第三環 「その力の代償」
「嫌いじゃないわ、そういうの」
リリスの言葉に、零は答える。
「だって、殺そうと思えば、いつだって殺せただろ。毒なんて使わなくてもな」
零の言葉にリリスが目を細めた。
紅茶のカップを置き、頬杖をついたまま零を真っ直ぐ見返す。
「……っふ。正解」
深紅の瞳が愉快そうに弧を描く。
「そうよ。殺したきゃ一瞬で終わらせるわ。回りくどいことする趣味ないし」
ルシアは得意げに胸を張る。
「当たり前でしょ。魔王様がそんな卑怯な真似するわけないじゃない」
レイラは紅茶を飲みニヤリと微笑む。
「でも私なら毒を盛るかな。相手の苦しむ顔を見る時間が長い方が楽しいし」
「あんたは黙ってなさいよ……」
「あはは。朝からこの空気、最高じゃん」
シエラが笑いながら杯を傾けている。中身は——朝から酒だ。
「……うまいか」
クオンが零を見ている。自分が渡した肉の感想を待っているようだった。
リリスは紅茶を一口含み、再び天津零に視線を向ける。
「ねぇ、天津零。食事が終わったら、あんたの実力を見せてもらうわ。口だけじゃないって証明しなさい。——相手は、そうね」
リリスの視線がテーブルを一巡し、一人に止まった。
「ルシア。あんたがやりなさい」
「——え? 私が?」
「魔法戦なら、あんたが一番分かりやすいでしょ。手加減は任せるわ。殺さない程度にね」
「……ふん。了解です、魔王様」
ルシアが真紅の瞳で天津零を見据える。その目には、戦える喜びと——試してやるという闘志が灯っていた。
「覚悟しときなさい、天津零。私は手加減苦手なんだから」
◆
食堂を出た一行は、魔王城の中庭に移動した。
広大な訓練場。黒い石畳が敷き詰められ、周囲には結界が張られている。多少暴れても城に被害が及ばないよう設計された、魔王軍専用の演習場だった。
リリスは訓練場の端に設けられた観覧席に腰を下ろし、脚を組んだ。
「さ、始めなさい」
シエラが壁に背を預け、腕を組んで見守る態勢に入る。
「ルシア相手かぁ。まあ、死にはしないでしょ。たぶん」
「どうかな。ルシアって手加減苦手だし」
レイラは試すような瞳で零を見つめる。
「……見届ける」
クオンは無言で壁際に立ち、薄橙色の瞳を鋭く光らせている。
——そして、訓練場の中央。
ルシアが黒いマントを翻し、零と向かい合った。
赤みがかったダークレッドの髪が風に揺れ、真紅の瞳に炎のような闘志が灯る。その手には既に赤い魔力が渦巻いていた。
「いい? 一つだけ言っとくわ」
ルシアが指先を天津零に向ける。空気が熱を帯び始めた。
「私は魔界最強の魔導師よ。元勇者だろうが何だろうが——舐めた真似したら焼き尽くすから。来なさい、天津零。あんたの神装とやら、見せてもらうわ」
訓練場の空気が張り詰める。
ルシアの魔力が膨れ上がり、周囲の温度が目に見えて上昇していく。空中で魔法陣が回転し、その模様が複雑化する。
先手はどちらが取るか——ルシアの真紅の瞳が、天津零の出方を待っている。
——ルシアが動いた。
「——まずはこれよッ!」
両手を突き出し、紅蓮の炎が渦を巻いて放たれる。ルシアの全力からは七割程度の出力、しかしそれでも、並の魔族なら一瞬で灰になる威力だ。炎の奔流が天津零を飲み込もうと迫る。
その瞬間。零の腕に紫色の光が走った。手首に巻きついた無限の蛇の意匠が自らの尾に噛み付く。
「《神装》発動——夢幻抱擁」
ルシアの炎が零に到達する直前、目に見えて勢いが衰えた。紅蓮の嵐が、萎む。まるで何かに吸い取られるように、威力が削ぎ落とされていく。零はその弱体化した炎を片手で握り潰した。
「——は?」
ルシアの目が見開かれる。
しかし零は止まらない。
