第八十四環 「失敗作という名の餌」
——朝。魔王城・会議室。
引きずり出す、零は、自ら口にした言葉を胸の内で反芻した。
会議室にいる全員の視線が零へ集まっている。
リリスは上座で頬杖をつき、深紅の瞳を向けたままその続きを待っていた。
零は地図へ視線を落とし、王城を囲む三本の城壁に沿って指を走らせる。
「あの王は、防衛に特化した布陣を敷いている」
三重の城壁。
飛行能力を無効化する上空の結界。
侵入者の認識へ干渉する、第三城壁の術式。
そして人界最高峰の戦力である四聖剣。
「全てが、『攻めてくる敵を迎え撃つ』ことを前提に組まれてる」
零の指が王城から離れ、その周辺に点在する都市を示した。
「だが、逆に言えば、あの王が最も強いのは、王城にいる時だ」
全員の視線が、零の指先を追う。
「精神干渉も、飛行無効化も、効果が及ぶのは王城を中心とした一定の範囲だけ。斥候の報告でも、王都から離れた場所では、何の干渉も受けていない」
「……つまり、城の外へ出させればいい」
クオンの言葉に零は頷いた。
「ああ。だが、あの王は臆病だ。自分が有利な場所から出る理由がなければ、絶対に動かない」
人界の王は自分の力を過信している。
それでも、決して無謀ではない。
自分にとって最も有利な環境を作り、その中で敵を待ち構える。
勝利を確信できる状況でしか、自ら戦場へ立とうとはしない男だった。
「だから、城から出なければならない理由を、こちらで作る」
零の金色の瞳が冷たく光った。
「人界には、王城以外にも主要な拠点がある」
食糧と物資を王都へ供給する都市。
兵士を育成する訓練施設。
神装の解析と開発を行う研究所。
そして各地の人間を支配し、王都へ従わせるための中枢施設。
「あの王が築いた『支配構造』を支えている場所だ」
「……それを潰す」
レイラが地図に点在する拠点へ目を向けた。
「王が無視できないところまで」
「そうだ」
零の指が拠点の一つを叩く。
「一つや二つなら、切り捨てるかもしれない。だが、複数の拠点を同時に攻撃し、王の支配基盤そのものを揺るがせば、無視できなくなる」
王都へ集められる食糧と武器が止まる。
新たな兵士を補充できなくなる。
神装の研究施設が失われる。
各地を支配するための命令系統も寸断されていく。
「全てを王城へ集め、城壁の内側に閉じ籠もっているだけでは、人界そのものを維持できなくなる」
「……その混乱を利用して、四聖剣を分散させるってこと?」
ルシアの問いに零は頷いた。
「ああ。四聖剣が全員、王城に集まっている状態で正面から攻め込めば自殺行為だ」
四聖剣の一人ひとりが、四座それぞれに匹敵する。
ただでさえ城壁と結界によって消耗させられるうえに、四人を同時に相手取ることになれば勝機は限りなく薄い。
「だが、複数の重要拠点が同時に攻撃を受ければ、王は四聖剣を各地へ派遣せざるを得なくなる」
零の指が地図の上を続けて叩いた。
北部。
東部。
南部。
西部。
それぞれ、王城から離れた場所にある重要拠点。
四聖剣を一人ずつ別の戦場へ誘導できれば王城の守りは崩れる。
「四聖剣が散った瞬間、本命が動く」
「……本命って、手薄になった王城への突入?」
シエラが尋ねる。
だが、零は静かに首を横へ振った。
「違う」
指先が、王城そのものではなくその外側にある平野へ移る。
「本命は——王そのものだ」
零の声が低く沈んだ。
「四聖剣を各地へ散らしたうえで、王を城の外へ引きずり出す」
「でも——」
ルシアが眉を寄せた。
「主要な拠点をいくつ潰したところで、王本人が出てくるとは限らないんじゃない? 四聖剣と兵士だけを派遣して、自分は王城に残る可能性もある」
「その通りだ」
零も最初から、その可能性を理解していた。
重要な拠点を攻撃するだけでは、四聖剣を分散させることはできても、王本人まで動かすには足りない。
「だから、王が絶対に無視できない餌を用意する」
会議室へ沈黙が落ちた。
誰も、すぐには口を開かなかった。
だが全員が気づいていた。
零が、何を言おうとしているのか。
リリスの深紅の瞳が僅かに細められる。
「……あんた自身ってこと?」
零は迷うことなく頷いた。
「あの王は、俺を失敗作だと思っている」
召喚した異世界人。
神装を覚醒させるために、妹を目の前で殺した。
それでも、完全に支配することができなかった、唯一の存在。
「神装を覚醒させながら、制御下に置けなかった。俺が今も生きていること自体があの王にとっては汚点だ」
金色の瞳に暗い炎が宿った。
