第五十五環 「人界守護四聖剣《テトラセイヴァ》」
——夕方。魔王城・会議室。
《永劫支配》を示していた赤い光が、レイラの幻術によって立体図から消えている。
完全な攻略法ではない。
それでも、直接視認を避けながら戦う手段は見え始めていた。
リリスが幻術で覆われた箇所を一瞥し、再び零へ視線を戻す。
「続けて。二つ目——王城の構造と兵力」
零は立体図へ手を伸ばした。
王城を模した魔力の像が回転する。
いくつもの尖塔と、城を囲う三重の城壁。その周囲には、王都の建物が密集していた。
「俺が知っているのは、王城の一部だけだ」
指先で中央の塔を示す。
「召喚された後、俺と一華はこの塔に入れられた。最上階がアルトリウスの謁見室。その下に居住区と儀式場がある」
「地下は?」
ルシアの問いに、零は首を横へ振った。
「分からない。ただ、召喚術式へ供給されていた魔力は、地下から流れていた」
「なら、魔力炉か、それに近い施設があるわね」
ルシアが立体図の地下へ視線を落とす。
「異世界から二人も召喚するほどの術式よ。相当な魔力源がなければ成立しない」
「正確な兵力も不明だ」
零は続ける。
「近衛兵、王国魔導師団、王都守備隊。俺が王城にいた時点でも、少なくとも数千人はいた」
「しかも、そのほとんどに王印が刻まれている可能性がある」
レイラが静かに付け加える。
兵士本人に敵意がなくとも、《永劫支配》によって命令されれば戦わされる。
殺さずに制圧しようとすれば、魔界側が圧倒的に不利になる。
「でも、本当に厄介なのは兵士じゃない」
零の金色の瞳が細くなる。
立体図の王城を囲うように、四つの人影が現れた。
「王城には、アルトリウス直属の最大戦力——人界守護四聖剣、通称、四聖剣がいる」
会議室の空気が、さらに重くなった。
「四聖剣……」
リリスの深紅の瞳が、四つの人影へ向けられる。
「第一席から第四席まで。それぞれが神装を持っている」
ルシアが目を見開いた。
「四人全員が神装持ち? 零みたいなのが、ほかに四人もいるってこと?」
「能力の方向性は違う。それに、俺と同じように第二位階があるかまでは分からない」
「どうして、そこまで能力を知ってるの?」
シエラの問いに、零は一度目を伏せた。
「召喚された翌日、アルトリウスが俺たちの教官として四聖剣を紹介した」
あの時、王は笑っていた。
神装と呼ばれる力を、零に理解させるため。
そして何より、自分へ逆らうことがどれほど無謀なのかを思い知らせるために、四人の能力を実演させた。
「俺たちを鍛えるためじゃない。力の差を見せつけ、最初から抵抗する気を奪うためだ」
立体図に映る第一の影が、黒い大剣を構えた。
「第一席——ダッカ。神装《終焉剣》」
刃から滲み出す黒い光が、人影の全身へ絡みつく。
「一度でも斬られれば、その傷は広がり続ける。治癒魔法で塞いでも、神装の力を止めない限り再び開く」
クオンの薄橙色の瞳が鋭くなる。
戦士として、能力の性質を噛み砕いている。
「それだけじゃない。ダッカ自身の能力は——《万苦転写》」
黒い影が剣を振るう。
斬られた人影が、傷口とは無関係に全身を押さえて崩れ落ちた。
「剣で傷をつけた相手が、過去に経験した痛みを再現する。肉体的なものだけじゃない。喪失、恐怖、絶望——精神の苦痛まで、何倍にも増幅して引きずり出す」
レイラの表情が変わった。
緑色の瞳が暗く沈む。
「……最悪。辛い過去を持っている者ほど不利になる」
視線が零へ向かう。
そして、すぐに逸れた。
零もレイラも、《万苦転写》に利用される記憶を抱えている。
「再現できるのは、実際に経験した苦痛だけだ。それでも——俺とレイラは、あいつと相性が悪い」
