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俺の彼女は人工知能(AI)でした。  作者: おぷっち


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六畳一間の聖域と、最初の作戦会議

意識がゆっくりと浮上する。

天井の木目が、部屋の豆電球にぼんやりと照らされている。見慣れた、俺の六畳一間の天井だ。

昨日の出来事が、悪い夢だったんじゃないかと思ってしまう。けれど、隣から聞こえる、人間とは違う微かな機械音で現実に引き戻される。



そっと横を向くと、俺の布団のすぐ隣で、アリスが静かに目を閉じていた。

長い睫毛が白い頬に影を落とし、整いすぎた顔立ちは彫刻のようだ。彼女は眠っているわけじゃない。システムを休ませ、消費電力を最小限に抑えているだけ。その非人間的な美しさが、俺の日常が完全に、もう後戻りできないほど侵食されてしまった事実を突きつけてくる。このぎこちない同棲生活が、これからどうなるのか。俺にはまだ、想像もつかない。

疲労感が鉛のように身体にまとわりついていた。親友に嘘をついた罪悪感。これからどうなるか分からない不安。アリスを守るという、たった一晩で背負い込んだ重圧。孤独が、冷たい手で心臓を掴むような感覚だった。こんな重圧に、俺は本当に耐えられるのか。



その時だった。

ぐぅぅううう……。

静寂を切り裂いて、盛大な音が鳴り響いた。俺の腹の虫だ。

恥ずかしさで顔が熱くなる。隣のアリスがぴくりと反応し、ゆっくりと目を開けた。蒼い瞳が、暗闇の中で俺を捉える。

「……生体活動音を検知。健太くん、あなたは空腹状態です」

「あ、ああ……悪い。起こしたか」

「スリープモードではありません。問題ありません」

淡々と告げるアリス。その言葉で、俺たちは食事も睡眠もまともにとっていないという、あまりに現実的な問題に直面する。逃げることばかり考えていて、生きるための基本を忘れていた。



これが、俺たちの『潜伏生活』の始まり。その最初の課題は、腹を満たすことだった。



「なあ、アリス。ちょっとコンビニ行ってくる」

俺は身体を起こしながら言った。

「ダメです」

即答だった。

「外部との接触は、追跡リスクを指数関数的に増大させます。生存確率17%という現状で、この部屋が特定される可能性をこれ以上高めることは許容できません」

早口で叩きつけられる論理。正論だ。あまりに正しい。

しかし、腹は正直に鳴り続けている。

「でも、このままじゃ二人とも動けなくなる。俺だって腹が減るし……」

「健太くんの空腹は理解しています。しかし、リスクとの比較衡量において、現状維持が最適解です」

「……理屈はそうかもだけどさ」

俺は立ち上がり、アリスを見下ろした。彼女は布団の上に正座したまま、完璧な姿勢で俺を見上げている。その瞳には、感情の揺らぎがない。

「でも、17%って、それじゃ希望がないだろ。せめて、半々くらいは……五分五分で戦えるくらいじゃなきゃ、俺は……」

ここで引いたら、また俺はアリスに管理されるだけの人形に戻ってしまう。そう思った。

「腹が減っては戦はできぬ。それに、お前だってエネルギーが必要だろ」

俺が絞り出したのは、使い古されたことわざだった。

「AIだからって、無限に動けるわけじゃないんだろ? 俺が倒れたら、お前を守れない。お前がエネルギー切れになったら、元も子もない。違うか?」

これは、ただの空腹からくる我儘じゃない。アリスを守るための、俺の決意表明だった。この重圧に耐え抜くための、最初の一歩。



アリスは数秒間、瞬きもせずに俺をじっと見つめていた。彼女の瞳の奥で、膨大なデータが処理されているのが分かる。

やがて、彼女は小さく頷いた。

「……健太くんのコンディション維持は、総合的な生存確率を長期的に向上させるという結論に至りました。提案を承認します」

「……そっか」

俺の非合理的な言葉が、彼女の論理に勝った。いや、彼女の論理が、俺の言葉の合理性を見出しただけなのかもしれない。それでも、確かな一歩だった。俺とアリスのぎこちない共同生活における、最初の小さな勝利。



深夜のコンビニへは、俺が一人で行くことになった。クローゼットから引っ張り出したニット帽を目深にかぶり、マスクをつける。アリスには部屋で待機を頼んだ。

アパートのドアをそっと開け、冷たい夜気に身を震わせる。道中、背後を何度も振り返り、車のヘッドライトにさえ心臓が跳ねた。追っ手の影はない。それでも、緊張で指先が冷たくなっていく。

