第三十五環 「昨日より近い距離」
—午後。
クオンとの武器適性訓練。
寝不足では話にならないと、1時間程度の仮眠をとった後の訓練。
零の思考はクリアになり、意識新たに訓練に臨む。
そして、そんな零を傍目に、クオンは先を指差した。
「今日は武器を使え」
訓練場の端には、様々な武器が並べられていた。
剣。
槍。
棍棒。
短剣。
「全部試せ。一本ずつ。私に打ち込め」
だが——その時、零の体に光が走った。
ウロボロスサーキット。
零が武器の列へ歩く。
剣に触れる。
——消えた。
槍。
——消えた。
戦斧。
短剣。
棍棒。
長巻。
双剣。
薙刀。
全てが、零の神装に吸収されていく。
「——なっ」
やがて武器架けが空になった。
零が振り返る。
そして、確信に満ちた表情で腕輪に触れる。
「一つに決めない。全部使う」
右手に——剣が現れた。
「ルシアとの魔法もそうだ。結局、あの後も変わらない」
「俺は結局、一つを極めても、完成度は本人の九割。なら——」
剣が消え、槍が現れる。
「場面に応じて、最適な一手を選ぶ」
槍が消え、双短剣。
クオンが沈黙する。
「一撃ごとに武器を変える、か」
やがて——口元が裂けるように笑った。
「面白い。——だが」
戦斧を構える。
「武器を変えるということは、一撃ごとに間合いが変わるということだ。重心が変わる。握りが変わる。——それを実戦で、本当にできるか?」
薄橙色の瞳が燃える。
「証明しろ。——私に打ち込んで」
クオンが来る。
零は剣を顕現させ——戦斧が振り下ろされる直前、槍へ切り替えた。
リーチの差で先に届く。
クオンが槍を弾く。
その瞬間——短剣。
至近距離。
懐へ。
「——っ!」
クオンが後退した。
短剣の切っ先が、装束を掠める。
「……いい」
笑っていた。
「すごくいい。——もっと来い」
一撃ごとに変わる武器。
一撃ごとに変わる間合い。
予測不能の戦闘スタイルが——この訓練場で産声を上げた。
剣で受け、槍で突き、斧で叩き、短剣で抉る。
一つ一つの練度は専門家に及ばない。
だが——切り替えの速度と、状況判断の精度が、それを補って余りある。
三十分。
汗だくになりながら、零は一度も同じ武器を二連続で使わなかった。
「——十分だ」
クオンが戦斧を下ろした。
息が荒い。
——四座最強が、息を切らしている。
「お前の戦い方、分かった。一つを極める剣士じゃない。——全てを束ねる指揮者だ」
薄橙色の瞳が、真っ直ぐ零を見る。
「……強い男だ」
その声には——戦士以上の感情が滲んでいた。
零は息を整え、クオンに向き直る。
「ありがとう、クオン。——おかげで、自分の戦い方が見えた」
クオンが一瞬、目を見開いた。
そして視線を逸らす。
「……礼はいらん。強くなれ。それが返答だ」
戦斧を肩に担ぎ直す。
「明日も来い。——待ってる」
最後の一言が、戦士の言葉というよりも——女の声に聞こえた。
◆
——午後。
魔王城・屋上。
シエラが既に待っていた。
「来たね。うん。——飛行訓練、でしょ」
立ち上がる。
いつもの余裕ある笑みを作ろうとしている。
だが——唇の端が微かに震えている。
「今日は——昨日の応用。高速飛行中の方向転換と、空中での魔力制御」
黒い竜翼が広がる。
「零が私の飛行パターンを模倣できるのは分かった。だから今日は——私が本気で飛ぶ。ついてこれたら合格」
そして——
「……あと、わかってると思うけど、今日は手、繋がないから」
早口だった。
「昨日は安全確認で必要だったけど、今日はもう大丈夫でしょ。零なら一人で飛べる。——うん。だから」
本当は——手を繋いだら、離せなくなると分かっているから。
「……準備できたら、声かけて」
風に背を向ける。
その背中が——少しだけ寂しそうに見えた。
◇ ◇ ◇
二つの影が、魔界の空を裂いた。
シエラが先行する。
黒い竜翼が風を叩き、音速に迫る速度で蒼穹を駆ける。
零が追う。
ウロボロスサーキットの光を纏い、シエラの魔力パターンを模倣した飛行で——食らいつく。
速い。
昨日とは次元が違う。