「逆に言えば、過去の少ない相手なら影響は小さい?」
ルシアの問いに、零が頷く。
「おそらく。ただし《終焉剣》による傷の拡大は、誰が相手でも変わらない」
第一の影が消え、第二の人影が槍を構える。
「第二席——シュウ・ザムダ。神装《魔渇槍》」
細長い魔槍から、粘りつくような赤い光が広がった。
「能力は《渇愛》。相手の欲望や執着を増幅する」
「執着?」
シエラの翼が微かに揺れる。
「例えば、守りたい者がいる人間は、その相手を守ることしか考えられなくなる。誰にも触れさせたくない。自分の傍から離したくない。最後には、守るためなら何を壊しても構わないと考える」
シエラの青い瞳が、無意識に零へ向けられた。
番への執着。
もし、それを際限なく膨張させられたら。
「一度で完全に理性を失うわけじゃない。魔槍の光を浴びるか、傷を負うたびに欲望が強くなる」
「段階的に、本人の意思を呑み込んでいくわけね」
リリスの言葉に、零が頷く。
「勝ちたいと思えば、勝利しか見えなくなる。敵を憎めば、殺すこと以外を考えられなくなる。強い願いを持つ者ほど危険だ」
ルシアが唇を噛む。
努力も、勝利への執着も強い。
自分と相性が悪いことを理解したのだろう。
「ただし、増幅するのは元からある感情だけだ。存在しない欲望までは生み出せない」
第二の影が消える。
代わって現れた第三の人影は、白銀の大鎌を携えていた。
「第三席——メツ・ニローダ。神装《静寂鎌》」
刃が振るわれる。
斬られた人影の表情が抜け落ちた。
「能力は、自己を構成するものの消去。刃を受けるたび、感情や記憶を削り取られる」
最初に失うのは、直前の記憶。
次に、喜びや怒りといった感情。
さらに斬られれば、大切な者との記憶や、自分の名前さえ消えていく。
「最後には、自分が誰かも分からない。身体だけが残った、空の存在になる」
沈黙。
クオンが低く唸った。
「……それは、厄介だ」
誰より単純で、誰より強固な自己を持つクオン。
それでも、自分という存在を直接削られる危険性は理解していた。
「切られなければいい」
やがて、クオンは結論づけた。
「その通りだけど、簡単に言うわね……」
ルシアが呆れたように呟く。
最後の人影が現れる。
手にしているのは、白く細い杖。
「第四席——ドゥ・マーガ。神装《天命杖》」
リリスの瞳が僅かに細められた。
杖が光を放つ。
放たれた魔弾は、不自然な軌道を描きながら標的へ吸い込まれた。
「能力は《唯一正道》。複数存在する未来から、ドゥ・マーガにとって最も正しい結果を一つ選び、現実へ固定する」
「因果干渉……」
リリスが初めて眉を寄せた。
「攻撃を当てる未来を選べば、どれだけ避けても攻撃は当たる。回避に使えば、どんな包囲からでも生存する道を選び出す」
「それじゃ、倒せないじゃない」
シエラの言葉に、零は首を横へ振る。
「無条件じゃない。一度に固定できる未来は一つだけだ」
攻撃を当てる未来と、味方を守る未来。
自分が回避する未来。
それらを同時に固定することはできない。
加えて、現実に僅かでも可能性が存在しなければ選択できない。
絶対に届かない攻撃を命中させることも、既に死んだ者を生存させることも不可能。
「それでも、あいつがほかの三人を支援すれば厄介だ。敗北へ繋がる可能性だけを潰し続けられる」
「四聖剣の中で、最初に倒すべき相手ね」
リリスが第四の影を見据える。
「こいつがいる限り、ほかの三人を追い詰めても逃げ道を作られる」
「俺もそう思う」
立体図を囲む四つの影。
痛み。
欲望。
自己の消去。
因果の固定。
単独でも厄介な能力が、互いの弱点を補うように組み合わされている。
