第二十五環 「四座最強の三分間」
——昼過ぎ。
魔王城・訓練場。
午前中とは——空気が違った。
ルシアとの魔術鍛錬で漂っていた魔力の残滓は、既に風に流されている。
代わりに。
重い。
ただ立っているだけで。
肌に圧力を感じる。
魔力ではない。
もっと原始的で。
もっと暴力的な——。
——闘気。
その中心に。
一人の少女が立っていた。
クオン。
巨大な戦斧を肩に担ぎ。
薄橙色の瞳が、訓練場へ入ってきた零を捉える。
小柄で白い肌。
そこに刻まれた赤い紋様が、陽光の下で鮮やかに浮かび上がっていた。
「——来たか」
短く。
それだけ。
「待たせたか?」
「いや」
クオンが戦斧を肩から下ろす。
そして。
——ズン。
地面へ突き立てた。
訓練場が——僅かに揺れた。
「…………」
零が戦斧を見る。
何度見ても。
少女が扱う武器には見えない。
刃だけでも、零の上半身ほどある。
それを。
クオンは片手で扱っている。
「ルシアから聞いた」
クオンが口を開く。
「魔術の才能はある、と」
「もう伝わってるのか」
「嬉しそうだった」
「……想像つくな」
だが。
クオンは笑わない。
薄橙色の瞳が。
零の頭から足元までを——ゆっくりと見る。
観察。
というより。
(……獲物を見る目だな)
戦う相手の。
骨格。
重心。
筋肉。
立ち方。
呼吸。
その全てから。
何ができるのかを測っている。
やがて。
「だが——」
クオンが言った。
「身体は弱い」
「いきなりだな」
「事実」
容赦がない。
「魔術は強い。《夢幻抱擁》も強い。剣も——悪くない」
一つずつ。
零の武器を挙げる。
「でも」
瞳が細められる。
「全部——使える距離がある」
「…………」
「魔術を撃つ前に懐へ入られたら?」
一歩。
クオンが前へ出る。
「剣を抜く前に腕を掴まれたら?」
もう一歩。
「《夢幻抱擁》で攻撃を弱めても——身体そのものを押さえ込まれたら?」
「…………」
零の表情から。
僅かに笑みが消える。
クオンは。
それを確認するように頷いた。
「魔術が上手く使えない距離で戦う術を知らないなら——」
戦斧を。
地面から引き抜く。
「いずれ死ぬ」
「……なるほどな」
零も。
腰を僅かに落とした。
「で?」
「?」
「何をすればいい」
その問いに。
クオンは少しだけ口角を上げた。
「簡単」
戦斧を構える。
——片手で。
巨大な刃が。
まるで小枝のように持ち上がる。
「ルールは一つ」
薄橙色の瞳が。
零を射抜く。
「私の攻撃を——三分耐えろ」
「…………」
「それだけ」
「三分?」
「ああ」
零が少し考える。
そして。
「意外と短いな」
「そうか」
クオンの瞳が僅かに細くなった。
「なら——」
次の瞬間。
姿が——消えた。
「——っ!?」
——ドン!!
地面が砕ける。
クオンの身体が。
一瞬で零の眼前へ迫っていた。
速い。
速すぎる。
小柄な身体からは想像もできない。
爆発的な踏み込み。
そして。
巨大な戦斧が——横薙ぎに振るわれる。
「——ッ!」
零が反射的に身を沈めた。
——ブォン!!
頭上を、刃が通過する。
直撃していない。
それなのに。
風圧だけで黒髪が激しく煽られた。
(殺す気か……!?)
一瞬。そう思った。
だが違う。
至近距離で見えた。
クオンの瞳。
冷静だった。
怒りも。
殺意も。
興奮すらない。
完全に。
自分の力を制御している。
(……これで手加減してるのか)
零の背筋に。
別の意味で冷たいものが走った。
「——避けるな」
クオンの声。
「受けろ」
「は?」
二撃目。
今度は——上段。
「待っ——!」
巨大な戦斧が零の頭上へ振り下ろされる。
——轟ッ!!
零が咄嗟に横へ転がった。
直後。
戦斧が地面へ叩きつけられる。
——ドォン!!
石畳が砕けた。
「避けるなって言った」
「いや今の受けたら死ぬだろ!?」
「死なない」
「何を根拠に!?」
「私が加減してる」
「信用できるか!!」
クオンが首を傾げる。
「……そうか?」
「そうだよ!」
だが、待ってはくれない。
三撃目。
横薙ぎ、零が——先ほど用意された魔剣を抜く。
——ガァン!!
