第八十三環 「難攻不落の王城」
「……死んだか」
クオンが低い声で呟いた。
「分からない」
リリスは静かに首を横へ振る。
「殺されているなら、まだ対処はしやすい。問題は、生きている場合よ」
シエラの青い瞳が僅かに細められた。
「……あの王の神装。精神支配か」
「そう。捕らえられ、中身を書き換えられたうえで——こちらへ返される可能性がある」
リリスの指が、人界と魔界を隔てる国境をなぞる。
「斥候には、作戦の詳細まで伝えていない。だから、人界攻略の全容が漏れる心配はない。だけど、魔王軍に所属する者たちの顔や名前は知られる」
「……最悪、間者として送り返されるってこと?」
ルシアの問いにリリスは僅かに目を伏せた。
「それだけじゃない」
全員の視線が、再びリリスへ集まる。
「あの王の力は生物そのものを作り変える。外見も、記憶も、人格も。私たちが知る本人と、完璧に同じ姿へ」
重い沈黙が会議室へ落ちた。
「……つまり」
レイラが、テーブルの上で両手を組む。
「帰ってきた二十四組も全員が本物とは限らない」
リリスは静かに頷いた。
「可能性は低い。でも、ゼロではない」
零は、黙って話を聞いていた。
金色の瞳が暗く沈んでいる。
あの王が持つ力を、零は知っている。
誰よりもその身をもって。
一華をあの兵士たちへ差し出した。
妹の尊厳も、命も。
全ては、零の神装を覚醒させるためのただの「装置」として利用された。
人の心を壊し。
身体を作り変え。
その命さえも、自らの目的を果たすための道具にする。
——それが、人界の王アルトリウス。
零の拳が膝の上で、白くなるほど強く握り締められた。
「……可能性がある、じゃない」
低い声が、会議室へ落ちる。
怒鳴っているわけではない。
むしろ、そこからは、感情らしい起伏が消えていた。
煮え滾る憎悪を無理やり押し殺した、冷たく平坦な声。
「あの王なら……やる」
短い言葉だった。
だが、その場にいる全員がそこに込められた確信と憎悪を感じ取っていた。
リリスは、僅かに目を伏せる。
「……ええ。私もそう思う」
そして再び、全員へ視線を巡らせた。
「だから、人界攻略の詳細はこの場にいる六人以外には、一切伝えない」
リリスの指先が、斥候たちの報告書へ触れる。
「二十四組が持ち帰った情報についても、全てをそのまま信用することはできない。複数の報告を照合して食い違いがないか、もう一度精査する必要がある」
仮に一組だけが敵の手に落ちていたとしてもその一組が持ち帰った偽の情報によって、軍全体を罠へ誘導される危険がある。
城壁の高さ。
兵士の配置。
門の位置。
衛兵が交代する時間。
そのうち一つでも偽りが混ざっていれば侵攻作戦は、根底から崩れかねない。
「それと、帰還していない一組が戻った場合、二人とも即座に隔離する」
リリスの深紅の瞳がレイラへ向けられた。
「レイラ。あんたの幻術で、精神を書き換えられていないか確認できる?」
レイラは僅かに考え込んだ後静かに頷いた。
「……精神の深層まで読めば、分かると思う」
組んでいた指を解き、自分のこめかみへ触れる。
「記憶や人格をどれだけ精巧に作り変えても、元からあったものを完全に消すことはできない。どこかに必ず、改竄した痕跡が残る」
「見つけられる?」
「……うん」
レイラの緑色の瞳が、真っ直ぐにリリスを見返した。
「どれだけ上手く隠しても継ぎ目は必ずある。私なら、見つけられる」
その声には、昨日までの不安定さが僅かに残っていた。
それでも、四天王として自分に与えられた役目から、目を逸らすことはなかった。
リリスは、短く頷く。
「頼んだわ」
「……任せて」
未帰還の二人が、いつ戻ってくるかは分からない。
そもそも、生きているという保証すらない。
それでも、備えておく必要がある。
王の力を知っているからこそ最悪の可能性を、決して見落としてはならない。
リリスは斥候に関する報告書を脇へ退けると、テーブルの中央へ、大きな地図を広げた。
描かれているのは、人界の王都。
その中心には、巨大な王城が聳え立っている。
全員の視線が、地図の中央へ集まった。
リリスは上座から五人を見渡すと、静かに告げた。
「——それじゃあ、本題に入るわ」
深紅の瞳が鋭く細められる。
「人界攻略」
指先が、地図に描かれた王城を叩いた。
「その方針を、今から決めるわよ」
