第四十五環 「敗北を超える炎」
——夕方。魔王城・会議室。
魔王城の中枢に位置する会議室。
黒曜石で作られた長いテーブルを囲むように、椅子が並んでいる。
上座には、リリスが座っていた。
白銀の髪が椅子の背へ流れ、深紅の瞳が静かに報告者を待っている。
右手側にシエラ、レイラ、クオン。
左手側には零。
やがて重い扉が開いた。
ルシアが入ってくる。
黒い魔導服。
黒いマント。
赤みがかったダークレッドのツインテール。
いつもと変わらない装い。
だが、顔色はまだ僅かに白い。
魔力が完全には回復していないことは、誰の目にも明らかだった。
それでも足取りはしっかりしている。
真紅の瞳には、四座としての覚悟が戻っていた。
「——失礼します」
ルシアがテーブルの前へ立つ。
全員の視線が集まった。
リリスが片手を上げる。
座れという合図ではない。
——続けろ。
その意味を理解し、ルシアは一度深呼吸した。
「十一日目午前。私は精鋭魔術師六名とともに、魔獣の森深部で観測された魔力異常の調査へ出発しました」
声は明瞭だった。
感情を抑え、確認された事実だけを述べていく。
「森の中層までは問題なく進行。しかし、深部へ入った直後——周囲の魔力を吸収する領域へ侵入しました」
ルシアは、一度言葉を区切った。
「領域内では、結界と探知魔法がほとんど機能しません。一定以下の出力で構築された術式は完全に霧散。それ以上の魔法も、大幅に威力を削られます」
完全な魔力無効化ではない。
周囲の魔力を奪い、術者が魔法を形にする前に吸収する領域。
出力が低ければ発動すらできず、高位魔法も本来の威力を維持できない。
「私の炎魔法も、発動直後に大部分を吸収されました。その直後——異形の植物型魔物から襲撃を受けました」
クオンの薄橙色の瞳が鋭くなる。
シエラは腕を組んだ。
レイラも、普段の笑みを消して聞いている。
「異形の特徴は、蔓による拘束。魔力吸収能力。そして——黒い粘液による精神汚染」
一瞬。
ルシアの声が、僅かに震えた。
それでも、すぐに立て直す。
「精鋭六名中、四名が拘束され、魔力を吸い尽くされて死亡。残る二名は、粘液による精神汚染を受けて戦闘不能に陥りました」
森で保護された二名は、今も医務室で眠り続けている。
命に別状はない。
しかし、意識を取り戻す兆候も、まだなかった。
「私は、部下を救えませんでした」
ルシアが唇を噛む。
「魔力を奪われ——何もできなかった」
会議室に沈黙が落ちた。
「私自身も蔓に拘束され、魔力枯渇寸前まで吸収されました。寄生を受ける直前——」
ルシアの視線が、一瞬だけ零へ向いた。
金色の瞳と重なる。
すぐに前へ戻した。
「零が単独で突入し、魔物を殲滅。私を救出しました」
報告を終える。
リリスが静かに口を開いた。
「——その魔物。自然発生したものではないわね」
「はい。明らかに不自然な構造を持っていました。周囲の魔力を吸収する領域も、結界ではなく、複数の異形が連動して発生させていた可能性があります」
リリスの深紅の瞳が、零へ向けられる。
「零。あんたが感じたという瘴気について、改めて聞くわ」
零が頷いた。
「——人界の王が持つ神装《永劫支配》の魔力痕に、限りなく近い」
会議室の空気が、僅かに重くなる。
「今朝、研究棟で残骸を確認した。神装《夢幻抱擁》も強い拒絶反応を示した」
「同じ神装の力なの?」
リリスの問いに、零は首を横へ振った。
「完全に同じじゃない。《永劫支配》に酷似した力に、たぶん、もっと濁った何かが混ざってる」
「別の何か……」
「人界の王が異形を造ったのか。誰かが王の神装へ干渉しているのか。それとも——両方の力に、同じ起源があるのか」
零の金色の瞳が細められる。
「今の段階では、断定できない」
重い沈黙が落ちる。
リリスが指先で頬を支え、思考を巡らせる。
「……王本人が造った。あるいは、同じ力を持つ何者かが王の神装へ干渉している」
