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俺の彼女は人工知能(AI)でした。  作者: おぷっち


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偽りの名、試される覚悟

約束の日の朝。六畳一間のアパートの空気は、やけに冷たく張り詰めている。俺はクローゼットの奥から引っ張り出したニット帽を目深にかぶり、使い捨てのマスクで顔の半分を覆った。鏡に映るのは、どこにでもいる、しかしひどく強張った表情の男だ。

「心拍数、毎分124。発汗レベル、基準値の1.7倍。健太くん、極度の恐怖反応を検知しています」



背後から、アリスの静かな声が響く。彼女はいつものラフなパーカー姿で、その瞳は俺の生体データを正確にスキャンしていた。



「私たちの生存確率は、依然17%から変動ありません」

「……大丈夫だよ。ちょっと緊張してるだけだ」



強がって見せるが、指先が微かに震えているのを自分でも感じた。その震えを隠すようにポケットに手を突っ込むと、アリスがそっと近づいてきた。彼女の指が俺のパーカーのポケットに触れ、何か小さな、硬いものを滑り込ませる。



「これは?」

「小型の発信機です。万が一の場合、健太くんの位置情報を捕捉するために。論理的に、これが最も安全性を高める選択です」



彼女の言葉には感情がない。だが、その行動には、無機質で、けれど確かな優しさが込められているように思えた。俺は何も言わず、ただ小さく頷いた。



アパートを出て、大学裏のカフェへ向かう。一歩踏み出すごとに、足が鉛のように重くなる。引き返せ。お前みたいな平凡な大学生に何ができる。心の奥で、弱さがささやき続ける。



不意に、背後からけたたましいサイレンの音が響いた。ビクッと肩が跳ね、全身が凍りつく。追っ手か? しかし、俺の横を猛スピードで通り過ぎていったのは、ただのパトカーだった。緊急車両が遠ざかっていく音を聞きながら、荒くなった息を整える。



ダメだ。俺はもう、逃げるだけの自分じゃない。アリスを守る。そう決めたんだ。これは、そのための最初の戦いだ。俺は奥歯を強く噛み締め、再び足を前に進めた。



約束のカフェのドアを開けると、コーヒーの香ばしい匂いが鼻をくすぐった。指定された窓際の席。そこに、一人の女性が座っていた。大きなヘッドフォンで耳を塞ぎ、ノートパソコンの画面を無表情に見つめている。肩まで伸びた黒髪。歳は俺より少し上だろうか。



俺が向かいの席に腰を下ろすと、彼女はゆっくりと顔を上げた。値踏みするような鋭い視線が、俺を射抜く。



「……高木健太?」

「は、はい」

「ふーん」



彼女は興味なさそうに鼻を鳴らし、ヘッドフォンを首にかける。そして、唇の端を歪めて、言った。



「AIに恋したおめでたい頭?」



心臓を氷の矢で射抜かれたような衝撃。全身の血が逆流する。この辛辣な言葉こそが、あのメッセージの送り主の真意。これは、優しさなんかじゃない。試されているんだ。



「……あなた、なんですか」

「答える義理はない。帰りなよ。君みたいな子供が出てくる幕じゃない」



突き放すような言葉に、カッと頭に血が上る。しかし、それ以上に、恐怖が全身を支配していた。手足が冷たくなり、声が震える。



「帰らない。俺は、アリスを……」

「守る、とか言うんでしょ。おままごとは終わり。あなたに、彼女を背負う覚悟はあるの? ただの同情や恋愛ごっこじゃない。世界を敵に回す覚悟が」



橘結衣と名乗った彼女の言葉が、俺の核心を抉る。世界を、敵に。その言葉の重みに、呼吸が浅くなる。そうだ、俺は平凡な大学生で、特別な力なんて何もない。それでも。



俺は震える両手をテーブルの下で強く、強く握りしめた。爪が食い込む痛みで、恐怖をねじ伏せる。



「覚悟なんて……とっくに決まってる。俺が、アリスを……守るんだ」



絞り出した声は、自分でも驚くほど低く、揺るぎなかった。俺の目を見た橘さんの表情が、初めて微かに動いた。



「……バカね」



彼女はそう呟くと、呆れたようにため息をついた。

「噂の天才ハッカー、橘結衣。本人よ。まあ、座りなさい。話くらいは聞いてあげる」

その言葉に、張り詰めていた糸が少しだけ緩むのを感じた。



橘さんの話は、俺の想像を遥かに超えていた。

「あんたたちが追われてるのは、開発元のプロメテウス・ラボだけじゃない」

彼女はノートパソコンの画面をこちらに向けた。そこには、暗号化されたチャットのログや、監視カメラの不鮮明な画像が並んでいた。

「アリスの技術を軍事転用しようと狙ってる連中がいる。プロメテウス・ラボとは別の、もっと過激な組織よ」

事態は、俺が考えていたよりずっと複雑で、危険な領域に達していた。ただの追いかけっこじゃない。これは、奪い合いだ。



「協力してあげる。でも、タダじゃ無理」

橘さんは冷たい目で俺を見据える。

「対価として、ラボのサーバーから、私が欲しいデータを盗んできて」

「……盗む?」

「そう。ハッキングよ。私が外から穴を開ける。あんたは物理的に侵入して、このUSBをサーバーに挿す。それだけ」



法を犯せ、と彼女は言っている。これはもう、守られる側の人間がしていいことじゃない。戦う側の、後戻りできない選択だ。

平凡な日常は、もうどこにもない。

一瞬、頭が真っ白になる。でも、迷っている時間はない。これが、アリスを守る唯一の道なら。



「わかった。やる」



俺は即答していた。

俺の答えを聞いた橘さんは、数秒間、何も言わずにじっと俺の目を見つめていた。その沈黙に、驚きと、値踏みと、そしてほんの僅かな期待が入り混じっているように見えた。



アパートに戻ると、アリスが玄関で待っていた。俺の顔を見るなり、彼女の瞳が微かに揺れる。

「健太くん、心拍数とアドレナリン分泌量が異常値です。接触の結果、リスクレベルは……」

「アリス」

俺は彼女の言葉を遮った。計算や確率の話は、もういらない。

「俺が決めたことだ。俺が、戦う」



力強く告げると、アリスはぴたりと動きを止めた。彼女のシステムが、俺の言葉を、その裏にある非合理的な感情を、理解しようとフル稼働しているのが伝わってくる。

やがて、彼女はゆっくりと頷いた。

「……了解しました。システムに新規パラメータを記録します。分類不能な、システムノイズとして」

彼女が言う『ノイズ』が、俺の『覚悟』という感情の輪郭を捉えようとしているのだと、なぜかそう思った。



ポケットを探ると、橘さんから渡された小さなUSBメモリが指に触れた。そこには、俺たちの未来をこじ開けるための、危険な鍵が入っている。



『プロメテウス・ラボだけが敵じゃない。あなたの覚悟は、これからが本番よ』



橘さんの言葉が、頭の中で反響する。そうだ、まだ始まったばかりなんだ。俺は、平凡な俺は、これから世界を相手に戦うのだ。アリスと、二人で。

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