「それに、俺の神装——夢幻抱擁」
零の右手首で、腕輪が鈍い光を放つ。
「あの王は、これを回収したいはずだ。神装同士の相性を、誰よりも理解している」
「永劫支配へ対抗できる神装だから」
リリスの言葉に、零は頷いた。
「ああ」
夢幻抱擁は支配を拒む力。
あらゆる力を取り込み、循環させ、自らのものへ変える神装。
王にとって零は、支配できなかった失敗作であると同時に、決して放置できない脅威だった。
「俺が魔族側についたと知れば、あの王は無視できない」
零の指が地図に描かれた平野を叩いた。
「だから、俺が表に出る」
魔族による同時侵攻。
王の支配拠点が次々と襲撃される、その中心に零がいると知らせる。
「魔王軍の侵攻の先頭に、俺が立つ」
そして、王へ見せつける。
かつて逃がした失敗作が。
支配できなかった神装の使い手が。
今度は魔王軍を率い、自分を殺すために戻ってきたのだと。
「あの王に、分からせるんだ」
零は、王城を見据えるように地図へ視線を落とした。
「逃がした失敗作が、今度はお前を殺しに来たってな」
零の宣言が会議室へ重く落ちた。
誰も、すぐには言葉を発することができなかった。
王を城外へ引きずり出すため、自らその姿を晒す。
それが何を意味するのかこの場にいる全員が理解していた。
「——っ! あんた、自分が囮になるって言ってるの!?」
ルシアが勢いよく立ち上がった。
弾き飛ばされた椅子が大きな音を立てて、床へ倒れる。
真紅の瞳が、怒りと恐怖で揺れていた。
「王があんたを狙ってるって分かってるのに、自分から姿を晒すつもり!? そんなの——」
「……零。それは——」
シエラの声が珍しく震えていた。
番である零が危険な場所へ向かう。
その事実に、竜としての本能が強く反応している。
今すぐ作戦を否定し、零をこの場から遠ざけたい。
そんな衝動を堪えるように、シエラの両手が膝の上で固く握られていた。
「……囮ではない」
静かな声が二人の言葉を遮った。
クオンだけが、席を立つことなく冷静に零を見据えていた。
金色の瞳には、迷いも動揺も浮かんでいない。
「零は本気で王を殺すつもりだ」
低い声が、会議室へ響く。
「敵を引きつけ、ほかの者に倒させるための囮ではない。王を誘い出し、自分で殺す」
クオンの視線が零の金色の瞳と重なった。
「お前自身が本命なのだろう」
零は躊躇うことなく頷いた。
「ああ」
王を誘い出すだけではない。
その先で、誰かに任せるつもりもない。
「俺があの王を殺す」
零の声には、僅かな揺らぎもなかった。
「それは、最初から変わらない」
一華を殺された、あの日から。
魔王城で力を磨き続けた十七日間。
どれほど仲間が増えても。
守りたいと思える者たちができても。
胸の奥で燃え続けている復讐の炎だけは、一度も消えていない。
ルシアが何かを言い返そうとする。
だが、その前にリリスが口を開いた。
「……作戦としては、理にかなってる」
ルシアが驚いたように振り返る。
「魔王様!?」
「最後まで聞きなさい」
リリスは頬杖を解き、椅子の背へ身体を預けた。
深紅の瞳は、零から逸らされない。
「王城の防備を正面から突破するより、四聖剣を分散させたうえで王を城外へ誘い出す方が、こちらの損害は少ない」
第一城壁と第二城壁の間には、多くの民間人が暮らしている。
王城を正面から攻めれば、魔王軍だけでなく戦いに関係のない者たちまで巻き込むことになる。
王と四聖剣を城外へ誘導できれば、その被害も抑えられる。
「零が餌として最も効果的なのも事実。王にとって、夢幻抱擁は決して放置できない神装でしょうからね」
リリスはそこで言葉を切った。
「でも、この作戦には穴がある」
深紅の瞳が、鋭く細められる。
「まず、四聖剣を各地へ分散させたとして、王の傍に誰が残るのか」
地図に描かれた王城へ、指先を置く。
「確認されているのは、第一席から第四席までの四人。だけど第五席が存在は忘れてはいけない」
零の表情が僅かに変わった。
王が隠し持つ、最後の一人。
その正体も、能力も現時点では何一つ分かっていない。
ほかの四人を各地へ誘導できたとしても、第五席だけが王の傍に残れば零は王と第五席を同時に相手取ることになる。
「それと、もう一つ」
リリスの指が、地図から離れた。
深紅の瞳が零の内側まで見透かそうとするように、真っ直ぐ射抜く。
「あんたが、あの王と向き合った時」
会議室を張り詰めた静寂が包んだ。
「最後まで、冷静でいられる保証はあるの?」