深紅の瞳が、鋭く細められた。
「少なくとも、この異形が魔族を殺すために設計されていることは確かね」
「魔力吸収、精神汚染、魔法を弱体化させる領域」
レイラが静かに口を開いた。
「全てが、魔族への対抗手段になってる。ルシアほどの魔導師すら無力化した。これが試作品なら——本命は、もっと厄介かもしれない」
「……待って」
シエラの青い瞳が鋭くなる。
「それって——魔界への侵攻を準備してるってこと?」
「可能性はあるわね」
リリスが答えるより早く、クオンの拳が黒曜石のテーブルを叩いた。
鈍い音とともに、表面へ細い亀裂が走る。
「——ふざけるな」
低い声。
「四人が死んだ。残る二人も、まだ目を覚ましていない」
薄橙色の瞳に、静かな怒りが燃えている。
「また来るなら——全部潰す」
リリスが立ち上がった。
その瞬間、会議室の空気が変わる。
魔王の威圧。
だが、それは感情のままに放たれた怒りではない。
魔界を統べる者としての決意だった。
「ルシア。報告ご苦労」
真紅の瞳が、ルシアを捉える。
「あんたは悪くない」
「ですが——」
「部下を守れなかった責任を感じるのは、隊を預かったあんたの自由よ。でも——今回の敵を想定できなかった責任は、あんただけのものじゃない」
リリスの声は、どこまでも真っ直ぐだった。
「部下たちのことは、私からも弔う」
ルシアの真紅の瞳が潤む。
それでも涙を零すことなく、唇を引き結んだ。
深く頭を下げる。
「……ありがとうございます、リリス様」
「報告は以上ね。あんたは医務室へ——」
「リリス様」
ルシアが、顔を上げた。
「一つ、お願いがあります」
「何?」
「回収した異形の残骸。その解析を、私にも担当させてください」
リリスの眉が、僅かに動いた。
「あんた、身体も魔力も万全じゃないのよ」
「分かっています。今日すぐに始めるつもりはありません」
ルシアが、自分の手を見る。
森では、どれだけ力を込めても炎一つ生み出せなかった手。
しかし、今はもう震えていない。
「でも、次に同じ敵が現れた時——魔力を奪われただけで、何もできない私ではいたくありません」
真紅の瞳へ、確かな炎が戻る。
「外部の魔力へ依存しない術式。魔力吸収を妨害する結界。そして、魔法が使えない状況でも戦える武装」
ルシアは、全員の前で宣言した。
「魔力吸収領域への対抗手段を——私が完成させます」
沈黙。
クオンの口元が、僅かに上がった。
シエラも、安心したように息を吐く。
レイラの緑色の瞳が、穏やかに細められた。
リリスは数秒間ルシアを見つめ、やがて、小さく笑った。
「いい目に戻ったじゃない」
「リリス様……」
「許可する。ただし、治療班が復帰を認めるまでは資料を見るだけ。実験は禁止よ」
「……はい!」
リリスが、改めて全員を見渡す。
「今後の方針を伝えるわ」
魔王の声が、会議室へ響いた。
「魔獣の森深部は、当面立ち入り禁止。周囲へ監視部隊を置き、異常を検知した場合も直接交戦は避ける」
誰も口を挟まない。
「研究棟には残骸の分析を急がせる。精神汚染を受けた二名の治療も最優先」
そして、深紅の瞳が零を捉えた。
「零。あんたの持っている情報が鍵になる」
「ああ」
「人界の王について、覚えていることを全て洗い出しなさい。神装《永劫支配》についても、可能な限り詳しく」
リリスの声に、迷いはなかった。
「私たちも全面的に協力する」
零が頷く。
「——分かった」
「人界の王が魔界へ手を出したのなら——潰す」
深紅の瞳に、支配者の光が宿る。
「王とは別の何者かが、この魔物を送り込んだのなら——そいつも潰す」
魔王としての、絶対的な宣言。
「私の領土で、私の部下を殺した。その代償は——必ず払わせるわ」
黒曜石の会議室に、反対する者は一人もいなかった。
人界の王。
そして、その背後に潜むかもしれない、未知の存在。
魔界と人界を巻き込む戦いは、すでに静かに動き始めていた。