空いた手に初級の炎魔法を編む。本来なら、先ほどのルシアの火力に比べれば児戯に等しい威力、だが、神装の光が魔法陣を包み込んだ瞬間、その炎が膨れ上がる。
先ほどの火球に匹敵する威力まで引き上げられた炎弾が、真っ直ぐルシアへ向かって放たれた。
「っ——!」
ルシアが咄嗟に防御結界を展開。炎弾が結界にぶつかり、爆炎が訓練場を揺らした。煙が晴れると、ルシアは無傷——だが、その表情は明らかに変わっていた。
「……今の、何?初級魔法のはずでしょ。なんであの威力になるのよ。それに、私の炎を——握り潰した? ありえない。あの出力を、人間が?」
観覧席で、反応は様々だった。
「——へぇ」
リリスが身を僅かに前に乗り出した。深紅の瞳が鋭く輝いている。
シエラ、レイラはそれぞれその光景を見て驚く。
「えっ、ちょっと待って。今ルシアの魔法握り潰さなかった?」
「弱体化と強化……なるほどね。相手の攻撃を削いで、自分の攻撃を底上げする。厄介な神装」
「……強い」
クオンが短く呟いた。薄橙色の瞳に、明確な闘志が灯っている。
訓練場の中央、ルシアが再び魔力を練り上げる。
「……ふぅん。なるほどね。面白いじゃない」
真紅の瞳に、怒りではなく、純粋な闘志が燃えている。
「なら次は、もうちょっと本気出してあげるわ」
ルシアの魔力が爆発的に膨れ上がった。
「——ッ!」
全力の炎魔法。訓練場の空気が灼熱に染まり、結界が軋みを上げる。魔界最強の魔導師が放つ全力、それは災害そのものだった。
紅蓮の炎嵐、連続する火球、そして大規模な炎柱。次々と繰り出される攻撃の全てが、一級の魔族すら消し飛ばす威力を持っていた。
——しかし。
天津零の神装が光を放つたび、ルシアの炎は勢いを失い、萎み、消えていく。
そして反撃。初級魔法、だが神装によって引き上げられたその威力は、ルシアの全力と同等。
「っ——嘘でしょ!?」
ルシアが必死に防御と回避を繰り返す。攻めれば打ち消され、守れば同等の反撃が飛んでくる。魔界最強の魔導師が、完全に封殺されていた。
「何なのよ、その力——!」
やがてルシアの動きが止まった。肩で息をしながら、信じられないという顔で零を見つめている。
——観覧席。
リリスの表情が変わった。先ほどまで楽しげだった深紅の瞳に、別の色が混じっている。
「……ねえ」
リリスは四天王に問いかける。
「おかしくない?」
「……ええ。私も同じことを考えていたわ」
レイラが紅茶のカップを置き、緑色の瞳を細めた。
「人界の勇者——魔界への侵攻を目的として召喚された存在。当然、私たちの諜報網にも情報は上がってくる。でも……」
レイラは目を細める。
「こんな馬鹿げた力の報告なんて、一度もなかった」
シエラが腕を組み直し、表情を引き締める。
「人界の奴らが持つ神装の情報は、最低限は把握してたはずだよね? 弱体化と強化を、しかもここまでの規模で同時に行う神装なんて——聞いたことない」
「……隠していた?」
クオンが短く呟く。
リリスが顎に指を当て、天津零を見つめた。
「二つ考えられるわね」
リリスは続ける。
「一つ——人界の王がこの力を意図的に隠していた。切り札として。そして、もう一つ——」
深紅の瞳が鋭く光る。
「やめ!」
リリスの声が響き、両者その目を止める。ルシアは肩で息をつき、零は涼しい顔をしていた。
リリスは観客席から降り、零の側に歩み寄る。他の四天王も、リリスに続く。
「天津零。一つ聞く。あんた、人界にいた時——この力、使わなかったの? それとも、使えなかった?」
訓練場に静寂が落ちる。全員の視線が零に集中していた。
天津零の表情が、初めて、苦痛に歪んでいた。