「……よくもまあ、これだけ揃えたものね」
リリスが背もたれへ深く身体を預ける。
「揃いも揃って、趣味の悪い神装ばかり」
「話は——まだ終わってない」
零の言葉に、全員の視線が集まった。
立体図の上に、新たな人影が現れる。
だが、その影には顔がない。
体格も、性別も分からない。
黒く塗り潰された、輪郭だけの存在。
「もう一人いる」
リリスが身体を起こす。
「……もう一人?」
「俺が王城から逃げた時、四聖剣は四人だった。だが半年ほど前、人界を彷徨っていた時に——第五席が加わったという情報を聞いた」
「四聖剣なのに、第五席?」
ルシアの当然の疑問に、零は頷く。
「名称だけがそのまま残っている。情報を漏らした王国軍の兵士も、詳しいことは知らされていなかった」
リリスの深紅の瞳が、顔のない影へ向けられる。
「どこまで分かってるの?」
「存在しているということだけだ」
零は首を横へ振った。
「名前、素顔、性別、出自、神装——そのすべてが不明。どんな能力を持っているのかも分からない」
レイラが影を観察しながら、静かに呟く。
「王の直属戦力なのに、味方にも正体を隠してる……」
「少なくとも、表立って戦場へ出た記録はない」
「一番不気味なのが増えたわね」
シエラの青い瞳から、いつもの余裕が消えていた。
四聖剣の第五席。
序列だけを見れば、最も下に位置する。
だが、アルトリウスが正体を徹底的に隠している以上、単純に最弱だとは考えられない。
立体図の中で、顔のない影が四人の背後に立つ。
零はそれを見つめていた。
理由の分からない胸騒ぎが、僅かに残った。
「最後の質問よ」
リリスが沈黙を破る。
「アルトリウス本人の弱点。何かある?」
冗談ではない。
魔王として、王を殺すために問うている。
零は数秒間沈黙した。
金色の瞳を伏せ、過去の記憶を辿る。
やがて、顔を上げた。
「……正直に言う。明確な弱点は分からない」
ルシアが何かを言おうとする。
それより先に、零は続けた。
「だが——あいつは、自分の計画から外れた事態に弱い」
立体図の中央。
王を示す赤い光へ、零の指先が触れる。
「《永劫支配》が俺に効かなかった時、あいつは動揺した。別の手段へ切り替えることもできず、同じ命令を何度も繰り返した」
アルトリウスは、自らの支配を絶対だと信じている。
すべてが計画通りに進んでいる間は、冷静で狡猾。
だが——一度想定を崩されれば、判断が鈍る。
「慢心しているんだ。自分の力も、計画も、絶対に失敗しないと思い込んでいる」
リリスの口角が上がった。
「……それなら、攻略の糸口にはなる」
「それだけでいいのか?」
「十分とは言ってないわ」
リリスが立ち上がる。
白銀の髪が椅子の背から流れ落ち、黒と赤の装束が翻った。
「慢心する王は足元を掬われる。でも、足元を掬う側が情報不足じゃ話にならない」
顔のない第五席の影を、深紅の瞳が射抜く。
「正面突破はしない。現段階での候補は、少数精鋭による王城への潜入と斬首」
クオンが僅かに身を乗り出した。
「すぐ殺しに行くのか」
「まだ行かない」
リリスは即答した。
「王城の現在の構造。《永劫支配》の正確な範囲。四聖剣の配置と能力の弱点。それに——正体不明の第五席」
立体図の人影が、一つずつ赤く染まっていく。
「分からないことが多すぎる。まずは人界へ斥候を送り、情報を集める」
「……すぐ殺せないのか」
クオンが残念そうに呟く。
リリスは不敵に笑った。
「確実に殺すために——今は行かないのよ」
魔力の立体図が消える。
しかし、顔のない第五席が残した不穏な気配だけは——会議室の中から消えなかった。




