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追放された雑用係、敗戦処理の天才だった ~崩壊寸前の辺境領を立て直す~   作者: 山田鰻
第十七章 敵より先に飢える兵たち

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俺には分からない

本体までの猶予は、半刻縮んでいた。


三度の鈴に続いた北の段の報告には、土煙早まる/浅い沢に車輪跡増/第一砦再入なしとある。


紙の端に、泥が点のように飛んでいる。走らずに来た兵の紙だ。それでも半刻という字だけが息を切らしていた。


「半刻」


エルクが低く読んだ。


「距離があるうちに、では足りない」


「はい」


古い体裁の紙を台へ戻した。上げる物/下ろす者/残す物/戻る車/空で返さぬ車/止める車。その下へ新しい欄を足す。


引く時に残す物。


「引く?」


「まだ決めません」


「書いたぞ」


「決めるために、先に欄を作ります」


エルクは紙をにらんだ。怒りより先に嫌悪がある。引くという字は、剣を抜くよりも重い。


戸口から、北方砦本体の紙が入った。


負傷者四/歩行不可二/歩行遅い一/肩傷一、弓不可。矢束残り一/粉麦夕まで/飼葉今夜なし/火種半。


「四人」


ミリアが紙の端を押さえた。


「二人ではない」


「増えています」


下ろす者の欄が広がる。負傷者四/歩けない二/遅い一/肩傷一。


「車は」


「今すぐ戻せるのは二台です」


ルシアが答えた。


「一台は炭商。もう一台は空荷。ただし空荷は南門の粉麦を受ける予定でした」


「下ろしに使えば」


「南門の粉麦が止まります」


「粉麦を優先すれば」


「歩けない二人のうち、一人が残ります」


エルクの手が台に落ちた。


「残すな」


「では、粉麦が止まります」


「粉麦はあとでいい」


火の横からガレスの声が来た。


「あとで、がない時もある」


「人だぞ」


「飯も人だ」


間違っていない。だから腹が立つ。負傷者を下ろしたい。だが粉麦を止めれば南門の火前が痩せる。南門が痩せれば、道倉へ上げる人の手が減る。人を助ける車で、人を飢えさせる。


ルシアが商隊紙を一枚めくった。


「止める車をさらに一台、下ろす車へ変えられます」


「代わりは」


「布商の車です。雨が上がれば使えます」


外の雨は、まだ細く続いている。


「上がらなければ」


「使えません」


「なら数に入れるな」


「条件つきとして入れます。入れなければ、雨が上がった時に使えません」


「条件を書いて」


新しい欄ができる。布商は雨止み後、下ろす車へ変更可。雨続きなら南門止め。


「これでも、四人全員は無理です」


下ろす者の欄を指で分ける。第一便は歩行不可一。第二便は歩行不可一と肩傷一。歩行遅い一は北方砦本体で待機。


「歩行遅い者を残すのか」


「歩けます」


「遅いと書いてある」


「歩けない者よりは動けます」


「肩傷は」


「弓不可です。下ろします」


「弓が使えないからか」


「本体で残す矢が少ないからです。弓を持てない者を置くと、食と火だけが減ります」


言い返すための息を、エルクが吸った。だが、出てこなかった。


矢束残り一/粉麦夕まで/飼葉今夜なし/負傷者四。どの行も誰かを責めるために書かれていない。だから逃げ場がない。


「矢束を上げる」


「一本だけ、本体へ」


「残りの車は」


「負傷者」


「粉麦は」


「……南門で薄くする」


「飼葉は」


飼葉。馬が動かなければ車は戻らない。車が戻らなければ負傷者も粉麦も矢束も動かない。敵より先に減るものは、また一つ増えた。


「飼葉を止めれば、車が死ぬ」


ガレスが言った。


「馬は兵より先に倒れる。倒れたら、起こす紙はない」


エルクが両手で台を押さえた。


「では、どうしろと言う」


「聞く相手を間違えるな」


ガレスの顎がこちらへ向く。


エルクがゆっくり顔を向けた。目にはまだ怒りがある。けれど怒りだけではない。粉麦と矢と飼葉と負傷者が、全部同じ台の上にある。剣で払えるものが一つもない。


「俺には分からない」


道倉の火が低く鳴った。


「どれを先に動かせば、誰が残るのか。どれを残せば、次に何が止まるのか。俺には分からない」


言い切ってからも、視線を逸らさなかった。


「お前が決めろ」


その声は降参ではなかった。責任を投げる声でもない。自分の手で決められないことを認め、それでも動かすための声だった。


「決めるのはミリア様です。動かし方は、出します」


ミリアが小さくうなずいた。


「出して」


台の上で、三本の線が引き直される。


上げる物は矢束一本を本体へ/飼葉半束を炭商戻りで/火種を北の段へ小分け。下ろす者は歩行不可一を第一便/歩行不可一と肩傷一を第二便/歩行遅い一は本体待機。残す物は粉麦今夜分のみ本体/北の段は矢追加なし/道倉は火種半分。


止める車は南門で粉麦を薄くする。布商は雨止み待ち。空で返さぬ車は炭商に飼葉半束、空荷に負傷者二。


「粉麦が薄い」


「はい」


「北の段に矢を足さない」


「はい」


「歩ける者を待たせる」


「はい」


「全部、嫌な返事だ」


「はい」


「だが、全部動く」


「動きます」


ミリアがその行を見て署名した。


「不足を隠さずに出します」


写しが三つに分けられる。領内用/商人向け/本体向け。商人向けの言葉が削られ、飼葉と火種の行だけが見直された。


「炭商に飼葉を頼むのか」


ガレスが聞いた。


「炭の匂いがつきます」


「馬は嫌がるか」


「嫌がるかもしれません。でも、今夜なしよりはましです」


「それを書け」


欄に一行が足された。飼葉、炭臭あり。今夜用のみ。


「こんなことまで」


エルクがつぶやいた。


「馬が食わなければ、紙の上では足りていても、道では足りません」


また台を見た。


紙の上で足りているふりをしない。人にも、飯にも、馬にも。


戸口の兵が赤い紐を受け取る。


「本体へ」


「走らない。だが、今度は遅らせない」


ミリアの声で、兵がうなずいた。


「北の段へは」


「火種小分けと、矢追加なしの紙を」


「南門へは」


「半食と、布商雨待ち」


三つの紙が同時に出る。


道倉の外で車輪の音が重なった。炭商の車/空荷の車/南門で止める布商の車。動くものと動かないものが、同じ命令で分かれていく。


エルクが戸口のほうを見た。


「俺は今の紙が好きではない」


「分かっています」


「だが前に出て斬るよりはまだ人が戻る」


返事をしなかった。言えば軽くなる。軽くしていい言葉ではない。


北の段から、また鈴が鳴った。今度は一度だけ。


紙筒を持った兵が道倉へ入る前に息を整えた。手は泥で汚れている。紙は濡れていない。


「土煙、分かれました」


兵の声が台の上へ落ちる。


「一部、浅い沢へ。残り、本体の見える線へ」


エルクがさっき自分で言った言葉の先を見るように、こちらを見た。


俺には分からない。


その声はもう、道倉の中に残っている。


次の紙は、守るための紙では足りなかった。


引きながら戦う紙が要る。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。


少しずつ読んでくださる方が増えていて、とても励みになっています。

リアクションやブックマークも本当にありがたいです。


もし続きが気になる、面白いと思っていただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです。


次回も楽しんでいただけるよう頑張ります。

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