第二十六環 「空を制する者」
——午後。
魔王城・訓練場。
空気が——また変わった。
午前。
ルシアが支配したのは——魔力。
昼。
クオンが支配したのは——間合い。
そして。
午後。
「——上か」
零が空を見上げる。
今度の敵は——。
地上にすら、いなかった。
「おーい」
声。
遥か頭上、青空を背に。
一人の少女が——浮かんでいた。
シエラ。
背中から伸びる黒い竜翼。
大きく広げられた翼が陽光を遮る。
空色の長い髪が風に流れていた。
「さて——」
シエラが上空から零を見下ろす。
その顔にはいつもの——余裕のある笑み。
「準備はいい?」
「飯食った直後なんだけど」
「大丈夫大丈夫。吐いたら休憩にしてあげる」
「基準がおかしいだろ」
「あはは!」
楽しそうに笑いながら。
翼が——一度、大きく羽ばたいた。
——ブォン!!
「っ……!」
それだけで。
突風。
地上の砂埃が一斉に舞い上がる。
零が腕で顔を覆う。
「……羽ばたいただけだよな?」
「うん」
「竜族、反則だろ」
「今さら〜?」
シエラが笑う。
そして。
翼を広げたまま空中で静止した。
「じゃあ——始めよっか」
右手を。
地上へ向ける。
「私の訓練は——すっごくシンプル」
掌に青白い光が灯った。
瞬間。
「…………!」
零の表情が変わる。
魔力。
ただの魔力弾。
そのはずなのに。
密度が——違う。
午前中。
ルシアから教わったからこそ分かる。
圧縮されている。
膨大な魔力が。
小さな球体へ。
恐ろしいほどの精度で——凝縮されていた。
「私が——上から攻撃する」
シエラがにっ、と笑う。
「君は——それを凌ぐ」
「…………」
「以上」
「シンプルすぎるだろ」
「分かりやすくていいでしょ?」
軽い。
あまりにも。
軽い口調。
だが。
掌に浮かぶ魔力弾は。
一発でもまともに食らえば笑って済む威力ではない。
「まず——覚えといて」
シエラが翼を傾ける。
身体が横へ——流れた。
「地上にいる奴にとって——」
さらに。
上昇。
「空を飛べる敵って——」
そして、太陽を背負う位置へ。
「最悪なんだよ」
「——っ」
逆光。
零が目を細める。
シエラの姿が。
黒いシルエットへ変わった。
表情が——見えない。
腕の動きも。
翼の角度も。
何を狙っているのかすら。
読み取りづらい。
「まず——距離を詰められない」
声だけが。
上から降ってくる。
「攻撃できる角度も限られる」
翼が僅かに動く。
「それに——」
シエラの影が太陽と重なる。
「相手を見ようとすれば——視界が上に固定される」
その瞬間。
「だから——」
——ヒュン。
光。
「足元が——疎かになる」
「っ!」
放たれた魔力弾。
——三発。
一発目。
直線。
零が横へ跳ぶ。
——ドォン!
地面が抉れる。
二発目。
弧。
横へ避けた零の——逃げ先へ。
「くっ!」
身体を捻る。
魔力弾が胸元すれすれを通過。
そして。
「…………?」
三発目が——来ない。
「二発……?」
その瞬間。
背筋。
嫌な感覚。
「——後ろ!」
振り向く。
遅れて。
三発目。
時間差。
「っ!」
回避——。
間に合わない。
——ドン!!
背中へ衝撃が走る。
《夢幻抱擁》が反応。
魔力弾の威力を——減衰。
それでも。
「ぐっ……!」
身体が前へつんのめった。
何とか手をついて転倒を防ぐ。
「お」
上空。
シエラが楽しそうに目を細めた。
「《夢幻抱擁》がなかったら、今ので直撃だったね」
「分かってるよ……!」
「じゃあ次から気をつけよー」
「軽いな、おい!」
だが、次の瞬間シエラの翼が——畳まれた。
「——え?」
落ちる。
いや——違う。
「っ!?」
急降下。
黒い影が一瞬で——迫る。
速い。
クオンの踏み込みとは。
まるで違う。
地面を蹴る必要すらない。
重力すら。
加速へ——変えている。
「——遅いよ」
声。
零の頭上。
シエラがすれ違う。
その瞬間。
「——っ!」
風。
いや。
——刃。
零が反射的に身体を捻る。
直後。
地面へ。
十字の亀裂。
風刃。
「…………」
零が。
その跡を見る。
「当たったら?」
「痛い」
「絶対それじゃ済まないだろ!」
「あははっ!」
既に。
シエラは——上空。
急降下からそのまま、翼を広げ一気に上昇している。
速い。
あまりにも。
「……厄介だな」
零が呟く。
正面からならまだいい。
だが。
上。
斜め。
背後。
死角。
地上戦とは情報量が——違いすぎる。
「でしょ?」
シエラが空中で旋回する。
「だから——対処法」
右手を上げる。
指を——一本。
「一つ」
魔力が集まる。
「——広範囲魔法で、逃げ場ごと潰す」
——ヒュン!
二発。
零が地面を蹴る。
一発目。
回避二発目。
身体を沈める。
「相手の機動力が高いなら——逃げる場所そのものを消せばいい」
「……なるほど」
「ただし」
シエラが二本目の指を立てる。
「これは——燃費が最悪」
「だろうな」
「空の敵一人落とすために、毎回大魔法撃ってたら魔力が持たない」
翼を一度強く羽ばたく。
「二つ」
急降下。
「——地上へ引きずり下ろす!」
「っ!」
シエラが零の側面を通過。
風刃。
零が咄嗟に片手を掲げる。
「——障壁!」
魔力展開。
半透明の障壁が零の前へ生まれる。
——ガァン!!