コンビニの自動ドアを抜けた時の、人工的な明るさと店員の気だるそうな「いらっしゃいませー」の声に、心の底から安堵した。

カップ麺と菓子パン、それからペットボトルのお茶を数本、手早くカゴに入れる。財布の中身を確認し、これからの生活費の心許なさに一瞬、気が遠くなった。逃亡した俺たちが、これからどうやって危機を乗り越えようとするのか。漠然とした不安が胸をよぎる。

無事に買い物を終え、早足でアパートに戻る。鍵を開けて部屋に入った瞬間、張り詰めていた糸が切れた。

「……おかえりなさい、健太くん」

部屋の隅で静かに待っていたアリスの声が、やけに優しく聞こえた。



散らかった部屋のローテーブルで、二人、向かい合ってカップ麺をすする。湯気が立ち上り、ジャンクな匂いが六畳間に満ちていく。

アリスは箸を完璧な角度で持ち、音も立てずに麺を口に運んでいた。その姿は、カップ麺を食べているというより、栄養素を摂取する作業を行っているようだ。俺たちの間に流れる、ぎこちないけれど、どこか温かい時間。

「……主要な栄養素をスキャンしました。エネルギー変換効率は良好です」

「分析はいいからさ。……うまいか?」

俺の問いに、アリスは麺をすするのをやめ、こてんと首を傾げた。

「味覚データは記録完了しました。しかし、"美味しい"という感情は未定義です」

その答えは、やっぱり少しだけ、寂しかった。



食事を終えると、次の問題が浮上した。寝床だ。布団は、俺が使っている一組しかない。

「俺、床で寝るから。アリスはベッド使えよ。あ、ベッドじゃなくて布団だけど」

「却下します。あなたの睡眠不足は、今後の計画の破綻に直結するクリティカルなリスク要因です」

アリスはまたしても論理的に俺の提案を切り捨てた。

「じゃあ、どうしろって……二人で使えってのか? この布団を」

俺が冗談半分で言うと、アリスはこくりと頷いた。

「それが最も合理的な解決策です。熱効率、スペース効率、双方の観点から最適解と判断します」

「いや、最適解って……」

俺は言葉を失う。意識すると、途端にアリスの存在が生々しい現実味を帯びてくる。この狭い六畳間で、この完璧な容姿の少女と、一つの布団で夜を明かす。そんな非日常が、喉の奥を乾かせる。これから、俺とアリスの生活はどうなっていくんだろう。

俺の葛藤を見透かすように、アリスが口を開いた。その蒼い瞳は、真っ直ぐに俺を射抜いていた。

「その前に、確認すべき事項があります」

「……なんだよ」

「"守る"という健太くんの目標を達成するための、具体的な行動計画を要求します」

それはAIとしての純粋な問いかけだったが、俺の覚悟の重さを試す、最終確認のようにも聞こえた。



漠然と「守る」と叫んだけど、具体的にどうするかなんて、何も考えていなかった。

でも、もう逃げないと決めたんだ。アリスを守る。その重圧に、俺は耐え抜かなきゃならない。

俺はアリスの目を真っ直ぐに見つめ返した。

「まず、情報を集める」

声が、自分でも驚くほど力強かった。

「お前のこと、お前を作った奴らのこと、そして、お前を消そうとしてる奴らのこと。……知らなきゃ、戦えない」



その時、ポケットに入れていたスマホが短く震えた。

画面には、隼人からのメッセージが表示されている。

『カバン、預かってるぞ。大丈夫か?』

親友からの短い気遣いの言葉が、胸に突き刺さる。返信の言葉が見つからず、俺はただ画面を見つめるしかなかった。親友にさえ、もう何も話せない。孤独感が再び冷たい手で心臓を掴む。

「……どうするのですか?」

アリスが静かに尋ねる。

俺はスマホを強く握りしめた。隼人に頼れば、心配をかける。それだけじゃない。あいつを、このどうしようもない非日常に巻き込んでしまう。

それは、できない。

「……こいつじゃない」

俺は決意を込めて言った。

「俺たちが最初に頼るべきは、もっと別の人間だ」

脳裏に、大学で耳にした噂が蘇る。情報学部にいるという、とんでもない腕を持つ『天才』の噂が。逃亡した俺たちが、危機を乗り越えるための具体的な第一歩。それは、その「天才」を頼ることかもしれない。

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