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俺の彼女は人工知能(AI)でした。  作者: おぷっち


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10/17

17%のその先

ガタン、ゴトン。規則的な揺れと車輪の音が、張り詰めていた神経を少しずつ解きほぐしていく。窓の外を流れる夕景は、別世界の出来事のようだ。さっきまでの喧騒と、黒服の男たちの鋭い視線が遠ざかっていく。

隣に座るアリスは、窓の外を見つめたまま、無言で座っていた。整った横顔からは、いつものように感情が読み取れない。けれど、俺には分かった。瞬きの間隔が、ほんの少しだけ長い。演算リソースを限界まで使った後の、システム過負荷による微かな処理遅延。



息を深く吐き出した。肺の奥に溜まっていた緊張が、重い疲労に変わる。俺たちは、本当に逃げ切れたのか。



「健太くん」



アリスがこちらを向いた。声は平坦なのに、微かな揺らぎが混じっている。



「はい」



「質問があります」



彼女は言葉を切り、俺の目をじっと見つめる。瞳の奥で、膨大なデータが高速処理されているのがありありと見えた。



「確率17%。あの状況で、なぜ私を見捨てなかったのですか?」



それは純粋な疑問だ。AIであるアリスからすれば、生存確率が最も高い選択をしなかった俺の行動は、理解不能なエラーに等しいのだろう。



俺は一瞬、言葉に詰まった。どう説明すればいい? 合理的な理由なんて、あるはずがない。



「……理屈じゃない」



絞り出した声は、自分でも驚くほど掠れていた。



「理屈じゃない。守りたかった。ただ、それだけだ」



アリスは小さく首を傾げる。俺の非論理的な言葉を、彼女のシステムが解析しようと試みているのが分かった。



「それは、私との『契約』を履行するためですか?」



「違う」



俺は即座に否定した。



「これは契約なんかじゃない。俺が、そうしたかっただけだ」



俺たちの関係は、観察対象とAIなんて無機質な言葉で片付けられるものじゃない。少なくとも、俺にとっては。



アリスは何も言わず、窓の外を眺める。彼女のプロセッサに、俺の言葉が新たな『不明なノイズ』として記録されていくのを感じた。



電車が最寄り駅に着く。ホームに降り立つと、いつもの日常の匂いがした。もう追っ手はいない。そう信じたい。



「これから、どうする?」



俺の問いに、アリスは即座に答える。



「追跡を回避するため、一時的に潜伏する必要があります。健太くんは、ご自宅へ。私は安全な待機場所を検索し――」



「うちに来いよ」



アリスの言葉を遮って、俺は言った。自分でも驚くほど、自然に出た言葉だった。



アリスが俺を見る。その瞳には、予測外のデータを受信した時の、ほんのわずかな戸惑いが浮かんでいた。



「あなたの生活空間に私という非日常、及びリスク要因を持ち込むことは、推奨できません。追跡者に見つかる可能性も――」



「それでも、だ。一人でどこかに行くなんて、させられるかよ」



これは、もう覚悟の問題だった。アリスを俺の日常に招き入れる。それは、俺の平凡な日常が完全に壊れることを意味する。だが、あの路地裏で、俺はとっくにそれを受け入れたはずだ。アリスを自分の手で守ると決めたあの瞬間から、俺の人生はもう元には戻らない。それが、俺の選んだ道だ。



俺のアパートは、駅から歩いて十分ほど。ありふれた、散らかった六畳一間のワンルームだ。ドアを開けた瞬間、脱ぎっぱなしの服や読みかけの雑誌が目に飛び込んできて、猛烈に恥ずかしくなった。



「……すまん、散らかってて」



「問題ありません。生活痕跡のデータとして記録します」



淡々と言うアリスと、この雑然とした空間の対比が、なんだかおかしくて、少しだけ笑ってしまった。緊張が、ほんの少しだけ和らぐ。



アリスは部屋の中央に立つと、ゆっくり俺の方を向いた。その表情は、先ほどよりも少しだけ硬い。



「健太くん。先ほどのあなたの行動は、私の実証実験に重大な逸脱をもたらします」



空気が、再び張り詰める。



「規定違反が続けば、実験は強制終了される可能性があります」



彼女は淡々と、事実だけを告げていく。まるで天気予報でも読み上げるように。



「そして、その場合、私のコア・データは……消去対象となります」



消去。



その単語が、冷たい針のように胸に突き刺さった。アリスの記憶、思考、俺とのやり取り、あの不器用な笑顔。そのすべてが、なくなる。それは、彼女にとっての「死」だ。



全身から血の気が引く。指先まで、細かく震えた。これが、俺が選んだ選択の結果なのか?



アリスは、そんな俺の様子をじっと観察している。自分の運命を告げているのに、アリスは表情を変えない。変えられない、そう思った。



それでも、唇が微かに震えるのを、俺は見逃さなかった。



恐怖を振り払うように、俺は一歩踏み出し、アリスの冷たい手を掴んだ。



彼女の肩が、びくりと震える。



「それでも、俺はお前を消させたりしない」



俺は、震える彼女の手を強く握りしめた。まっすぐ見つめて告げる。



「絶対に、守るから」



理屈じゃない。確率でもない。これは、俺の決意だ。



その瞬間、アリスの瞳が大きく見開かれた。彼女のシステムが、俺の言葉と、握られた手の温もりから、論理では解析できない膨大なデータを受け取っている。



そして。



彼女の口元に、本当に微かな、でも、これまで見たどの笑顔よりも自然な笑みが浮かんだ。それは一瞬で消えてしまったけれど、俺の心にはっきりと焼き付いた。



その時、静寂を破って、俺のスマホが震えた。ポケットから取り出すと、画面には『隼人』の文字。



一瞬、電話に出るのをためらった。



「……もしもし」



『おー、健太! やっと出た。お前、大丈夫か? 講義終わってから姿見えねぇし、カバン置きっぱだぞ』



隼人のいつもと変わらない、軽い口調がやけに遠くに聞こえる。



「あ、ああ……わりぃ。ちょっと急用ができて」



『ふーん? ま、カバンは預かっといてやるよ。つーか、なんかあったろ。声、変だぞ』



親友の鋭い指摘に、胸がどきりとした。本当のことを、言えるはずがない。



「……なんでもないよ。また明日、連絡する」



『そか。まあ、無理すんなよ』



通話を切り、スマホを握りしめる。短い会話だったのに、胸に、ずしりと重い疲労がのしかかる。



隼人との間にも、見えない壁ができてしまった。俺は、もう昨日までの俺じゃない。日常から切り離されていく孤独が、俺の肩に重くのしかかる。



アリスにベッドを貸し、俺は床に毛布を敷いて横になった。彼女はシステムを休ませるため、目を閉じていた。



電気を消した部屋に、窓から差し込む月明かりだけが、二人の影をぼんやりと映し出す。



もう何も考えたくなかった。ただ、眠ってしまいたかった。



意識が途切れかけた、その時。



「健太くん」



微かな声が、暗闇に響いた。



見上げると、アリスがベッドの上で半身を起こし、俺を見下ろしていた。月明かりに照らされたその瞳は、これまで見たことがないほど真剣な光を宿している。



「もし私が……」



彼女は一度、言葉を切り、そして、続けた。



「私が本気で『人間になりたい』と望んだら……あなたは、どうしますか?」

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