刃と刃がぶつかる。
瞬間。
腕が——痺れた。
《夢幻抱擁》がオートで反応する。
クオンの一撃。
その威力が——減衰される。
さらに。
零自身の身体能力が増幅される。
それでも。
「ぐっ……!」
足が地面を滑った。
その距離、数メートル。
「…………」
クオンがその様子を見る。
「やっぱり、それは強いな」
「感心してる場合かよ」
「でも」
一歩。
踏み込む。
「それに頼るな」
四撃目。
戦斧の——突き。
「ッ!」
零が魔剣で軌道を逸らす。
直後。
視界からクオンが消える。
「——下」
気づいた時には。
クオンの身体が沈み込んでいた。
戦斧ではない。
「——っ!?」
蹴り。
——ドッ!!
零の腹部へ。
《夢幻抱擁》が威力を減衰する。
それでも。
「がっ……!」
身体が浮いた。
数メートル、後方へ吹き飛ばされる。
空中で体勢を整え、着地。
「……武器だけじゃないのかよ」
「近接戦闘」
クオンが戦斧を肩へ担ぐ。
「何でも使う」
「先に言えよ」
「今言った」
「遅い!」
再び、クオンが地面を蹴る。
「魔術で距離を取るのは簡単」
横薙ぎ。
零が受ける。
「だが——」
蹴り。
身体を捻って躱す。
「敵が私のように——」
戦斧を逆手に持ち替える。
「一瞬で距離を詰めてきたら?」
——ガン!!
柄が、零の魔剣を打ち上げる。
「——っ!」
腕が開く。
無防備。
その瞬間。
クオンの拳が。
零の顔面寸前で——止まった。
「…………」
「今ので死んだ」
「……だな」
「もう一回」
拳を引く。
「考えるな」
そして、攻撃。
「体で覚えろ」
攻撃。
攻撃。
攻撃。
「頭で理解する前に——」
戦斧。
拳。
蹴り。
肘。
柄。
あらゆる攻撃が、あらゆる角度から。
零へ襲いかかる。
「——身体が動くまでやる」
「っ……!」
ルシアとはまるで違う。
ルシアは理論を説明する。
原因を見つけ、言葉にして、
零自身に理解させる。
クオンは——。
(考える暇すら……与えない……!)
身体へ。
直接——叩き込む。
避ける。
受ける。
流す。
反撃する。
その全てを。
思考ではなく反射へ変える。
鬼族の戦闘哲学。
生きるために戦い。
戦うために生きてきた者の——教え方。
——一分。
「はぁ……っ、はぁ……!」
零の息が早くなる。
腕が重い。
足が痛む。
《夢幻抱擁》がなければ。
とうに地面へ転がされている。
それでも。
立っていた。
「…………」
クオンが戦斧を構えたまま。
零を見る。
そして。
「——悪くない」
初めて。
口角が——僅かに上がった。
「前に私とやった時より、動きがいい」
「そりゃ……どうも」
「ちゃんと覚えてた」
「忘れられるかよ。あんな攻撃」
「そうか」
ほんの少し。
クオンが嬉しそうに見えた。
だが。
次の瞬間。
「——なら」
戦斧を。
両手で握った。
「…………おい」
零の頬が引きつる。
今まで。
片手だった。
ずっと。
片手で——あれだった。
「残り二分」
クオンが。
腰を落とす。
先ほどまでとは、明らかに——構えが違う。
「ここから——本番」
「……マジかよ」
薄橙色の瞳が獰猛に——細められた。
そして。
初めてクオンが。
はっきりと——笑った。
「——死ぬなよ、天津零」
次の瞬間。
訓練場の地面が——爆ぜた。
◇
——残り三十秒。
零の中で——何かが変わり始めていた。
最初の二分半。
ただ、必死だった。
クオンの圧倒的な速度。
戦斧の重量。
拳。
蹴り。
柄。
あらゆる攻撃に翻弄され。
避け。
転がり。
受け流し。
《夢幻抱擁》の減衰に頼りながら。
とにかく——生き残る。
それだけだった。
だが。
残り三十秒。
「…………」
零の金色の瞳が、僅かに細められる。
クオンの動きが——見える。
いや、違う。
見えているわけではない。
考えるより先に。
身体が——動く。
——横薙ぎのあと。
クオンは必ず、半歩だけ前へ出る。
零の身体が。
その半歩を避ける。
——上段。
振り下ろす直前。
左肩が——僅かに沈む。
零の膝が。
考えるより先に曲がる。
——突き。
戦斧を押し出した直後。
一瞬だけ。
重心が——前へ傾く。