魔王の前でも、ルシアの全力の炎を前にしても揺るがなかった表情が、今この瞬間だけ。
「使わなかったんじゃない。使えなかったんだ」
零の体が震え出す。あの時の、怒りを思い出し、その目に怒りの炎が灯る。
「何事も、大きな力にはそれ相応の代償を伴う。神装も同じ、ただ前払い制でさ。使えるようになるために、発動条件があったんだ。大きく心を揺さぶられるような出来事、それが必要だと、後から誰かから聞いた」
リリスは黙って零の話を聞いている。
「そして、手っ取り早かったんだろうな。俺には、家族がいた。あー、両親はもう亡くなってて、小さい頃からずっと、一緒だった……」
零は、体の震えを抑える。
「妹、そう、妹がいたんだ。こことは別の世界から俺たちは呼び出された。二人とも。そして、妹——一華は……」
零は目を瞑り、はぁっと息を吐く。
「俺の神装を覚醒させるため、俺の目の前で兵士に汚され、殺された」
「……」
リリスが口を閉じた。深紅の瞳が天津零を見つめたまま、何も言わない。
「……っ」
ルシアが息を呑んだ。先ほどまでの闘志が消え、何か言おうとして、言葉が出ない。
「……そう」
レイラが珍しく笑みを消した。緑色の瞳が静かに伏せられる。
「身近な者の死。確かに、大きく感情が揺さぶられるでしょうね。つまり——あなたの力は妹さんが亡くなったことで、覚醒した、と」
「……それ、人界の王は知ってたの?」
シエラの声から、普段の軽さが消えていた。
「知ってて——妹を?」
零の沈黙が、その問いへの答えだった。
「……。」
クオンが拳を握り締めた。その薄橙色の瞳に、静かな怒りが灯る。
「下劣な」
短く、しかし重い一言だった。
リリスがゆっくり零の前まで歩み寄る。
白銀の髪が揺れ、深紅の瞳が真っ直ぐ金色の瞳を捉えた。
「……なるほどね。だから命を捧げるなんて簡単に言えたわけだ。妹の命と引き換えに手に入れた力。それを使って、その妹を殺した奴に復讐する」
リリスの声は冷たくも温かくもなかった。ただ、真っ直ぐだった。
「いいわ。分かった。——私が、あんたの刃を振るう先を用意してあげる」
リリスが天津零の体を引き寄せた。
「その代わり、勝手に死ぬんじゃないわよ。あんたの命は昨日から私のものなんだから」
白銀の髪が天津零の頬を掠め、魔王の細い腕が背中に回される。
「ま——魔王様!?」
ルシアが真っ赤になって叫んだ。
「……え?」
レイラが珍しく目を丸くしている。
「ちょ——」
シエラが壁から背を離し、固まった。
「……。」
クオンは口を半開きにしたまま動けない。
——リリスの腕の中、天津零は魔王の体温を感じていた。人間よりも少し低い、けれど確かに温かい体温。
「……っ」
一瞬の沈黙。そしてリリスが小さく息を吐き、天津零から体を離した。
深紅の瞳が僅かに揺れている。リリスは視線を逸らし——
「……別に。深い意味はないわよ」
白銀の髪を掻き上げ、踵を返す。
「壊れそうな顔してたから。それだけ。もう、あんたは私の兵器なの。——私の兵器に、勝手にヒビ入れないで」
それだけ言い残し、リリスは訓練場を後にした。その耳の先が、僅かに赤く染まっていた。
「な、なな……っ! 何よ今のッ!」
「ふふっ……あの魔王様が、ね」
「……ねえクオン、今の見た? リリス様の耳、赤くなかった?」
「……。」
リリスが去った後、訓練場には四座と零が残された。
ルシアはまだ複雑な表情を浮かべていたが、天津零が視線を向けると、ふいっと顔を逸らした。
「……私はもう戦ったでしょ。あとは勝手にやってなさい」
そう言って観覧席に向い、腰を下ろし、腕を組んだ。
シエルはぐーっと伸びをする。
「あ、じゃあ次は私の番かー。君は、もう大丈夫?戦えそ?」




