第五環 「鬼族の少女クオン」
薄橙色の瞳が、明確な闘志に染まっている。
「……手加減は?」
零が聞く。
クオンは少し考えた。
「する」
一拍。
「たぶん」
観覧席からルシアが叫んだ。
「絶対嘘でしょそれ!」
クオンは構わず、戦斧を両手で握った。
「天津零」
一歩。
石畳が砕ける。
「来い」
その瞬間。
零は本能的に理解した。
――今までとは、違う。
クオンが消えた。
そう錯覚した。
巨体でもない。
むしろ四極の中では小柄な部類。
それなのに。
一歩。
ただ地面を蹴っただけで、一瞬にして零の眼前へ現れた。
「――ッ!」
巨大な戦斧が振り下ろされる。
零の腕で夢幻抱擁が光った。
弱体化。
クオンの一撃から力が削ぎ落とされる。
――はずだった。
轟音。
零の身体が宙を舞う。
「がっ……!」
地面へ叩きつけられた。
一度。
二度。
転がる。
壁へ衝突する寸前で身体を捻り、どうにか足から着地した。
両腕が痺れている。
「……嘘だろ」
夢幻抱擁は発動した。
間違いなく弱体化させた。
それなのに。
防いだ腕が、折れたのかと思うほど痛む。
「今の」
零がクオンを見る。
「弱くなってたぞ」
「そうか」
クオンは首を傾げた。
「なら、元はもっと強い」
「そういう意味じゃない」
観覧席。
シエラが腹を抱えて笑っている。
「あはは! クオンに能力の理屈説明しても意味ないって!」
ルシアも呆れたように額を押さえた。
「こいつ、ほぼ全部身体能力だけで戦うから……」
「夢幻抱擁との相性という意味なら」
レイラが目を細める。
「恐らく、四人の中で一番悪いのはクオンでしょうね。しかも、あー見えてあの子、四天王最強だし。」
零は立ち上がる。
クオンは待っていた。
追撃しない。
ただ。
嬉しそうに。
ほんの僅かに口角を上げている。
「立ったな」
「ああ」
「いい」
戦斧を構える。
「もう一回」
「待て」
「嫌だ」
再び消えた。
「っ!」
横薙ぎ。
零はしゃがむ。
頭上を戦斧が通過。
風圧だけで髪が激しく揺れる。
零はクオンの懐へ潜り込み、拳に魔力を集める。
増幅。
「――ッ!」
腹部へ叩き込む。
鈍い音。
クオンの身体が僅かに後ろへずれた。
一歩。
それだけ。
「硬っ……」
「痛い」
無表情で呟く。
どう見ても効いていない。
「お返し」
「待――」
クオンの額が零の額へ叩き込まれた。
頭突き。
「ぐっ!」
視界が白く弾けた。
そこへ蹴り。
零が吹き飛ぶ。
受け身。
立つ。
直後。
戦斧。
避ける。
石畳が爆発する。
破片の中からクオンが突っ込んでくる。
「お前」
拳。
零が防ぐ。
「いい」
肘。
腹。
「何度飛ばしても」
膝。
「立つ」
蹴り。
零の身体が地面を滑った。
血が口元から垂れる。
「……褒めてるのか?」
「褒めてる」
「だったら少しくらい手加減しろ」
「してる」
「嘘つけ」
零は笑った。
自分でも意外だった。
何度も吹き飛ばされている。
身体中が痛い。
圧倒されている。
それなのに。
不思議と。
楽しい。
クオンが戦斧を構える。
「次」
「まだやるのか」
「当然」
零は息を吐く。
夢幻抱擁を見つめる。
相手の力を削る。
自分の力を高める。
これまでは、それでどうにかなった。
ルシアには完璧に刺さった。
シエラには軌道を読むことで対応した。
レイラには通用しない領域があった。
そしてクオン。
単純。
だからこそ。
厄介だ。
小細工がない。
幻術も。
魔法も。
複雑な技術もない。
ただ。
速く。
硬く。
重く。
強い。
圧倒的な身体能力。
「……なら」
零が腰を落とす。
「正面からやるしかないか」
クオンの瞳が輝いた。
「いい」
戦斧を地面へ捨てた。
ズン、と重い音。
零が眉を寄せる。
「何で捨てる」
「お前、武器ない」
クオンが拳を構えた。
「これで同じ」
「……律儀だな」
「違う」
一歩。
「殴りたいだけ」
「やっぱり戦闘狂じゃねえか!」
両者が同時に地面を蹴った。
拳。
拳。
激突。
衝撃波。
零の拳には夢幻抱擁による増幅。
クオンの拳には弱体化。
条件だけなら零が有利。
それでも。
押し負ける。
「ぐっ……!」
腕が弾かれた。
クオンの拳が頬へ突き刺さる。
零が回転しながら吹き飛ぶ。
地面に手をつき、その勢いで蹴りを返す。
クオンが腕で受ける。
初めて。
僅かに身体が揺れた。
