3、◆長女の才能開花?
◆長女エボニーの才能開花?
── 蛇足:ベルベット伯爵夫人の復讐の刺繍が完遂 ──
その夜、スタンダードグレー家の食卓では、久しぶりに笑い声が響いていた。
「女公爵様、あのドレスを着て侯爵の前をわざと3回も行き来したそうですよ!」
エボニーが笑いながら報告した。
「それだけじゃないのよ」
ベージュが付け加える。
「私が作った香水をつけて、侯爵のそばを通るたびに
『この香り、あの零細店で見つけたのよ』
って言ってくれたんですって」
「チュイ! チュイチュイ!」
チーラも興奮して飛び跳ねている。
「チーラは、侯爵が帰宅後、部下を叱りつけているのを見たそうです」
パールが翻訳しながら、手作りのパイを切り分けた。
「でも、これで侯爵の標的になるかもしれません」
ベルベットは笑いながらも、真剣な口調で言った。
「次の手を考えないとね。次は……」
ベージュが何かいい考えを捻り出そうとしている。
「そうね。でも、次回はもっと巧妙にしないと」
ベルベットは考え込んだ。
「侯爵はきっと警戒しているわ。私たちの動きを監視しているかもしれないの」
その時、パールが突然言った。
「それなら、逆に利用しましょうよ」
「どういうこと?」
「侯爵が私たちを監視しているなら、その監視の目を欺くために、別の動きを見せればいいんです」
パールの紫の瞳がきらりと光った。
「たとえば……私が王宮の厨房で働くふりをするとか。そうすれば、侯爵の注意は私に向き、お母さまやお姉さまたちの本当の計画には気づかないかもしれません」
「危険すぎるわ!」
ベージュが反対した。
「でも、面白そう!」
エボニーは賛成のようだ。
娘たちの顔を見回したベルベットは、深く息を吸った。
「パールの言う通りかもしれない。でも、あなた一人で危険を冒させるわけにはいかない」
彼女はテーブルを軽く叩いた。
「全員で作戦を立てましょう……侯爵へ一撃を喰らわせてやるためにも」
スタンダードグレー家の女性たちは、夜遅くまで作戦会議を続けた。
借金返済のため、そして復讐のため、彼女たちが選んだ道は、貴族としての誇りを捨て、ペテン師となること。
窓の外では月が明るく輝き、やがて朝が訪れようとしていた。
新しい1日は、新しい詐欺の始まりを告げているようだった。
*****
── 長女エボニーの才能がさらに開花する ──
ヘッジホッグ王国の片隅にあるスタンダードグレー伯爵家の屋敷は、かつての華やかさを失いつつも、奇妙な活気に満ちていた。
借金大白金貨50枚という途方もない負債を背負いながらも、伯爵未亡人ベルベットと3人の娘たちは、それぞれの方法で生き延びる道を模索していた。
その中で、長女のエボニーは、父が残した美術品コレクションに毎日向き合っていた。橙色の髪をゆるく束ね、紫の瞳で絵画をじっと見つめる彼女の表情は複雑だった。
「また1つ、売却しなければならないのね……」
応接間に飾られていたのは、有名な風景画家フィリミーリ『夕陽の湖畔』。父グレイ伯爵が生前、大切にしていた作品の1つだ。
ため息をつきながらエボニーは、キャンバスと絵の具を準備した。
「せめて……せめて習作の形でもいいから残しておけないかしら」
彼女の手が動き始めた。筆の運びは驚くほど滑らかで、色の混ぜ方、筆致の強弱、光と影の表現 ── すべてが本物そっくりに再現されていく。
幼い頃から父と一緒に絵画鑑賞をし、自分でも描くことを楽しんでいたが、ここまで正確に模写できるとは自分でも驚いた。
3日後、完成した模写画を家族の前に披露した。
「ええっ!」
紅茶のカップを置いた次女のベージュが、目を丸くした。
「姉上、これ……本物と見分けがつきませんわ!」