風刃が——激突。
「ぐっ……!」
障壁へ亀裂。
一枚。
二枚。
蜘蛛の巣状に。
広がっていく。
「拘束魔法!」
シエラが上昇しながら叫ぶ。
「重力魔法! 糸でも鎖でも何でもいい!」
「……!」
「飛んでる奴を地面まで落とせれば——」
翼を大きく広げる。
「条件は——同じになる!」
障壁が砕ける、零が腕を下ろす。
「……それなら俺にもできそうだな」
「うん。でも——」
シエラが。
再び上空へ。
「飛行種はみんな、それを警戒してる」
「……だよな」
「だから簡単には捕まらない」
そして。
指。
三本目。
「最後」
シエラの動きが。
——止まった。
空中。
完全な静止。
黒い翼を。
左右へ広げ。
真下の零を——見下ろす。
「三つ」
その表情から、少しだけ笑みが消えた。
「相手の動きを読んで——」
掌に魔力。
今までより大きい青白い光が訓練場全体を照らしていく。
「——一点で迎撃する」
「…………」
「これが一番効率いい」
魔力弾がさらに圧縮される。
「そして——」
シエラが笑った。
「一番難しい」
零が腰を落とす。
「……それをやれって?」
「正解」
「当てろって?」
「そこまでは言わないよ」
シエラが、翼を——僅かに畳む。
「私が降下する」
「…………」
「そのタイミングを読んで——迎撃魔法を合わせる」
「種類は?」
「何でもいい」
「当たらなくても?」
「いいよ」
シエラの身体が。
少しずつ——前傾する。
「今日はね」
「…………」
「タイミングだけ——合わせてみな」
零が右手を構える。
午前、ルシアに教わった。
魔力をただ増やすのではなく——絞る。
昼。
クオンに叩き込まれた。
頭で考えすぎるな——身体で感じろ。
そして。
今。
空にいるシエラ。
三つ。
全部——使う。
「…………」
零が。
ゆっくり息を吐く。
魔力を。
右手へ。
集める。
量は——多くない。
必要なのは威力じゃない。
タイミング。
一点。
ただ。
そこへ——撃ち込む。
「いい顔するじゃ〜ん」
上空。
シエラが。
口角を上げる。
「じゃ——」
翼を。
完全に——畳んだ。
「行くよ」
落下。
自由落下。
一秒。
二秒。
そして。
「——っ!」
翼が——開く。
空気が爆ぜた。
そして、急加速。
「…………!」
黒い影が、零に向かって落ちてくる。
——速い。
距離。
速度。
角度。
風。
光。
全てが。
地上戦とは——違う。
三次元。
今までのどんな相手とも違う。
だが。
零は動かなかった。
金色の瞳が。
ただ。
迫るシエラだけを——捉える。
「…………」
右手。
魔力。
圧縮。
まだ。
——早い。
シエラが。
さらに近づく。
まだ。
——早い。
百メートル。
五十。
三十。
「…………」
身体が叫んでいる。
撃て。
今すぐ。
撃て。
それでも、零は——待った。
「…………まだだ」
二十。
十五。
十。
そして——。
シエラの翼が僅かに。
僅かに角度を——変えた。
「——そこだ」
零の金色の瞳が鋭く光った。
右手を——空へ。
「——燃えろ!」
魔力が解き放たれる。
——轟ッ!!
圧縮された火炎弾が、一直線に空を駆けた。
狙うのは——シエラではない。
シエラが次に通る場所。
「…………!」
急降下する黒い影。
火炎弾。
二つの軌道が——交差する。
だが。
「——惜しい」
シエラが呟く。
直撃まで——あと僅か。
ほんの。
コンマ数秒。
火炎弾が——遅い。
シエラが片翼だけを開く。
瞬間。
身体が。
空中で鋭く——旋回した。
——ゴォッ!!
火炎弾がシエラのすぐ横を通過する。
青空を炎が焼いた。
そして。
「——お」
シエラの目が。
僅かに見開かれる。
そのまま。
零の真横を——通過。
——ブォン!!
風圧。
零の黒髪が激しく揺れる。
シエラは地面へ激突する寸前。
両翼を——展開。
一気に上昇する。
「…………」
零がその姿を目で追う。
外した、だが。
「——あはっ」
上空から。
楽しそうな声が降ってきた。
「いいじゃん!」
シエラが空中で旋回する。
そして、再び、零の正面で——静止。
「今の——ほぼ合ってたよ」
「ほぼ?」
「うん」
指で。
ほんの僅かな隙間を作る。
「コンマ数秒——遅かっただけ」
「……それじゃ実戦なら外れだろ」
「まあね〜」
あっさり。
「…………」
「そんな顔しな〜いの」
シエラが笑う。
「初めてで今のは——相当だよ」
「…………」
零が自分の右手を見る。
午前。
ルシアから教わった——圧縮。
まだ完成には程遠い。
昼。
クオンから叩き込まれた——感覚。
考えるより先に身体で捉える。
そして。
今。
その二つを使って初めて戦う空の敵へ。
あと——コンマ数秒。
「…………」
零が再び右手を上げた。
「次は当てる」
「…………」
シエラが一瞬だけ目を丸くする。
そして、口角が——上がった。
「あはは」
黒い翼が大きく広がる。
「いいね——そーいうの」
高度をさらに上げていく。
「じゃあ——」
太陽を背負う。
再び、黒い影。
「もう一回いくよ?」
「来い」
零が腰を落とす。
掌には、再び——炎。
一度外した。
なら。
次は——合わせる。
空を飛べないなら飛ぶ必要はない。
地上から——。
撃ち落とせばいい。
「——行くよ、零!」
シエラの翼が再び畳まれた。




