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俺の彼女は人工知能(AI)でした。  作者: おぷっち


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9/17

偽りの平穏、影の足音

大学の最終講義が終わるチャイムが、解放感と共に鳴り響く。ノートを片付ける学生たちの喧騒の中、俺は隣の席のアリスに声をかけた。昨日からの不安が胸の奥に澱のように溜まっているが、それを悟られないように、努めて明るく。

「アリス、今日、寄り道しないか?」



昨日の約束だ。アリスは俺の言葉にぴたりと動きを止め、数秒間、完璧な顔立ちを無表情に保った。これが彼女の思考時間。



「提案を受理します。昨日アクティブ化したフローに基づき、50%の確率で肯定応答が選択されました」

「そ、そうか。良かった」



確率論でデートの誘いが決まるのはどうかと思うが、今は彼女が隣にいてくれるだけでいい。俺たちは連れ立って大学の門を出た。いつもなら駅に直行するところを、今日は逆方向、昔ながらの商店街へと足を向ける。



夕暮れ時の商店街は、惣菜屋の匂いや威勢のいい呼び込みの声で活気に満ちていた。この非効率な、目的のない時間が、今は何より大切に思えた。



「こういう、ただ歩くだけの時間ってのも、悪くないだろ?」

「はい。健太くんとの非論理的行動は、新たなデータ取得の機会となります。現に今、私のプロセッサ負荷は通常時より3%上昇しています」



その言葉に苦笑しながらも、俺は小さなクレープ屋の前で足を止めた。甘い香りが鼻をくすぐる。

「クレープ、食べないか? 俺のおごり」

「クレープ。主要栄養素は炭水化物と脂質。コストパフォーマンスを考慮すると…」

「そういうのじゃなくてさ」俺は笑って分析を遮る。「食べたいか、食べたくないか、だよ」



アリスはきょとんとした顔で俺とメニューを交互に見比べた。その仕草が、少しだけ人間らしくて、胸が温かくなる。

「……では、健太くんと同じものを」

「よしきた。チョコバナナクリーム二つ!」



受け取った温かいクレープを頬張りながら、二人で雑踏の中を歩く。アリスは小さな口で、ぎこちなくクリームを舐めている。その姿を見ているだけで、昨夜からの不安が少しだけ和らぐ気がした。この平穏が、ずっと続けばいいのに。



そう思った矢先だった。



人混みの向こう、見覚えのある黒いスーツが視界の端をよぎった。心臓が嫌な音を立てて跳ねる。一人じゃない。通りの向かい側、雑貨屋の店先、路地の入り口。昨日と同じ、サングラスをかけた男たちが、複数。



彼らは客を装いながら、明らかに連携して、俺たちを囲むように距離を詰めてくる。



ぞわり、と背筋に冷たいものが走った。これはただの監視じゃない。直感が警鐘を鳴らす。俺は無意識に足を止め、隣のアリスを見た。彼女はクレープから顔を上げ、静かに周囲を見渡している。



「健太くん、状況に変化が発生しました」



アリスは冷静な声で言うと、持っていたタブレットを一瞬で起動させた。画面には商店街の簡易マップが表示され、複数の赤い点が俺たちを包囲するように動いている。監視カメラの映像をハッキングしたのだろう。



「彼らは正規の監視者ではありません。使用している通信機器の周波数が、プロメテウス・ラボの公式なものとは異なるパターンを示しています。目的は…」



アリスの言葉が途切れる。その時、前から歩いてきた男が、わざとらしく俺の肩にぶつかってきた。

「おっと、すまねぇな」

舌打ちをして男が去る。その一瞬の隙に、背後に別の男の気配が迫るのを感じた。これは、誘導されている。追い詰められている。



血の気が引いていくのが分かった。手の中のクレープが、急に重たい塊になった。甘い香りが嘘のように遠のいていく。



「警告」アリスの声が、耳元で冷たく響く。「彼らの目的は『実証個体アリスの鹵獲』である可能性が極めて高いと分析されます。現時点での私たちの逃走成功確率は17%と算出されます」



17%。絶望的な数字が頭を殴りつける。

アリスは続ける。その声に、感情はない。

「ですが、健太くんは民間人です。あなたは投降すれば、危害は加えられません。それが、あなたの生存確率を最大化する選択です」



見捨てろ、と。アリスは、そう言っているのか。

恐怖で足が震える。膝が笑う。逃げ出したい。でも、隣にいるアリスを置いて? この手を、離して?



冗談じゃない。



「うるさい!」



気づけば、俺は叫んでいた。



「確率なんてどうでもいい! 逃げるぞ、アリス!」



恐怖で冷たくなったアリスの手を、俺はありったけの力で握りしめた。彼女の驚いたような顔が見える。



「俺が、お前を守るから!」



俺は走り出した。アリスの算出した最適ルートとは真逆の、一番人が密集しているタイムセールの人だかりの中へ。持っていたクレープが手から滑り落ち、地面に無残な染みを作ったのが見えた。



人波をかき分け、謝りながら、ただ前へ。後ろから追っ手の怒声が聞こえる。

「健太くん!」

「信じろ!」



俺の無謀な行動は、しかし、追跡者たちの予測を裏切ったらしい。混乱した彼らの動きが一瞬鈍る。

握った手の中から、アリスの透き通るような声が響いた。



「了解。ルートを再計算。次の角を右。3秒後、配送トラックが通過します。その影に隠れてください!」



言われた通りに角を曲がると、巨大なトラックが目の前を横切る。その死角に飛び込み、息を殺す。追っ手の足音が、俺たちに気づかず通り過ぎていく。

俺たちは路地を抜け、裏道を走り、息も絶え絶えに駅のホームへと滑り込んだ。



ホームの雑踏に紛れ、俺たちは壁に背を預けて荒い息を繰り返す。繋いだままの手が、互いの汗と震えを伝えていた。

もう大丈夫だ。でも、もう、あの穏やかな日常には戻れない。

アリスの存在が、俺の想像を遥かに超えた危険と隣り合わせなのだと、全身で理解した。



やがて来た電車に乗り込み、ドアが閉まる。ようやく安堵の息をついた俺に、隣のアリスが静かに問いかけた。



「健太くん」



その声は、いつものように平坦だった。けれど、どこか違う響きを含んでいるように聞こえた。



「先ほどの私の分析では、あなたが私を見捨てることが最も生存確率の高い選択でした。なぜ、そうしなかったのですか?」



その問いは、俺がたった今、踏み出したばかりの覚悟の真価を、静かに問いただすものだった。

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