第八十六環 「決戦配置」
——朝。魔王城・会議室。
リリスは立ったまま会議室にいる全員を見渡した。
白銀の髪が、肩の上で揺れる。
深紅の瞳にはもはや、迷いの色はなかった。
「侵攻開始は、三日後」
その言葉に、会議室の空気が一瞬で張り詰める。
「それまでに全員、戦いの準備を終わらせなさい」
短い。
だが、それは、魔王による絶対の宣告だった。
残された時間は、僅か三日。
その間に四聖剣との戦いへ備え、軍の配置を決め、人界の王を討つための準備を、全て終わらせなければならない。
リリスの視線が、まずルシアへ向けられた。
「ルシア。あんたには——第一席、ダッカを任せる」
「……苦痛を転写する男ね」
「ええ。受けた痛みを相手へ返す以上、下手に攻撃すれば、自分の攻撃で自分を追い詰めることになる」
単純な火力だけで戦えば、ダッカの能力によって全てを返される。
だが、ルシアには、攻撃魔術だけではなく、十二重結界を操る精密な技術がある。
「遠距離魔術と結界を組み合わせて、能力の仕組みを見極めなさい。あんたなら、直接触れずに攻略できる可能性がある」
「——当然よ」
ルシアは、挑むような笑みを浮かべた。
「魔界最強の魔導師を舐めないでもらいたいわね」
リリスは短く頷くと、次にシエラへ視線を移した。
「シエラ。あんたは第三席、メツ・ニローダ」
その名が告げられた瞬間、会議室の空気が、僅かに冷えた。
魔王城へ単身侵入し、十一人の命を奪った男。
白銀の鎌、静寂鎌
その刃に傷つけられた者は、肉体だけでなく存在そのものを削り取られる。
レイラを消滅寸前まで追い込み、仲間たちの記憶からも奪い去った相手。
シエラの青い瞳から普段の明るさが消えた。
「……あいつか」
「ええ。寂滅は、まともに受けた時点で致命傷になる。どれほど肉体が頑丈でも、存在そのものを削られれば意味がない」
竜族の強靭な鱗も。
強力な再生能力も。
存在そのものを侵食する攻撃に対しては、完全な防御にならない。
「だから、触れさせない」
リリスの深紅の瞳が、真っ直ぐにシエラを捉える。
「メツの攻撃は強力だけど、鎌が届かなければ意味を持たない。竜族最速のあんたなら、奴の間合いへ入らずに戦える」
「空から竜炎を撃ち込む」
シエラが、リリスの意図を理解した。
「近づかれても、速度で振り切る。あいつの鎌に触れずに遠距離から焼き尽くすってことね」
「そういうこと」
メツがどれほど鋭い斬撃を放とうと、攻撃には必ず軌道が存在する。
その軌道を見切り、絶対に接触しない。
空と地上を高速で往復しながら、射程外から竜炎を浴びせ続ける。
「まともに戦おうとしないこと。奴に一度でも触れられれば、あんたでも無事では済まない」
「……分かってる」
シエラは一度だけ、レイラへ視線を向けた。
自分たちの記憶から、一度は奪われた仲間。
その存在を消そうとした男。
青い瞳の奥で、静かな怒りが燃え上がる。
「絶対に触れさせない」
シエラの背中で、黒い竜翼が僅かに開いた。
「私の速度に追いつけないまま焼き尽くしてやる」
続いて、リリスの視線がクオンへ向けられる。
「クオン。あんたは——第二席、シュウ・ザムダ」
「……欲望の増幅か」
「あらゆる欲望と衝動を膨れ上がらせ、理性を奪う能力よ」
クオンは胸の前で腕を組み、僅かに目を細めた。
鬼族が生まれながらに抱えている、破壊への衝動。
強者と戦いたいという欲求。
起源回帰によって目覚める、全てを殴り壊そうとする闘争本能。
シュウ・ザムダの力を受ければ、それら全てが、制御できないほど増幅される可能性がある。
「相性は悪いんじゃない?」
ルシアが、不安そうにクオンを見た。
「クオンの戦闘欲を増幅されたら、敵味方の区別がつかなくなるかもしれないわよ」
「だからこそ、クオンに任せる」
リリスは迷うことなく答えた。
「欲望を隠し、抑え込んでいる相手ほど、増幅された時に自分を見失う」
だが、クオンは違う。
自分が戦いを好んでいることも。
強者を求めていることも。
その拳で、全てを打ち砕きたいと願っていることも。
最初から、一度も否定していない。