湖上を掠める。
水面が二つの衝撃波で割れる。
山脈が迫る。
シエラが翼を畳み、針のように山の隙間を抜けた。
零が続く。
一瞬の判断ミスが死に直結する速度。
シエラの竜翼が全開になった。
急制動。
そして——全力の切り返し。
右に抜けると読んだ。
違った。
左。
衝突。
零の体がシエラに激突した。
二つの体が絡み合い、速度のまま回転する。
「——零っ!!」
咄嗟にシエラが翼を広げた。
零の体を抱き込むように。
二人は山中の木々をなぎ倒しながら——地面に叩きつけられた。
◇ ◇ ◇
土煙が舞い上がる。
シエラが目を開けた。
背中が地面についている。
そして——零がシエラの上にいた。
距離は——ゼロ。
青い瞳に、零の金色の瞳が映っていた。
心臓が——止まった。
零の体温。
吐息。
黒髪が頬を掠める。
「……ァ」
竜族の本能が——叫んだ。
番だ。
ツガイだ。
番が——ここにいる。
「——、」
声が出ない。
尻尾が——勝手に零の腰へ巻きついた。
「……っ、ま、待って——」
翼が震える。
角が微かに発光する。
やがて——零の意識が戻った。
だが、動けない。
シエラの尾が腰に巻きつき、翼が二人を包み込んでいた。
縦に裂けた蒼い瞳。
理性の色が——消えかけている。
「……零」
低い声。
シエラの指が零の頬に触れる。
「……あったかい」
指が首筋へ滑る。
もう片方の手が背中へ回り——引き寄せる。
「……だめ。離れないで」
顔を零の首筋へ埋めた。
匂いを確かめるように、頬を寄せる。
「零……零、零——」
名前を繰り返す。
番。
私の番。
ここにいる。
離さない。
竜族の本能が——完全に反転していた。
そして。
シエラの唇が零の首筋へ近づく。
犬歯が僅かに伸びている。
噛め。
刻め。
番に印を残せ。
「シエラ?大丈夫か?」
その瞬間——零の手が伸びた。
静かに。
優しく。
シエラの黒い竜角に——指先が触れた。
「——っっ!!」
全身が硬直する。
零の指が、角の根元をそっと撫でた。
壊れ物を扱うように。
「……れ、い……?」
瞳が揺れる。
縦に裂けた瞳孔が——少しずつ丸く戻っていく。
翼の拘束が緩んだ。
「わた、し……何、して——」
記憶が戻る。
青い瞳に涙が滲んだ。
「——ごめ……ごめん、私——」
声が震える。
「……怖かった、よね?」
掠れた声。
四座の誇りなど、今のシエラにはどこにもなかった。
◇ ◇ ◇
木漏れ日が翼の隙間から差し込んでいた。
零の手は、まだシエラの角に触れている。
「……番、っていうんだけど——」
シエラが語り始めた。
「竜族にとって……番は、一生に一度だけ」
シエラは声を落とし、普段とは違う冷静な声で続ける。
「……魔力の波長が、完全に噛み合う相手。竜族の本能が——この存在だけは、絶対に手放すなって……叫ぶ」
シエラは零の顔を見れない。
「一度、番と認識したら……もう戻れない。他の誰を見ても、心が動かなくなる。一生——その一人だけ」
涙が頬を伝う。
「……私、五百年生きてきて——一度もなかった。番なんて、おとぎ話だと思ってた。竜族でも、一生出会えないヤツの方が多い」
そして——零を見た。
「——初めて零が飛んだ時。私の魔力パターンを模倣して、隣に並んだ時。……本能が、叫んだ」
「『この人間が、お前の番だ』って」
沈黙。
「……私は——零のこと、好き。本能だけじゃない。零が強くなろうとする姿も、真っ直ぐなところも、優しいところも——全部」
告白。
五百年を生きた竜族が——十八歳の人間の青年へ。
「……ごめん。迷惑、だよね」
沈黙。
「気持ち悪いよね、突然、こんなこと言われて。でも——」
「抑えられないの。だって、一生に一度の、運命だから……」
零は最後まで聞いた。
そして——
「……暴走を抑えるには、どうすればいい?」
シエラの瞳が見開かれた。
「え?」
「だから、困ってるんだろ。俺は、どうしたらいい?」
「……拒否、しないの? 気持ち悪くない? 私——さっき、零にあんなこと……」
「……」
