第六環 「魔王城の食卓」
「それじゃあ、飯、食いに行くか」
「ふっ。分かってるじゃないか」
クオンの薄橙色の瞳がわずかに輝いた。同志を見つけたとでも言わんばかりの表情だ。
「お前、話が早くて好きだ。行くぞ」
クオンが零の腕を掴み、ぐいと引っ張った。鬼族の握力は容赦がない。
「あ、私も行くー。訓練の後のご飯って最高なんだよね」
シエラが翼を畳みながら、軽い足取りで二人に続く。
「ふふ、私も紅茶くらいはいただこうかな」
レイラが緩やかに歩き出す。
「……べ、別に私はお腹空いてないし」
ルシアだけが観覧席に残り、そっぽを向いた。
しかし、全員が訓練場の出口へ向かっていくと——
「——ちょっと待ちなさいよ! 置いていくんじゃないわよ!」
慌てて立ち上がり、黒マントを翻しながら駆け寄ってくる。
◇
魔王城の食堂は、想像以上に広かった。
高い天井、黒い石造りの壁。燭台の青白い炎が揺れる中、長いテーブルには次々と料理が並べられていく。
魔界の食事は人界とは異なるものが多い。
見たこともない獣の肉。毒々しい色をした野菜。奇妙な香草。
警戒しながら口に運んでみれば——意外にも、悪くなかった。
むしろ。
「……美味い」
三皿目を平らげたクオンが、ぽつりと呟いた。
その食べっぷりは清々しいほどだった。
「ねぇ君。人界のご飯ってどんななの? こっちと全然違う?」
シエラが酒杯を片手に、好奇心を滲ませて尋ねる。
零は答えようとして——僅かに言葉を詰まらせた。
「……ん?」
シエラが酒杯を止める。
「……ふぅん」
レイラが紅茶のカップを口元に寄せたまま、零を観察していた。
「そんな顔するってことは、あんまり良いもの食べてなかったんじゃない?」
「……は? 勇者なのに?」
ルシアがフォークを置いた。
真紅の瞳に苛立ちが灯る。
「人界って勇者を召喚しておいて、まともな飯も出さないわけ?」
返事はない。
それだけで十分だった。
「意味分かんない。勝手に呼んで、使うだけ使って、食事すらまともに与えないとか——何それ。家畜以下じゃない」
「……」
クオンが咀嚼を止めた。
そして、自分の皿から大きな肉の塊を一つ取る。
それを零の皿へ無造作に置いた。
「食え」
「……」
「戦う奴が飯を食えないのは、一番駄目だ」
慰めでも同情でもない。
ただ、それだけだった。
零は皿に置かれた肉を見る。
——不思議な奴らだ。
昨日まで敵だった人間に、どうしてここまで構うのか。
「……そっか」
シエラが静かに酒杯を置く。
「まあ、ここにいる間は好きなだけ食べなよ。魔王城のご飯、量だけは無限だから」
「人界の王様、ますます会ってみたくなったわ」
レイラが微笑む。
「どんな顔で命乞いするのか——見てみたい」
その笑みが、一瞬だけ冷たく光った。
零は小さく息を吐き、クオンから渡された肉を口へ運ぶ。
温かい。
それだけのことが、妙に懐かしく感じられた。
「はい、一杯」
顔を上げると、シエラが自分の酒杯を差し出していた。
琥珀色の液体が燭台の光を受けて揺れている。
——彼女が今まで口をつけていた酒杯だ。
「ちょ——シエラ! あんたそれ自分が飲んでたやつでしょ!?」
ルシアが身を乗り出した。
「え? いいじゃん別に」
「よくない!」
「何が?」
「何がって……それは……!」
ルシアが言葉を詰まらせる。
レイラがくすりと笑った。
「あら。ルシアが一番意識してるじゃない」
「してないっ!!」
「まあまあ」
シエラが楽しそうに笑う。
「仲間になったんだし、一緒に飲もうよ。お酒、飲めないわけじゃないでしょ? 遠慮しなーいの」
「……酒より、まず飯だ」
クオンは既に四皿目に突入していた。
零は差し出された酒杯を見る。
そして、受け取り、一気に飲み干す。
喉が焼けるように熱い。
直後——猛烈な酔いが頭を揺らした。
「——っ」
だが、それも数秒。
体内へ侵入したアルコールを《神装》の力が有害物質と判断したのか、アルコールは自動で分解され、酔いは急速に薄れていった。
「……ありがとな」
酒杯を返す。
「——っ」
シエラが一瞬だけ目を見開いた。
「……あは。いいね、気持ちいい飲みっぷり」
水色の髪を耳にかけ、その長い舌で唇をなめる。そして、どこか照れを誤魔化すように笑った。
「——飲んだ!? 普通に飲んだの!?」
ルシアだけが大騒ぎしていた。
「間接キス、成立しちゃったわね」
「言うなぁっ!!」
何をそんなに騒いでいるのか。
零にはよく分からなかった。
「……ん?」
シエラが零の顔を覗き込む。
「嘘。全然酔ってない? あれ魔界の蒸留酒だよ? 竜族の私でも三杯で酔うやつ」
レイラが緑色の瞳を細めた。
「毒の減衰……なるほどね。その神装、攻撃だけじゃなくて体内に入った有害物質にも作用するんだ」
「は? じゃあ何、あんた毒も効かないわけ? ……どんだけ反則なのよ、その神装」
「……つまり」
クオンが深刻そうな顔で零を見る。
「酒が……楽しく飲めないのか?」
「そこ!?」
ルシアの声が食堂に響いた。
◇
——それからしばらくして。
テーブルの上には、空になった酒瓶が並んでいた。
「ふふ……まだまだぁ……わたしぃ、りゅうぞくだよ? まけないんらから……」
そう言うシエラの目は、とっくに据わっている。
水色の髪は乱れ、頬は真っ赤。
対する零は、酒を飲むたびに酔いが回っては、《神装》によって数秒で醒めるという奇妙な状態を繰り返していた。
「あれ……なんれ……あんらじぇんれん、よって……らい……」
そして——。
「んー……あったかぁい……」
限界を迎えたシエラが、零の肩へ倒れ込んだ。
空色の髪が零の腕に広がり、甘い酒の香りが漂う。
「……れいぃ、あんた、つよいね……すき……」
「——はぁっ!?」
ルシアが椅子から立ち上がった。
「ちょ——シエラ!! 何くっついてんのよ! 離れなさい!!」
「えー……やだぁ……」
「やだじゃないのよ!」
ルシアがシエラを引き剥がそうとする。
それを眺めながら、レイラが楽しそうに笑った。
「ルシア、必死すぎない?」
「べ、別に必死じゃない!」
「零を取られたみたいな顔してるけど」
「してないっ!!」
即答した。
けれど——なぜだろう。
酔ったシエラが零にくっついているのを見ると、妙に落ち着かない。
胸の奥がざわつく。
理由を考えかけて、ルシアは慌てて首を振った。
——違う。
きっと、こいつが魔王軍に入ったばかりだから気になるだけだ。
それだけ。
「……飲み比べは、零の勝ちだな」
そんな三人を気にも留めず、クオンが淡々と勝敗を宣言した。
◇
「——随分楽しそうじゃない」
食堂の入り口から声がした。
白銀の髪。
深紅の瞳。
魔王リリスが腕を組み、壁に背を預けてこちらを見ていた。