「クオンは、自分の欲望が何なのかを理解している」
リリスの唇が、僅かに吊り上がった。
「なら、増幅されたところで、その矛先を間違えなければいい」
「……なるほど」
クオンの瞳が鋭く細められる。
「戦いたいという欲望を、奴自身へ向ける」
「あんたの衝動を利用しようとしたことを後悔させてやりなさい」
「ああ」
クオンは拳を握り骨を鳴らした。
「どれほど欲望を増やされても、殴る相手は変わらない」
低い声に揺るぎない自信が宿る。
「シュウ・ザムダだけを殴って終わらせる」
リリスの視線が最後に、レイラへ向く。
「レイラ。あんたは——第四席、ドゥ・マーガ」
「……未来固定」
レイラが、小さく呟いた。
敵が選んだ未来を固定しその結果へ現実を収束させる能力。
攻撃が当たる未来を固定されれば、どれほど回避しようとしても最後には、その一撃を受ける結果へ導かれる。
「確定した未来に抗うには、相手が何を現実として認識しているかを、崩す必要がある」
「……だから、私の幻術」
「そういうこと。偽りの未来を見せ、本物の未来を選ばせない」
リリスの深紅の瞳が、レイラの緑色の瞳を捉える。
「未来を固定する相手に対して、認識そのものを操るあんたは最も相性がいい」
レイラは、自分の指先へ一度だけ視線を落とした。
存在は、まだ完全に安定していない。
それでも、逃げるという選択肢はなかった。
「……分かった」
顔を上げた時、緑色の瞳には四座としての決意が宿っていた。
「その未来ごと騙してみせる」
そして。リリスの視線が零へ向けられた。
「第五席と人界の王」
深紅の瞳が零だけを映す。
「この二人は、私と零で潰す」
零は、黙って続きを待った。
「基本的には私とあんたの二人で、王を叩く」
リリスの指先が、地図に描かれた王城へ触れる。
「ただし、第五席が現れた場合、私がそいつを引き受ける。零は王だけに集中しなさい」
第五席の正体も、能力も分からない。
だからこそ、現れた瞬間にリリスが押さえる。
「逆に、第五席が最後まで動かなければ、私も王との戦いに加わる」
深紅の瞳が、鋭い光を宿した。
「二対一で、叩き潰す」
零は静かに頷いた。
「分かった」
役割は決まった。
ルシアはダッカ。
シエラはメツ・ニローダ。
クオンはシュウ・ザムダ。
レイラはドゥ・マーガ。
そして、零とリリスは第五席と人界の王、アルトリウス。
四聖剣との全面戦争へ向けた配置が、少しずつ形になっていく。
「それと——」
リリスは上座から離れると、長いテーブルの脇を歩き零の前で足を止めた。
距離が近い。
揺れる白銀の髪から、微かな香りが漂う。
深紅の瞳が零の金色の瞳を、真っ直ぐに見上げた。
「これから三日間、私が直接あんたを鍛える」
「リリスが?」
「ええ」
細い指先が、零の胸元へ突きつけられる。
「怒りを制御するための訓練よ」
王を前にしても、復讐心に思考を奪われない。
概念操作の精度を落とさず、怒りを純粋な力へ変換する。
「その方法を、三日間で徹底的に叩き込む」
リリスの口元に挑発的な笑みが浮かんだ。
「覚悟しておきなさい」
深紅の瞳が、楽しげに細められる。
「私の訓練、四天王たちより甘くないわよ」
「——ちょっと待ってください!」
ルシアが真っ先に声を上げた。
「魔王様が直接って、どういうことですか!?」
「……三日間、二人きり?」
シエラが、疑うように目を細める。
クオンは何も言わなかった。
だが、金色の瞳は、じっとリリスへ向けられている。
「ふぅん……」
レイラも僅かに目を細め、探るような視線をリリスへ送った。
四座の視線が一斉に魔王へ集中する。
それぞれの表情には、任務への懸念とは明らかに異なる感情が滲んでいた。
嫉妬。
警戒。
そして、自分たちだけが置いていかれることへの、不満。
だが、リリスは振り返りもしなかった。
零の前に立ったまま、背後の四人へ冷たく問いかける。
「何?」
白銀の髪が、僅かに揺れた。
「文句でもあるの?」
「…………」
沈黙。
四人とも不満はある。
だが、誰一人として、魔王へ正面から逆らうことはできなかった。