その隙間を。
「…………」
クオンの瞳が僅かに細められた。
(——変わった)
分かる。
先ほどまでとは——違う。
零は。
クオンの動きを読んでいるのではない。
覚えている。
二分半。
何度も。
何度も。
叩き込まれた攻撃。
その痛み。
風圧。
衝撃。
タイミング。
すべてが。
身体の中に——残っている。
それが、次に何をすべきか。
零へ教え始めていた。
ルシアとは——真逆。
ルシアは理屈を教える。
何が悪いのか。
なぜ失敗したのか。
どう直せばいいのか。
言葉で理解させ。
零自身に答えへ辿り着かせる。
クオンは違う。
避けさせる。
受けさせる。
失敗させる。
痛みを覚えさせる。
そして。
頭が理解するより先に。
身体へ——正解を刻む。
それが鬼族の戦い方。
クオンの——教え方。
そして、零は。
たった三分にも満たない時間で、
その教えを——吸収し始めていた。
「…………」
クオンの口元が僅かに上がる。
——残り十秒。
「……っ!」
クオンが踏み込む。
先ほどまでより。
さらに深く。
——ドンッ!!
地面が砕ける。
零の視界いっぱいにクオンの姿。
そして、巨大な戦斧が、
高く——振り上げられた。
「…………」
零がその姿を見る。
クオンの腕。
肩。
腰。
脚。
全身の筋肉が。
一本の鞭のように——連動する。
次の瞬間。
——轟ッ!!
振り下ろし。
空気が裂けた。
まともに受ければ。
《夢幻抱擁》で威力を削っても。
ただでは済まない。
避ける。
後ろへ下がる。
それが。
今までの零なら——選ぶ答え。
だが。
「…………」
零はどちらも選ばなかった。
——残り二秒。
腰を——落とす。
クオンの瞳が僅かに動く。
零の身体が。
戦斧の軌道へ——踏み込んだ。
「——っ」
そして。
蹴り。
横薙ぎ。
狙ったのは。
クオンではない。
——戦斧。
靴底が。
巨大な刃の腹を——正確に捉えた。
——ガァン!!
《夢幻抱擁》。
零の身体へ還元された力が。
蹴りへ——乗る。
「……!」
クオンの目が見開かれた。
戦斧の軌道が——僅かに逸れる。
ほんの。
数十センチ。
それだけ。
だが。
十分だった。
——ブォン!!
巨大な刃が。
零の頭上を掠める。
黒髪が。
風圧で激しく舞う。
そして。
——ズガァン!!
戦斧が地面へ突き刺さった。
——三分終了。
「…………」
静寂。
零はその場で——膝をついた。
「はぁ……っ……はぁ……!」
息が整わない。
全身が汗で濡れている。
腕が震える。
脚も。
もう力が入らない。
それでも。
最後まで——倒されなかった。
「…………」
クオンが地面へ刺さった戦斧を見る。
次に、零を見る。
そして。
「——面白い」
ぽつり。
それだけ。
だがその声には。
これまでとは違う感情が混ざっていた。
クオンが戦斧を引き抜く。
——ズッ。
土と砕けた石が舞う。
「最後の一撃」
戦斧を肩へ担ぐ。
「私は——教えてない」
「……だろうな」
零が。
荒い息のまま笑う。
「俺も……考えてなかった」
「…………」
クオンの瞳がまた。
少しだけ細められた。
「それでいい」
「……?」
クオンが零の前へ歩いてくる。
そしてしゃがんだ。
薄橙色の瞳と。
零の金色の瞳。
至近距離で真っ直ぐに——重なる。
「考えて出した答えじゃない」
「…………」
「お前の身体が——勝手に選んだ」
クオンが零の足を見る。
先ほど、戦斧を蹴り飛ばした脚。
「二分半」
静かな声。
「私の攻撃を受けて」
「避けて」
「失敗して」
「痛みを覚えて」
そして。
「最後に——自分で答えを出した」
再び零を見る。
「それが——才能」
「…………」
零は何も返さなかった。
いや。
返せなかった。
ルシアとはまるで違う。
けれど。
確かに。
クオンも自分のことを——見ていた。
どこが弱いのか。
何が足りないのか。
そして。
何が伸び始めているのか。
「……そっか」
ようやく零が笑う。
「なら、悪くないな」
「うん」
クオンもほんの少し。
笑った。
そして立ち上がる。
右手を零へ差し出した。
「立てる?」
「たぶん」
「じゃあ立て」
「厳しいな……」