「ああ」
零の声が会議室へ静かに響いた。
決して大きな声ではない。
だが、その一言には揺るがない意志が込められていた。
リリスは短く頷くと、テーブルに広げた地図を指で示した。
斥候二十四組が持ち帰った情報を基に作成された人界の王都と王城の見取り図。
複数の報告を照合しているため、大まかな構造については信頼できる。
「まずは、斥候が持ち帰った情報を整理するわ。ルシア」
「ええ」
ルシアが席を立ち、地図の横に積まれていた資料を広げる。
紙面には斥候たちから聞き取った情報が、几帳面な文字で項目ごとに纏められていた。
「最初に、王城の構造から説明するわ」
ルシアの指が、地図に描かれた三本の線を順番になぞる。
「王城を守る外壁は三重。外側から、第一城壁、第二城壁、第三城壁。それぞれに衛兵が配置されている」
最も外側にある城壁を指し示す。
「第一城壁の兵数は、およそ三百。第二城壁は百五十。ただし、これは斥候が目視できた範囲での推定よ。建物内に待機している兵士まで含めれば、実際は、もう少し多い可能性がある」
指先が王城を囲む、最も内側の線へ移る。
「第三城壁。王の居城を囲む最内壁については兵数不明。斥候は、誰一人として近づけなかった」
「近づけなかった?」
シエラが眉を寄せる。
「うちの斥候が?」
「……ええ」
ルシアは資料へ視線を落とした。
「第三城壁の周囲には、何らかの結界が張られている。近づこうとした者は途中から認識が曖昧になったらしいわ」
「認識が?」
「本人たちに、引き返した記憶はない。第三城壁へ向かっていたはずなのに気がついた時には、離れた場所まで戻っていたそうよ」
零の金色の瞳が鋭く細められた。
「……精神干渉系の結界か」
地図に描かれた第三城壁を見据える。
「あの王の神装——《永劫支配》(エターナルレガリア)の応用だろう。近づこうとする者の意識へ干渉し、本人にも気づかせないまま追い返している」
「……私の幻術と似た原理」
レイラが第三城壁の周囲へ視線を落とした。
「でも、規模が桁違い。城壁一つを丸ごと覆って、近づく人間全員の認識へ常に干渉してる」
緑色の瞳が僅かに揺れる。
「術者本人が維持しているのか。それとも——」
「——仕掛けだ」
零が断言した。
全員の視線が一斉に集まる。
「あの王は、神装の力を術式として建物や地面に刻み込む。一度設定すれば本人がその場にいなくても、術式は発動し続ける」
零の脳裏に人界の王城で過ごした日々が蘇る。
「俺が城にいた頃、兵舎にも似た仕掛けがあった」
「兵舎に?」
「ああ。兵士たちが王へ逆らう思考を持てないようにする、思考制限の術式だ」
自分たちが支配されていることすら、兵士たちは認識できない。
王へ忠誠を誓うことを、自分自身の意思だと信じ込まされていた。
仮に僅かな疑問や反抗心が生まれたとしても、術式がその思考を即座に消し去る。
「……なら、王が死なない限り解除されないのか」
クオンの問いに零は頷いた。
「ああ。術式の核を破壊できれば別だが、どこにあるか分からない以上、王を殺すのが一番確実だ」
ただし、突破する方法がないわけではない。
零は、自分の胸元を指差した。
「精神干渉への耐性がある者なら、結界の影響へ抵抗できる可能性がある」
リリスの深紅の瞳が、零へ向けられた。
「あんたは?」
「俺は、あの王の精神操作を受けながら、それでも正気を保った」
完全に無効化できたわけではない。
身体の自由を奪われ、何もできずに一華が殺される光景を見せつけられた。
それでも、心まで支配されることはなかった。
「あの王の力を一度受けている。少なくとも、ほかの者より耐性はあるはずだ」
「……レイラは?」
リリスに問われ、レイラは僅かに考え込んだ。
「幻術師は、精神干渉に対する耐性が高い。術式の原理を理解できれば、ある程度は抵抗できる」
だが、すぐには断言しなかった。
「ただ、あれほど大規模な術式は、私も経験したことがない。正直に言うと、実際に触れてみないと分からない」
リリスはレイラの返答を聞き、短く頷いた。
「了解。無理に突破できるとは考えない方がよさそうね」
深紅の瞳が、再びルシアへ向けられる。
「続けて。第一城壁と第二城壁の間は?」
「城下町が広がっているわ。大部分が民間人の居住区。対して兵舎は第二城壁の内側へ集中している。武器庫と食糧庫も同じ」