料理用のフライパンを手にしたままで三女のパールは、絵の前で立ち尽くした。
「すごい……本当にすごいです、お姉様!」
紫の瞳を細めてじっくりと鑑賞した後、母親のベルベットは口元に微笑みを浮かべた。
「エボニー、あなたには彫金と装飾デザイナーの技術だけでなく、ずっと画家としても才能があったのね。私、気づかなかったわ」
エボニーは照れくさそうに頬を染めた。
「そんな、ただ……模写しただけなのよ。本物の出来とは全然違うじゃないですか」
「いえいえ、姉上」
ベージュが身を乗り出した。桃色の髪が揺れ、灰色の瞳がきらりと光る。
「よくよく考えたら。こうなってくると、いっそ本物を売るのはもったいなくなってくるわね。でも、姉上の描いた絵を、堂々とこの画家フィリミーリのお弟子さんの習作として売れば、詐欺にならないのでは?」
一同が沈黙した。
パールが真剣な顔で言った。
「確かに……本物より値段は落ちることになるでしょうけど、そこそこの値段になるはずよ。お姉様の技術なら、専門家でも見分けがつかないかもしれません」
「ええっ? ちょっとちょっと!」
エボニーは慌てて手を振った。
「私の描いた絵を売るですって? しかも有名画家の弟子の作品として? ばかにされるだけよ! 女性が描いた絵なんて、この世界ではまともに評価されてないのよ!」
「だ~か~ら~、画家の弟子の名前で売ればいいのよ、姉上。本物のフィリミーリ作品と言わなければいいだけ」
ベルベットが優しく娘の肩に手を置いた。
「フィリミーリに師事した匿名の弟子の習作と言い張ればいいのよ。それなら法律的な問題もないわね」
「そんな……うまくいくかなあ~」
エボニーは不安そうに眉をひそめた。
しかし、現実は厳しい。借金の返済期限は刻一刻と迫り、食卓に出される食事も質素になる一方なのだから。
屋敷の使用人たちはすでに解雇され、残されたのは伯爵家の女性4人と、ペットのチーラだけ。
チーラはその時、エボニーの膝の上でくるりと回り、ドライフルーツを欲しそうな目で見上げた。まるで
《やってみなよ》
と言って見える。
「……わかりました。試してみます」
こうして、エボニーの描いた『夕陽の湖畔』の模写は、フィリミーリ派の無名画家による習作として市場に出すことになった。
パールの聞き込みからの情報で、行商人だと名乗るマグナは、一見は善良そうな中年男性に見える。王都と地方を行き来する商人として知られるようになり、美術品の取引にも詳しいと聞いた。
「ふむ……これは興味深い」
エボニーの絵を手に取ったマグナは、ルーペで細部を確認した。
「確かにフィリミーリの筆致をよく学んでいる。色の使い方、光の表現……本物の弟子が描いたとしても不思議ではない。
いや、むしろ本物のフィリミーリ作品と見間違う人もいるだろう」
エボニーは緊張して息を詰めた。偽物を見破られるのではないかと、冷や汗が背中を伝ったからだ。
「では、お値段は?」
ベルベットが冷静に尋ねた。彼女は赤い髪を優雅にまとめ、紫色のドレスを借金苦の現実を覆い隠すように輝かせて見せる。
「そうですね……本物のフィリミーリ作品なら金貨5000枚はくだらないでしょうが、これは習作ですから……金貨150枚ではどうでしょう?」
「金貨200」
ベルベットは即座に言った。
「この絵の質を見てください。習作とはいえ、フィリミーリ直々の指導を受けたとしか思えない完成度ですわ」
マグナはしばらく考え込み、やがて笑顔でうなずいた。
「では、金貨180枚で。これ以上は出せません」
取引は成立した。エボニーの絵は、想定以上の高値で売れたのだ。
家に帰る道中、エボニーは嬉しさと罪悪感の間で揺れていた。
「お母様……これでよかったのでしょうか?私たち、人を騙しているような……」