零がその手を掴む。
クオンが軽く引く。
零の身体が立ち上がった。
「明日」
クオンが言う。
「五分」
「……って、増えるのかよ!」
「うん」
「今日、三分で死にかけてんだけど」
「死んでない」
「そういう問題か?」
クオンが首を傾げる。
「そして」
少しだけ表情が変わる。
「次は——」
クオンの瞳が零を射抜く。
「耐えるだけじゃなくていい」
「…………」
「お前から——打ち返せ」
一拍。
零の口元がゆっくり上がる。
「……それは楽しそうだな」
その答えを聞いた瞬間。
クオンの瞳が僅かに見開かれた。
そして——笑った。
普段の。
ほんの僅かなものではない。
戦うことを心の底から楽しんでいる者だけが見せる。
鬼族の——笑み。
「……やっぱり」
「ん?」
「お前——面白い」
「今日二回目だぞ、それ」
「そうか」
「ああ……」
「なら——本当に面白いんだと思う」
「なんだそれ」
零が笑う。
クオンも、僅かに笑ったまま
戦斧を肩へ担ぐ。
そして。
「腹減った」
「急だな」
「三分動いた」
「俺は三分殺されかけたんだけど」
「もっと腹減ってる?」
「そういう意味じゃねえよ」
クオンは零の言葉など気にせず、
訓練場の出口へ歩いていく。
そして数歩進み振り返った。
「飯」
「……はいはい」
零も、重い身体を引きずるように
その後を追った。
◇
——昼。
魔王城・食堂。
「…………」
零は目の前に置かれた皿を見つめていた。
肉。
肉。
肉。
——肉。
「……多くないか?」
向かいに座ったクオンが首を傾げる。
「そうか?」
「そうだろ」
テーブルには肉料理が三皿。
スープ。
パン。
そして。
果物。
そのほとんどが——クオンが勝手に持ってきたものだった。
「食え」
短い一言。
「鍛錬の後は食わないと、身体が作れない」
そう言いながらクオンは零の前へ——
さらに肉の皿を押し出した。
——ドン。
「お前、細い」
「…………」
「もっと食え」
「俺を何にする気だよ」
「強くする」
「食事からかよ」
「大事」
真顔だった。
どうやら本気らしい。
クオンはそのまま、自分の皿に載せた
巨大な骨付き肉を持ち上げる。
そして。
——ガブッ。
豪快にかぶりついた。
「…………」
零が思わずその姿を見る。
遠慮というものがない。
肉を噛み千切り。
咀嚼し。
飲み込む。
そして次。
だが、不思議と下品には見えなかった。
鍛え上げられた身体が。
必要なものを。
必要なだけ摂取している。
ただそれだけの——自然さ。
「……よく食うな」
「うん」
「それ全部食うのか?」
「足りないかもしれない」
「マジかよ」
クオンの身体を見る。
零より小柄。
それなのに。
一体どこへ消えているのか。
「鬼族ってみんなそんな食うのか?」
「強い奴は食う」
「じゃあ俺も食えって?」
「うん」
「理論が雑すぎるだろ」
「でも、食わないと強くならない」
「……まあ、それはそうだけど」
零も諦めてフォークを取った。
肉を一切れ。
口へ運ぶ。
「…………」
美味い。
訓練直後だからだろうか。
普段以上に身体が栄養を求めているのが分かる。
「どう?」
「美味い」
「そうか」
クオンが——ほんの少し。
満足そうに頷いた。
そして。
しばらく。
二人は無言で食事を続けた。
「…………」
「…………」
クオンは元々、口数が多い方ではない。
だから会話はほとんどない。
けれど。
妙に、居心地は悪くなかった。
無理に話す必要がない。
ただ。
食べる。
それだけ。
やがて。
「……零」
クオンが口を開いた。
「ん?」
零を見る。
肉を咀嚼しながら。
じっと。
遠慮なく。
「さっきの蹴り」
「ああ」
「どこで覚えた?」
骨付き肉を皿へ置く。
質問は短い。
いつものクオンらしい。
だがその声には。
単なる確認とは違う——興味があった。
「どこって言われてもな……」
零が考える。
「別に、誰かに教わったわけじゃない」
「…………」
「気づいたら蹴ってた」
「……本当に?」
「ああ」
クオンが零を見つめる。
じっと。
「なんだよ」
「いや」
肘をテーブルへつく。
片手で頬を支える。
「お前は——剣を使う」
