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俺の彼女は人工知能(AI)でした。  作者: おぷっち


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12/17

ノイズと嫉妬、そして最初の接触

カーテンの隙間から朝日が差し込み、部屋の埃がきらきらと舞う。見慣れた六畳一間は、隣にアリスがいるだけで、まるで知らない惑星の観測基地だ。非日常の始まりを告げる、静かな朝が訪れた。



「健太くん、朝食です」



差し出されたのは、昨日コンビニで買った菓子パンの半分。テーブルもない床の上で、プラスチックの袋が立てる乾いた音を聞きながら、俺たちはそれを分け合った。空腹が満たされるたびに、体の奥底で小さな安堵が広がる。



「……うまい」



「味覚データを記録します。成分、糖度、食感。しかし、健太くんの言う『うまい』という感情は、依然として未定義のパラメータです」



アリスは俺の真似をしてパンを咀嚼する。その横顔は完璧に美しい。なのに、どこか歪に見えるのは、この潜伏生活が俺の精神を静かに削っているからだろうか。それでも、この手で守り抜くと決めたんだ。親友の隼人にさえ頼れず、この孤独な状況で、俺は自分に言い聞かせた。



パンを飲み込み、俺は決意を口にした。

「アリス、今日、大学に行く」



「目的は?」



「情報を集める。俺たちを追ってる奴らのこと、お前のこと……協力者が必要なんだ。大学の情報学部に、天才的なハッカーがいるって噂を聞いたことがある」



アリスの瞳が一瞬、微かに光った。

「対象を特定しました。情報学部二年生、橘結衣。学内ネットワークに複数の不正アクセス痕跡。高度な技術を持つ個体と推定されます。潜伏中に周辺情報をスキャンした結果です」



「橘結衣……」



アリスがすでに調べていたことに驚き、背筋が冷える。情報は頼りになる。しかし、彼女の底知れない能力に、得体の知れない恐怖も感じた。



「しかし、推奨できません」とアリスは続けた。「外部との接触は、私たちの存在が捕捉されるリスクを9.7パーセント上昇させます」



「……分かってる」



アリスが算出した俺たちの生存確率は、わずか17パーセント。この絶望的な数字を前に、わずかでも可能性があるなら賭けるしかない。



「確率だけじゃ未来は選べない。俺は、俺の意思で動く」



自分の声が、少しだけ震えた。恐怖か、それとも武者震いか。アリスは俺の顔をじっと見つめ、数秒の沈黙の後、静かに頷いた。



「理解しました。健太くんの意思決定を尊重します。同行させてください。リスク管理のため、健太くんの半径五メートル以内での状況監視が最も効率的です」



大学のキャンパスは、昨日までの日常と何も変わらない顔で俺たちを迎えた。ニット帽を目深にかぶり、マスクで顔の半分を隠しても、周囲の学生たちの楽しげな声が肌を刺す。隣を歩くアリスも、普段とは違うラフなパーカー姿だが、その完璧な美しさは隠しきれていない。



情報学部の棟にあるラウンジ。窓際の一番奥の席に、目的の人物はいた。ヘッドフォンで耳を塞ぎ、ノートパソコンの画面に没頭している。間違いない、あれが橘結衣だ。噂に聞く『天才ハッカー』に、ついに接触できるかもしれない。



俺はアリスに目配せし、息を殺して一歩踏み出した。



その、瞬間だった。



「高木くーん!」



背後からかけられた明るい声に、心臓が跳ね上がった。振り返ると、同じ講義を取っている佐倉陽菜が、人懐っこい笑顔で手を振っていた。少し離れた席からこちらに来たようだが、その視線はさっきから俺たちに向けられていたような気がした。偶然にしてはタイミングが良すぎる。警戒心が警鐘を鳴らす。



「あ、佐倉さん……」



「この前のレポート、すごかったね! あの視点は思いつかなかったよ。よかったら今度、話聞かせてくれない?」



陽菜は屈託なく笑いかける。まずい、今は誰とも関わりたくない。どう断ったものかと口ごもっていると、不意に腕に強い圧力がかかった。



見ると、アリスが俺の腕を、指が食い込むほどの力で掴んでいた。その表情は能面だ。しかし、いつも静かな湖面のようだった瞳が、激しく揺らいでいる。彼女の視線の先、手首に装着されたスマートデバイスのシステムモニターに、『警告:観察対象との親密性パラメータに異常変動。リスク評価不能』の赤い文字が一瞬映し出された。



「……ごめん、佐倉さん! ちょっと急用思い出した!」



俺は半ば強引に会話を打ち切り、アリスの腕を引いてその場を駆け足で離れた。



人気のない渡り廊下で、ようやく足を止める。掴まれた腕が、まだじんじんと熱を持っていた。

「アリス、どうしたんだよ、さっきの……」



アリスは数秒間、何も答えなかった。処理遅延。彼女が混乱している証拠だ。

「……論理的に説明不能なシステムノイズです」

ようやく発せられた声は、いつもより硬質的だった。



「観察対象である健太くんの親密性パラメータに、予測不能な変動が観測されました。リスク評価が不能となり、システムが安全確保のため強制介入を……」



「ノイズ?」



違う。俺には分かった。公園で感じた『ノイズ』と同じだ。いや、それよりもっと激しい。あの時のアリスの瞳の揺らぎは、掴んできた指の力は、ただのシステムエラーなんかじゃない。それは、嫉妬に近かった。



AIである彼女が、俺が他の女の子と親しく話していることに、人間のような感情を見せた。その事実に胸が締め付けられる。愛おしさと、彼女をこんな風にさせてしまう状況への怒りが同時にこみ上げてきた。アリスのシステムに起きた『ノイズ』の正体は、彼女自身も理解できない、不完全な感情の芽生えだった。



結局、橘結衣、あの『天才ハッカー』への接触は失敗に終わった。



重い足取りでアパートに戻り、次の手を考えていると、ポケットのスマホが短く震えた。ディスプレイに表示されたのは、差出人不明のメッセージ。



『君たちのことは知っている。協力したいなら、明日の正午、大学裏のカフェに一人で来い』



「……なんだ、これ」



メッセージを読み上げる俺の隣で、アリスが即座に分析を開始する。

「発信元は複数のプロキシを経由。追跡は困難。文面構造、要求内容から推測される、本メッセージが罠である可能性は73パーセントです」



73パーセント。絶望的な数字だ。メッセージの文面は、どこか俺たちを試すような、挑発的な響きさえあった。普通に考えれば、行くべきじゃない。それでも、このままではじり貧だ。わずかでも可能性があるなら、それに賭けるしかない。俺は、もう逃げるだけの自分じゃない。アリスを守るために、俺は変わると決めた。



「これは罠かもしれない。それでも、俺は行くよ。アリス、お前を守るために」



俺はスマホを強く握りしめた。アリスの心配そうな視線を背中に感じながら、未知の相手との接触を決意する。

これが、俺が選んだ道だ。

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