「空からは?」
シエラが地図を覗き込みながら尋ねた。
「城壁を越えて、王城まで一気に飛べないの?」
「——それが、もう一つの問題よ」
ルシアが、別の報告書を手に取る。
「王都の上空にも結界がある。高度百メートル以上まで上昇した斥候が、全員、地上へ叩き落とされている」
シエラの表情が僅かに強張った。
「物理的な防壁?」
「違うわ。何かに衝突したわけではない」
ルシアは報告書をテーブルへ置く。
「高度百メートルを超えた瞬間、飛行能力そのものを無効化された」
「……本気? 飛行無効化?」
「三組が別々の場所から試して、三組とも、同じ報告をしている」
シエラの青い瞳から完全に眠気が消えた。
「高度百メートルを超えた瞬間、翼が動かなくなり墜落しかけた、か」
シエラの表情が険しくなった。
飛行種族にとって、翼は身体の一部だ。
それが何の前触れもなく動かなくなれば、どれほど高い飛行能力を持っていても、抗う術はない。
「……つまり、空からの強襲は使えない」
シエラが、地図に描かれた王城を睨む。
「私の最大の利点が、最初から潰されてる」
「そういうことね」
リリスは地図の上空を指先でなぞった。
「あの王は、魔族が攻め込んでくる事態を想定している。竜族をはじめとした飛行種族への対策くらい、当然、用意しているでしょうね」
シエラは悔しそうに唇を噛んだ。
空を飛べないだけなら、地上で戦えばいい。
だが、王城を取り囲む城壁を一気に飛び越えられないとなれば、魔王軍は敵が待ち構える場所を正面から進むことになる。
「……一度、まとめろ」
クオンが低い声で告げた。
「王城を囲む三重の城壁。上空は飛行無効化の結界で封鎖。最内壁には精神干渉の術式」
金色の瞳が、地図を静かに見据える。
「第一、第二城壁に配置された兵だけでも、五百近い」
第一城壁に、およそ三百。
第二城壁に、およそ百五十。
さらに、数を確認できなかった第三城壁内の兵士たち。
報告されていない待機兵まで含めれば、実際の兵力は、それを大きく上回る可能性がある。
零が地図の上を指で辿った。
冷たく光る金色の瞳が、王城を守る三本の城壁を順番に捉える。
「それだけじゃない」
全員の視線が、零へ集まった。
「王には、直属の部隊がいる」
零の指先が、王の居城を叩く。
「——四聖剣。少なくとも四人の神装使いの存在が確認されている」
会議室へ重い沈黙が落ちた。
「一人ひとりが……四座に匹敵する脅威だ」
ただ強力な神装を持っているだけではない。
王によって選ばれ、その力を最大限に引き出すための訓練を受けた、人界最高峰の戦士たち。
四人が別々の城壁を守っているだけでも、正面から突破するのは容易ではない。
もし王の居城に集結しているなら、最内壁へ辿り着いた時点で、魔王軍は複数の四聖剣を同時に相手取ることになる。
「……それで」
リリスが腕を組み、上座から全員を見渡した。
「どうする?」
深紅の瞳が最後に零へ向けられる。
「あれだけの防備を、正面から潰して進む? それとも、別の方法を考える?」
それは——零の力を試す眼差しではなかった。
人界の王城を知る者。
アルトリウスの力を、実際に受けた者。
そして、今回の戦いで、誰よりも王を殺す理由を持つ者として。
リリスは、零の意見を求めていた。
零は地図を見つめたまま、口を開く。
「……正面から攻めるのは下策だ」
迷いのない言葉だった。
「あの王は、待ち構えている時が、最も強い」
精神干渉によって、侵入者を無意識に遠ざける第三城壁。
飛行能力を無効化し、空からの侵入を封じる結界。
大量の兵士と、人界の守護者——四聖剣。
「王城にある全ての仕掛けが、防衛のために最適化されてる。何も考えず正面から踏み込めば、相手の望みどおりになるだけだ」
魔王軍がどれほど強くても、城壁を一つ突破するたびに消耗する。
その先で四聖剣と戦い、最後に、万全の状態で待ち構える王と対峙する。
それではあまりにも分が悪い。
零の指が、王城から離れた地図上の一点を叩いた。
「だから、こちらから王城へ攻め込まない」
リリスの瞳が、僅かに細められた。
ルシアたちも、零の指先へ視線を向ける。
「守りが固いなら、その守りが意味を持たない場所で戦えばいい」
零は地図から顔を上げた。
金色の瞳に冷たい光が宿る。
「王と四聖剣を——城の外へ引きずり出す」