「ああ」
「魔術も使う」
「まあな」
「《夢幻抱擁》もある」
「ああ」
「でも」
一拍。
「体術は——ほとんど知らない」
「そうだな」
人界で。
剣術は学んだ、というか覚えざるを得なかった。
戦い方も。
ある程度は自身で叩き込んた。
だが。
クオンのように。
拳。
蹴り。
肘。
身体の全てを武器として扱う戦い方は——知らない。
「なのに」
クオンが続ける。
「最後」
クオンの瞳が僅かに細められる。
「お前は——戦斧を蹴った」
「…………」
「避けるでもなく」
「受けるでもなく」
「武器を——攻撃した」
零もあの瞬間を思い出す。
考えてはいなかった。
本当に。
身体が勝手に動いただけ。
「……俺にもよく分からない」
「そうか」
クオンはそれだけ答えた。
そして。
「…………」
じっと。
また零を見る。
「……何だよ」
「やっぱり」
「?」
「お前——面白い」
「またそれか」
「うん」
「今日何回目だよ」
「分からない」
「数えてないのかよ」
「でも——」
クオンが。
ほんの少し。
笑った。
「面白いものは——面白い」
「…………」
鬼族にとって。
強さは何よりも分かりやすい価値だった。
強い者。
強くなる者。
そして、戦っていて——心が躍る者。
クオンにとって。
零はまだ。
強者ではない。
真正面から戦えば。
今なら——自分が勝つ。
けれど。
だからこそ。
面白い。
一度見せた攻撃を覚える。
痛みから学ぶ。
そして。
教えていない答えまで。
自分で見つける。
次は何をするのか。
明日は。
どこまで来るのか。
それが。
少しだけ——楽しみになっていた。
「明日の組み手」
クオンが言う。
「ん?」
「——楽しみにしてる」
あまりにも自然に出た言葉。
「…………」
零が少しだけ目を丸くする。
「なんだよ」
「いや」
零が笑う。
「クオンでも、そういうこと言うんだな」
「……変か?」
「いや」
首を振る。
「俺も楽しみだよ」
「…………」
クオンが一瞬だけ黙った。
そして。
「そうか」
また肉を手に取る。
——ガブッ。
だが、その口元が。
ほんの少しだけ上がっていることに
零は気づかなかった。
「……肉」
「ん?」
「足りる?」
「いや、十分——」
「取ってくる」
「待て待て待て!」
クオンが立ち上がりかける。
「まだ残ってるだろ!」
「でも細い」
「さっきからそればっか言うな!」
「もっと食った方がいい」
「だからって限度があるだろ!」
そんなやり取りをしていた時。
ふと、零は視線を感じた。
「…………?」
食堂の入口。
開かれた扉。
その——陰。
赤い髪が見えた。
「…………」
ルシアだった。
扉の陰からこちらを——見ている。
真紅の瞳が、零、そして向かいに座るクオン。
テーブルいっぱいの料理。
さらに零のために追加の肉を取りに行こうとしているクオン。
その光景をじっと——見ていた。
「…………」
眉が。
——むっ。
明らかに寄った。
「ルシ——」
零が呼ぼうとした瞬間。
——ぷいっ。
顔が消えた、そして。
——タッタッタッ。
廊下を早足で遠ざかっていく音。
「…………」
零が食堂の入口を見る。
「何だったんだ?」
「ルシア」
クオンが言う。
「気づいてたのか」
「うん」
クオンは、特に気にした様子もなくまた肉を食べる。
「……ずっと見てた」
「マジかよ」
「最近」
クオンが肉を噛み千切る。
「ルシアは——お前のことになると落ち着かないな」
「…………」
あまりにも。
純粋な観察結果。
そこにはからかう意図も悪意も一切ない。
だからこそ。
妙に答えづらい。
「……知らねえよ」
「そうか」
興味を失ったようにクオンが食事へ戻る。
そして、数秒後。
「食え」
「話変わったな」
「午後はシエラだろ」
「ああ」
「空腹だと動けない」
「それは分かるけど——」
「肉、もう一皿いる?」
「いらないって!」
クオンは少しだけ首を傾げた。
納得していない顔。
零は思わずため息をつく。
午後にはシエラとの機動訓練が待っている。
だが、その前に。
この山盛りの肉を——どうにかしなければならないらしい。




