戻ってきた。


「さっきの足跡、増えてます」


宿場跡から離れたはずの草むらで、湿った葉が新しく倒れていた。


誰かが、こちらの荷を見ている。

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