「……!」
零は止まらない。
腹部。
脇腹。
顎。
連撃。
増幅。
増幅。
増幅。
魔力を纏わせた拳が次々とクオンへ叩き込まれる。
「いける!」
ルシアが思わず声を上げた。
だが。
レイラだけが目を細めた。
「……いいえ」
クオンが笑っていた。
ほんの僅か。
嬉しそうに。
「いい」
零の拳を掴んだ。
「もっと」
握力。
骨が軋む。
「……っ!」
そのまま。
零の身体が持ち上げられた。
「来い」
投げる。
景色が回転する。
地面。
衝撃。
息が止まる。
その胸元へ。
クオンの拳が振り下ろされる。
「クオン!」
シエラが叫ぶ。
寸前。
拳が止まった。
零の胸から、数センチ。
拳が作り出した風圧だけで、背後の石畳に亀裂が走った。
沈黙。
「……負けた」
零が呟く。
クオンは拳を下ろした。
「うん」
「そこはもう少し謙遜しないのか」
「負けは負け」
当然のように言う。
クオンが手を差し出した。
零はその手を見る。
そして掴んだ。
一気に引き起こされる。
「お前」
クオンが零を見上げる。
「強い」
「説得力ないな。ボコボコにされたんだが」
「今は」
「……今は?」
クオンが頷く。
「もっと強くなる」
迷いのない言葉だった。
零は一瞬黙る。
「何でそう思う?」
クオンは首を傾げる。
「分かる」
「勘か?」
「勘」
「そうかよ」
零が苦笑すると、クオンは戦斧を拾い上げる。
そして。
「飯」
「は?」
「約束した」
「ああ……そういえば」
「肉、食うぞ」
「今から?」
「戦った。腹減った」
当然のことのように言う。
「お前も食え」
「身体中痛いんだが」
「食えば治る」
「鬼族の理論を人間に適用するな」
クオンは不思議そうな顔をした。
観覧席から。
「あはははっ!」
シエラが大笑いする。
「クオン、めっちゃ懐いてんじゃん!」
「……別に」
クオンが答える。
「強いやつ、好きなだけ」
「それ懐いてるって言うのよ」
ルシアが呆れたように呟いた。
レイラは二人を眺めながら、くすりと笑う。
「昨日まで敵だった人間とは思えないわね」
その時。
訓練場の入口から拍手が響いた。
ゆっくり。
乾いた音。
全員が振り返る。
そこにいたのは。
「思ってたより面白い結果になったわね」
白銀の長髪。
深紅の瞳。
魔王リリス。
壁に寄りかかりながら、零を見ている。
「ルシアには勝つ」
指を一本立てる。
「シエラとは、ほぼ互角」
二本目。
「レイラには精神干渉を破った。でも、実戦なら最後の拘束で殺されてる」
三本。
「クオンには完敗」
四本。
レヴィアは笑う。
「元勇者って聞いた時は、もっと完成された人間かと思ってたけど」
零の金色の瞳を見据える。
「全然じゃない」
「ああ」
零は即答した。
「俺も今日分かった」
「……へぇ」
「俺は弱い」
四極が僅かに反応する。
「俺の神装が強いだけだ」
零は自分の拳を見る。
「妹を犠牲にして手に入れた力のくせに、それでも俺自身が弱ければ意味がない」
拳を握る。
「これじゃ、王は殺せない」
リリスが零を見る。
少しだけ。
嬉しそうに。
「なら」
魔王が口角を上げる。
「強くなりなさい」
「……簡単に言うな」
「簡単でしょ」
リリスは四極を見回した。
「教師なら、この城に腐るほどいるもの」
嫌な予感。
零が眉を寄せる。
リリスは笑った。
「明日から四極全員でこいつ鍛えて。魔王命令よ」
「はぁ!?」
ルシア。
「面白そー!」
シエラ。
「私は構わないわよ」
レイラ。
「毎日やる」
クオン。
零だけが黙っている。
「……殺す気か?」
レヴィアは肩をすくめた。
「あんた言ったじゃない」
深紅の瞳。
「私に命を捧げるって」
悪戯っぽく。
魔王は笑った。
「なら――私が使えると思う兵器になるまで、徹底的に鍛えてあげる」
零は四極を見る。
ルシアは明らかにやる気だ。
シエラも笑っている。
レイラは何を考えているか分からない。
クオンに至っては、もう明日の戦いを楽しみにしている顔だった。
「……前言撤回していいか?」
「ダメ」
即答。
零は空を見上げ、長く息を吐いた。
そして。
ほんの少しだけ笑った。
この世界へ召喚されてから。
妹を失ってから。
明日という言葉を。
こんな気持ちで思えたのは。
初めてだった。
少し。
本当に少しだけ。
——少しだけ、明日が楽しみになった。