「騙してなんかいないわ、エボニー」
ベルベットの声は優しく、しかし確信に満ちていた。
「私たちはフィリミーリの作品とは一言も言っていないもの。買いとったマグナ氏がどう解釈するかは彼の自由。それに……」
彼女は立ち止まり、娘の目を真っ直ぐ見つめた。
「あなたの絵は本当に素晴らしかったのよ。値段以上の価値があると思うわ。ただ、この世界が女性の芸術家を軽んじているだけなのよ」
その言葉に、エボニーは少しだけ気が楽になった。
家に戻ると、妹たちが待ち構えていた。
「どうだったの? 売れたの?」
ベージュが飛びつくように聞いた。
「金貨180枚でね」
エボニーが答えると、パールが嬉しそうに跳び上がった。
「すごい! これで半年は食費が賄えます!」
その夜、久しぶりに少し豪華な食事が食卓に並んだ。
パールの腕によるシチューとパン、ベージュが調合したハーブティー。テーブルの下ではチーラがご褒美のドライフルーツを嬉しそうにかじっていた。
「でも……」
食事の後、エボニーはふと疑問を口にした。
「あのマグナと言う男、本当に絵の価値がわかっている商人なのかしら? 普通の行商人なら、ここまで高値で買い取らないと思うの」
ベルベットの目が一瞬鋭くなった。
「確かに……彼の目利きは良すぎたわ。まるで専門の美術商のように」
「もしかして……」
ベージュが紅茶のカップを置き、声を潜めて言った。
「あの商人、ただ者じゃないかもしれません。父様に偽の投資話を持ち込んだアグーチ・ブルーパッチド侯爵と関係があるのでは……」
部屋の空気が一瞬凍りついた。
パールが小さく息を呑んだ。
「そんな……もし本当なら、鉱山の件といい、私たちのことを調べに来ているのかもしれません」
「心配しないで」
ベルベットは平静を装い、娘たちを落ち着かせようとした。
「たとえ侯爵の手下だとしても、今のところ私たちに害をなす行動は取っていないようよ。むしろ、高値で絵を買ってくれたのだから」
しかし、エボニーの心には小さな不安の種が植え付けられた。彼女の絵が、思わぬところで思わぬ人物の目に留まり、やがて大きな波紋を呼ぶことになるとは、この時まだ誰も知らなかった。
数日後。
エボニーは再び絵を描いていた。今度は別の画家の作品を模写している。彼女の手は以前より確信に満ち、筆の運びはより滑らかになっていた。
「お姉様、次は誰の作品を?」
パールが掃除の合間に尋ねた。
「今度は肖像画よ。マエストロ・ヴァルドの『貴婦人の肖像』。父が大切にしていたあの絵」
エボニーの目が輝いた。彼女はすでに次の計画を考えていた。一枚の絵が金貨180枚になるなら、10枚描けば金貨1800枚。50枚描けば……
「でも、同じ手口を使い続けるとバレるわよね」
ベージュが現実的な指摘をした。
「だからこそ、いろんな画家のスタイルをマスターするのよ。フィリミーリ派、ヴァルド派、それに……」
エボニーは意味深に微笑んだ。
「まったく新しい無名の天才画家を創作してもいいかもしれないわね」
その言葉に、ベルベットは驚きと感心の混じった表情を浮かべた。
「エボニー……あなた、本当に才能があるわね。宝飾デザイナーとしての彫金よりも、画家として詐欺師としての才能も含めてこちらの方が本業になってしまいそうね」
一家は笑い声に包まれた。苦境の中でも、彼女たちは笑いを忘れない。これがスタンダードグレー家の強さなのかもしれない。
こうして、スタンダードグレー伯爵家の長女エボニーは、借金返済のため、そして自分の才能を証明するため、贋作画家としての道を歩み始めた。
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