零はじっとシエラを見つめている。
「……抑える、方法……」
シエラは必死に考える。
「……角。角に定期的に触れてもらえれば……本能が安定する。番が傍にいる、って——確認できるから」
声が小さくなる。
「……でも触れすぎると逆に暴走する。だから——短く、優しく。それだけで……多分、大丈夫」
頬が真っ赤だった。
「……あと、距離。急に密着すると——さっきみたいになる。だから普段は……少しだけ間を置いて」
「ん。わかった」
その言葉を聞き、尻尾が名残惜しそうに零から離れた。
「……ねぇ、零」
涙の跡が残った顔で——それでも笑おうとした。
「——ありがとう。逃げないでくれて」
翼が完全に開かれ、二人の間に空間が生まれる。
だが零は離れなかった。
「分かった。これからは、もっとシエラのことを教えてくれ」
「——え?」
「竜族のこと。番のこと。暴走しそうな時の兆候。——全部知っておきたい」
シエラの唇が震えた。
涙が——また溢れる。
「……ばか。なんで——そんな、普通に言うの」
「……私のこと、知りたいって——それ、竜族的には——」
言いかけて、口を閉じる。
——竜族的には、番を受け入れる宣言に等しい。
「……いい。今は言わない。零が自分の言葉の意味分かってないの、分かってるから」
深呼吸。
ようやく笑った。
「……じゃあ、教える」
二人は並んで座った。
「竜族の番はね——魔力の共鳴で決まる。理性じゃない。本能が選ぶ。だから拒否できない」
「兆候は——角が熱くなる。瞳孔が縦に裂ける。尻尾が勝手に動く。この三つが出たら、私の理性が削れてる合図」
指を三本立てる。
「あと——匂い。零の匂いが近いと、それだけで心拍が上がる。だから風上に立たれると……ちょっと、きつい」
頬を掻いた。
「……逆に、安定させる方法。角への短い接触。五秒くらい。それで本能が『番が傍にいる』って安心する。一日一回で……多分、保つ」
そして——少し迷う。
「……あとは——」
零が「全部知りたい」と言った。
だから。
「……声。零の声を聞くと落ち着く。名前呼んでくれると——もっと」
耳まで赤くなった。
「——以上! これ以上は今日は無理! 恥ずかしすぎる!」
立ち上がり、背を向ける。
だが尻尾だけは——零の方を向いていた。
先端が小さく揺れている。
嬉しさを隠しきれないように。
◇ ◇ ◇
シエラが深呼吸した。
一度。
二度。
翼を広げ直す。
「……よし。飛ぶ。訓練、まだ途中だし」
声はまだ少し掠れていた。
だが——笑っていた。
零も立ち上がる。
二人が並んだ。
山の斜面から、魔界の荒野を見下ろす。
零が口を開いた。
「行こう、シエラ」
シエラの体が——跳ねた。
「——うんっ!」
翼が全開になる。
魔力が爆発的に膨れ上がり——
あらぬ方向へ飛んだ。
真横に。
「——あ」
山肌が迫る。
轟音。
土煙が上がった。
山肌に——シエラの形の穴が開いている。
「…………」
穴の中から空色の髪が覗いた。
「……見なかったことにして」
くぐもった声。
「くっ、ははははっ!!」
零が——笑った。
声を出して。
腹を抱えて。
「わ、笑うなっ!!」
山肌から這い出したシエラの顔は土だらけ。
角には葉っぱ。
翼には小枝。
顔は真っ赤だった。
「零のせいだから!! 名前呼べって言ったけど——タイミング!! タイミングの問題!!」
だが——シエラ自身も笑い始めた。
「あっはは——もう、最悪。山に突撃って——ルシアに知られたら一生言われる……」
二人で笑った。
山の中で。
土だらけで。
涙の跡が残ったまま。
さっきまでの緊張が——嘘のように溶けていった。
◇ ◇ ◇
——夕方。
帰路。
二人は並んで空を飛んでいた。
速度は穏やかに。
魔王城の尖塔が見え始めている。
シエラが——零をちらりと見た。
黒髪が風に流れ、金色の瞳が夕焼けを映している。
「……ねぇ、零」
声が——穏やかだった。
「明日も——飛ぼうね」
その声に含まれた意味は、飛行訓練だけではなかった。
明日も隣にいてほしい。
——そう聞こえた。




