第5話 甘い香り
何かの匂いが鼻をついた。甘いキャンディのような、花の蜜のような香り。
目を覚ますと、わたしは独りだった。ドアは開きっぱなしで、深夜の冷たい風と月光が差し込んでいた。
「ルチア....エクサ....どこ?」
2人の姿がない。寝起きのふらふらとした意識の中で、ベッドに置かれた手が濡れているのがわかった。
床には銀色に光る刃物が転がっていて、暗がりで見てもわかるその嫌な感触。
「死....」
....血であった。
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少し離れた街の教会は夜中にも関わらず、重なるいくつもの足音に床は軋む。突然の来客に慌てていた。
白髪の神父は何人もの若い司祭を引き連れて、絢爛に飾られたイルミニャス像の前でルチアに尋ねる。
「この子が本当に....?」
「ええ。“エクサ・ベヒトルスハイム”と名乗っていたの....」
神父は血の滲んだ白い布を剥がし、その顔に蝋燭の光を当てた。
首には複数の掻き切られた後がついており、息の止まった少女の顔をじっと見た。
「間違いない、エクサ嬢だ」
周りの若い司祭らはその言葉に愕然とし、騒ぎ出した。
「静かに」
神父は額に汗を流したまま続ける。
「亡霊レヴナントだ....わかっている、前代未聞だ。だが間違いない、断言する。」
「....聖典の方法にのっとり“焼却”の準備を今すぐに」
そう言うと弟子たちのほとんどが教会の裏へと走っていき、残った神父は落ち着いた声色でルチアに問う。
「なぜ、あなたのお家にエクサ嬢が?」
「わたしの....あ、いえ....」
「ゆっくりで構わない」
「革命の恨みつらみでしょう....あの一家の怨念としか、思えません」
「....わかった」
神父はルチアの言葉を聞いてから、数歩先で準備を指示していた一人の司祭に言う。
「“聖域”に連絡を入れてくれ、今すぐにだ....そして、このことはあの女には黙っていろ」
「はい」
そして1、2分ほどで“焼却”の舞台は整えられた。
火の灯っていない蝋燭に囲まれた一つの金属の棺。ルチアの背後を囲うように並ぶ司祭たちに神父は言う。
「この棺にエクサ嬢を」
ルチアは少女を抱えたまま、一歩二歩と前に進む。息が詰まるような静けさに包まれる。
棺の前に来たところで、彼女をゆっくりと下ろす。次に隣にいた神父はエクサに白い布の頭巾を被せて、懐から鉄製のボトルを取り出した。
栓を手で抜いて、棺の中で横たわるエクサに透明な液体を満遍なく散らした。
「神聖な油だ、確実に浄化されるように」
それが終わるとルチアは一人の司祭から火のついた蝋燭を渡される。
「直接“それ”を殺したのはあなたです。ルチアさんが火をつけてください」
「ええ」
そこで一つの声がした。
――「ねえ...! 何してるの、ルチア!」
彼女が振り返ると、走ってきたのだろうか。息を上がらせたミントが立っていた。
「ミント....」
彼女の口の中で二対に尖る歯を見た司祭たちは驚き、がやがやと騒ぎ出した。
――「その歯、ヴァンパイアか?!」
――「いいや、猫の耳だ!イルミニャス様と同じ....」
――「どういうことなんだ!」
そして止む気配のない雑音を取り払うかのように、一つの音がした。
銃声。神父は懐にしまっていた拳銃を発射していた。ミントの左肩を貫き、彼女はあまりにも鋭く重い衝撃で後方に倒れた。
愕然と静まり返る教会で、神父は気だるげに言う。
「やっぱり、蘇らせた張本人が来たか」




